月の裏側(3)
狩野さんと僕は、月を眺めながら話し始めた。
「俺な、孝介が亡くなって、会社にもいられなくなって辞めて2年くらい家に引きこもってたんだよ。
でもな、いくら引きこもっても、どんなに後悔しても現実は変わらないし、それなら、生きているんだから生き直そう。そう思って、会社立ち上げたんだ」
「そこに僕が来たんですね」
「うん。写真で顔は知っていたし、名前も聞いてたから、孝介の大事な人だって思って…正直苦しかったけど、晶と仕事する事は俺にとって生き直す事の象徴だったんだ」
「生き直す、象徴…」
「そう。
晶が俺のことを恨んでいるのもわかってたし、それも含めて、晶との関係性を構築する事で、俺は生き直せるんじゃないか。そう思ったんだ」
「僕、踏み台ですか?」
「そうだな。よく考えたらホントそうだな。ひどい人間だ。悪かった!」
素直に自分の非を認め、謝罪できる狩野さんに僕は心が解けていくのがわかった。
「僕の方が悪いですよ。復讐しようと思って近づいてたんですから……僕、目的を達成したら、どうするつもりだったんだろう」
僕は今まで復習を遂げた後のことなんて一つも考えていなかった。
嘘で塗り固められていた真実のまま、嘘の復讐をして何が残ったんだろう。
ただ、ただ、自分が怖かった。
この人の笑顔を奪わなくてよかった。
でも、自分の怖さもあったが、今は、狩野さんを悲しませずに済んだことへの安堵感でいっぱいだった。
「終わりよければ全てよしかなー」
「え?そんな簡単な言葉で片付けて良いんですか?どこまで懐に広いんですか!
でも、ホント、何でそんな人間に会社任せようとしたんですか?不思議でしょうがない」
「そこなんだよ。
関わってみたら、晶、すげえいい奴なんだもん。裏側はさておき、俺の前での晶は、実直で一生懸命で素直だった。
お前、可愛いんだよ!」
そう言って狩野さんは、僕の頭をグシャグシャ撫でた。
「だから、裏ではどう考えていようが、俺はお前に賭けたんだ」
そう言う狩野さんの笑顔に、僕は月の裏側を見てみたいと言った狩野さんを思い出した。
あの時、見透かされているようだと思ったのは本当のことで、それさえも乗り越えて、僕の表側を見て信頼してくれていたのか。
「僕ね、月の裏側だけをみて生きてきたんです。きっと」
「月の裏側?」
「はい。月って僕らからは裏側を見る事は決してないじゃないですか。
それなのに、僕はずっとありもしない裏側ばかり見た気になって生きてきたんです。
表をちゃんとみたら、狩野さんはとても素敵な人で、僕は憧れざるをえなかった。
それなのに、裏側が本当だと思い込んで…何してたんだよ。ホント、最低な人間だ」
あーあ、と言う感じで僕はベンチで落ち込んだ。
「あのな。
そんな最低な男に俺は会社を預けようと思うか?
お前は、自分で気づいてないかもしれないけど、なかなかの奴だぞ?」
力強い狩野さんの言葉に僕はあっという間に掬われていた。
思えばいつもそうだった。
僕が落ち込みそうな時、必ず狩野さんは掬ってくれた。
こんな人になりたいと、心の底から思っていたんだ。
そのことを思い出せて良かった。
「表から狩野さんを見れて良かった」
僕は心の底からそう呟いた。
「あとな、晶は自分の事、孝介にとってそれほどの存在じゃないって言ったけど、それはないぞ。あいつは本当に晶のこと、大切に思ってた。あんな顔して電話出来ねえよ。慈愛だ。慈愛に満ちた顔だったもん。ちょっと直視できないくらいだった。恥ずかしくて。
大切だから、大切すぎたから、言えないこともあいつにはあったのかもしれないな」
そうなのかな。
確かめたくても、もう孝介はこの世にいない。
でも、もうそんな事はどうでもいいような気がしてきた。
僕と孝介がお互いを大切に思い合ってた時間は確かに存在した。
それだけでいいじゃないか。
やっとそう思えた。
「孝介って、何なんですかね」
「ホントだな。こんなに人の人生振り回しやがって。人たらしだな、あいつ。
でも、うん。それで俺は生き直す事ができた。感謝してる」
狩野さんは晴れ晴れした表情だった。
狩野さんの表情を見て、僕は決心をした。
「狩野さん、会社の話なんですけど」
「え?あ、まさかやっぱ辞めますとか辞めてくれよー。お前に任すって事で色々考え出したんだから」
「いや、お話はありがたく受けます。
ただ、狩野さん、今すぐ動けなくなるわけじゃないですよね?」
「…そうだな。今は日常生活に支障はないんだ。でも、近い将来動かなくはなる。それが一年後なのか、10年後なのか。体全部が動かなくなるのか、一部分で済むのか、それは個人差がかなりあってなんともいえないんだ」
狩野さんはそう言って深いため息をついた。
「だとしたら、今すぐ僕に会社預ける必要ないですよ。
その時が来るまでは、僕は、狩野さんと共に仕事したいです。
だって、僕、やっと裏側を見る必要がなくなったんですよ?狩野さんは、僕を踏み台にして生き直したかもしれないけど、僕は、これからなんです!」
そう言って、僕は近くにあった自動販売機のゴミ箱にペットボトルを、えい、と投げた。
ポンっと全くかすることなく、地面に転がった。
「ははは、下手くそだな」
今度は狩野さんが、缶を投げる。
シュッといい音がして、ゴミ箱に入った。
得意げな顔で狩野さんが僕を見た。
「くそう!もう一回!」
僕は立ち上がり、ペットボトルを拾う。
もう一度投げる。
また外れた。
「わはは。入らないや。でも、こうやって、何回でもやり直せば良いんですよ。今を、正直に生きましょうよ。仕事、辞めたいんですか?」
狩野さんは何も言わずに転がったペットボトルを拾い、ゴミ箱に投げる。
吸い込まれるように入った。
「そうだな。ペットボトルも捨てられないやつに会社、預けらんねえな」
そう言って2人で笑い合った。
ちょうどタクシーが来て、僕たちは「また明日」そう言って別れた。
タクシーの中でも、月は追いかけてくる。
「それでも、裏側は見えないんだもんな」
僕は小さく呟いた。
その声は、月に届くかもしれない。
そんなふうに思えた。(おわり)
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