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短編小説:やわらかもん(4)

自分はこの『市松屋』で何をしたいのか?何が足りないのか?

自問自答の日々が続いた。
あまりに考えすぎて、身体はどんどん硬くなり、頭はガンガン痛くなる。胃もキリキリと痛くなり所謂満身創痍、と言う状態になっていた。

そんな中、野田が会社の帰りにご馳走してくれると誘ってくれた。
正直、そんな体だった為、何か食べ物を食べたい。そう言う状態ではなかったが、野田に誘われるとなんだか断れない和樹がいて、素直についていった。

連れて行かれたのは、メニューが肉うどんのみしか無い古びたお店で、2人はカウンターに座った。

「おっちゃん、ふたつな。あとビール」

野田は慣れたように注文をして、運ばれてきたビールを自分のグラスに注ぎ美味そうに飲み干した。
和樹はとてもお酒など飲めるような状態ではなかったので、自分に勧めもせず勝手にビールを飲む野田がありがたかった。

「和樹さん、まあ色々考えることはあるでしょうが、とりあえずあったかいもん食べましょう」

野田がそう言うと、合図したかのように肉うどんが運ばれてきた。

「いただきます」

和樹はそっと汁を口に入れた。
温かいだし汁が食道を通って胃の中に落ちたのがわかった。
『食べられる』
そう思った瞬間に、箸が止まらなくなっていた。
夢中でうどんを食べ終えると、野田が和樹の肩をパシッと叩いた。

「あったかいもん食べとけば大丈夫!」

それだけ言って、野田はビールを飲み干し、うどんに手を伸ばした。

「野田さんは、うちの社長と付き合い長いんですよね?」

「そやなあ、僕が10歳位の頃やから、もう30年近い付き合いになりますなあ」

そう言って、自分と隆太郎の出会いの話をしてくれた。

「あの時の菓子美味かったなあ」

「なんのお菓子やったんですか?」

「え?」

そう言って、野田はしばらく考え込んで

「忘れてもた」

と大きな声で笑った。

「なんの菓子かは覚えてへんけど、美味かったことだけは覚えてんねん。でもそやな、もしかしかたら、自分だけ貰ったって言う特別感が嬉しかったんかも知れへん」

「特別感…」

「あの頃はうちも貧乏でなあ。自分一人でだけ菓子を食べられるなんて事はほぼなかった。だから、あの時はホンマ嬉しかった。『俺の菓子や』って思うたもんなあ」

「お菓子って、やっぱり特別感ありますよね」

「そやなあ、そういえばその後、社長は出来立てのお菓子を鈴鳴らしながら自転車で売り歩いたんや。ちっちゃい頃に屋台の玄米パン鈴鳴らしながら手渡されたのが嬉しくて嬉しくて仕方なかったから言うてたな。アレがウケたんやろな。急に菓子が飛ぶように売れて、そっからギューーーンや」

野田は懐かしそうに天井の方を見ながら思い出話を語ってくれた。

「特別感…出来立て……」

和樹は何か引っ掛かるものがあり、その言葉を繰り返していた。
その様子を見て野田は「帰りましょか」と言って店を後にして和樹を帰した。

帰り道もずっと『特別感』と『出来立て』と言う言葉が和樹の頭の中でぐるぐる渦巻いていた。
さっき自分はあったかいうどんを心と体が救われるようにかき込んだ。

「あったかいものは、心がほっとするんや…。特別感…出来立て…あったかい……」

和樹は突然走り出した。
そうせざるを得ない何かが、体の中から生まれてきていたからだ。

「お父ちゃん!うちの店で、出来立てのケーキ出そう!お菓子ってやっぱり特別感のあるものなんや!ちょっとした記念日や嬉しいことがあった日、もしかしたら辛い日かもしれん。そんな時にほっとできる温かい出来立てのケーキをうちの売りにせえへんか?」

和樹は家に帰るなり隆太郎にそう伝えていた。

なんて良い顔をしているのだろう。
お菓子もやわらかいものがええが、頭も柔らこうなきゃいかんのやな。

興奮しながら隆太郎に伝える和樹の顔を見て、隆太郎はやっぱり和樹に任せて良かったと確信していた。

それから様々な検討を重ねた結果、出来立てで提供するのはチーズケーキにすることになった。
チーズケーキであれば装飾の必要が無いので、焼き立てをそのまま提供できると言うのが大きな理由だった。

そこから試行錯誤の日々が始まった。
どんなチーズケーキなら焼きたてが1番美味しいと思うのか。そんな答えを導き出すために、毎日毎日ケーキを焼いた。

毎日試作品を作りながら、隆太郎は楽しくて仕方がなかった。
色んなことを考えながら作ることがこんなに楽しいなんて。
自転車で売り歩いたあの日々を思い出して、時々声に出して笑ってしまうほどだった。

所が、そんな隆太郎とは正反対に和樹がどんどん覇気を無くなってしまっていた。

「社長……」

ある日、和樹がため息をつきながら隆太郎に話しかけた。

「なんや、どうした、深刻そうな顔して」

あまりにどんよりとした和樹に隆太郎は悪い予感しかなかった。

「あの……自分からチーズケーキを売りにしたいって言うたのになんですけど…俺………」

そこで和樹の言葉が止まってしまった。

「なんやねん、ハッキリ言い!」

少しイライラした隆太郎が声を荒げて返す。

「俺、チーズ苦手なんですわ。だから、美味しいチーズケーキがようわからんのです!!ホンマすんません!自分から言い出したのに、チーズケーキあかんのです!!」

和樹は目をぎゅっと閉じたまま、隆太郎に怒られた勢いのまま、早口で伝えていた。

「チーズが苦手????」

予想だにしなかった言葉に隆太郎は先ほどよりも大きな声を出してオウム返しのように和樹の言葉を繰り返した。

「はい!ホンマすんません!だから、俺には美味いチーズケーキ作ることができないんです」

沈黙が2人を包んでいた。
和樹はずっと頭を下げたままだった。

「なんや、そんな事で悩んでたんか。アホやなあ」

隆太郎の言葉に驚いた和樹が顔を上げる。

「え?だって、美味しいチーズケーキにたどり着けんのですよ?」

「そんなのお前、チーズが苦手なら、チーズ苦手な人間でも食べられるチーズケーキ作ったらええだけの話やないか。むしろ、そうすればもっともっと沢山の人に、チーズケーキ食べてもらえるで?なあ?」

隆太郎は近くにいた野田に同意を求めた。
野田もにっこりを笑いながら和樹の肩をポンと叩いた。

「そゆことですわ。これからも頼んますわ、和樹さん」

2人にどうってことがないと言われ、和樹は力が抜けた。今まで自分が立ち上げたこの企画が間違ってしまったのではないかと申し訳ない気持ちで支配されていたからだ。

「なんやもう〜」

なんだよ、そうか、チーズが苦手な自分でも食べられるケーキを作れば良いだけか。

和樹は新たな気持ちでケーキ作りに向かうことを決意した。
まだまだ先は見えなかったが、なにか光が差すような感覚があった。(続く)

あとがき
これは、松下洸平さんが自身のライブツアーの大阪公演で、りくろーおじさんのチーズケーキの話題になり「やわらかもん」という題名で朝ドラを作りたい。と話していたことから、着想を得て考え始めました。
ちょっと、いや、かなり間が空いてしまってすみませんでした。
なお、このお話はあくまでも私の妄想であり、りくろーおじさんの話ではありませんので、悪しからずです。

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