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【短編小説】星を探す旅2~松下洸平「ハロー」より~

体温がなくなっていくひよりちゃんの手を、俺はもっと強く握る。

大丈夫、大丈夫、落ち着いて。そう伝わるように。

すると、ひよりちゃんは俺の顔を見てくれた。
それを確認して、俺は静かに頷いて正面を向く。

「お母さん、とお呼びして良いのかわかりませんが、自己紹介させて下さい。自分は、八代輝と言います。ひよりさんとお付き合いさせて頂いていて、もう一年になります。俺は、ひよりさんに一年前救われました。
波照間の景色と、ひよりさんの笑顔。全てに救われたんです」

「そう、だからなに?」

「ひよりさんはとても素敵な笑顔で笑います。
でも、時々手の届かないところに行ってしまうんです」

「手の届かない?」

俺の抽象的な話し方で、お母さんはこちらの話に興味を持ってくれたのがわかった。

「はい。ひよりちゃんは幼い時から毎日毎日海を見つめてきました。お母さんがら迎えにくるのを待ってたから。でも来なかった。
だから、ひよりちゃんにとって海は、お母さんが来なかった象徴で、とても寂しいものなんです。
俺はその表情を何度も見てきました。海を見ていなくても、不意に寂しくなってしまった時、どうしようもなくなってしまった時、ひよりちゃんはその顔をします。その時、ひよりちゃんはまるでどこにもいないようになってしまっているんです」

「…だから、それはひよりが良い子じゃなかったってこと…」

「それ、もういいんです。お母さん」

俺は、深呼吸をして、ひよりちゃんの手をもう一度握った。そして、さらに、ゆっくり諭すように話し始めた。

「全部、ひよりちゃんのおじいさんから伺いました。ひよりちゃんに会わないようにしたのは、ご両親と相談した上ですよね?」

「…何訳の分からない事言っているの?」

「その証拠に、なぜひよりちゃんが東京にいる事を知っているんですか?それに、今日だって十数年ぶりの再会だっていうのに、迷わず僕らのテーブルに来た。知ってるからですよね?ひよりちゃんの事、ちゃんとご両親から報告を受けていたんですよね?」

お母さんは観念したように、ソファにもたれかかって、大きなため息をついた。

「なんで、おじい、そんな大切なこと私に言わなかったのよ…」

「その点はおじいさんを責めないでください。自分が口止めをお願いしたんです。だって、重要なのはそこじゃない。そこじゃないんです」

「そこじゃない?」

「ひよりちゃんとお母さんが別々の人生を歩んでいるのはもう事実として、変えられません。
あなたは、ひよりちゃんを置き去りにしたんですから」

「…言ってくれるね」

「ええ、自分は他人ですから。事実を述べることができます。あなたは、ひよりちゃんを置き去りにした。その事実は変わりありません。
問題は嘘をついたと言うことです」

俺がここまで言うと、ひよりちゃんは握っていた俺の手を離し「ありがとう」とそっと口にして、姿勢を正した。

「私はね、迎えにくるって言って来なかった、お母さんに嘘をつかれていたって事が嫌なの。
だから、私の心はいつまで経ってもお母さんが帰ってくるかもって眺めてた島の海に漂ったままなんだよ」

ひよりちゃんの言葉を受けて、お母さんは、目の前のアイスコーヒーをぐいっと飲み干した。
明らかに動揺しているのがわかった。

「…だって、おじいが、お前が島に帰ってくる気がないなら、ひよりの前に姿を表すな。その方がひよりのためだって言ったのよ。
今の旦那にも、ひよりがいることは伝えてなかったし、それならって…」

お母さんはそのまま俯いてしまった。

「黙っていることは、私の希望じゃないよ」

俯いたお母さんに相反して、ひよりちゃんは真っ直ぐお母さんを見つめていた。

「嘘をついて誰が幸せになったの?
私?おじい?おかあさん?誰も幸せになってないじゃない。タラレバかも知れないけど、私はちゃんと話して欲しかった。そうすれば、その時は傷ついたかも知れないけど、いつまでも島の海に漂わなくて済んだ。子供だからこそ、ちゃんと知りたかった」

そこまで言って、今度はひよりちゃんが目の前のコーヒーを飲み干した。
でも、俯くことなく、お母さんを見つめていた。

「…ごめん…」

お母さんは力なく呟いた。

「その時の決断は、お母さんたちにとっては正しかったんでしょう。でも、それはお母さんたち側の決断です。
自分たちの気持ちを優先した事で、ひよりちゃんは存在も気持ちも置き去りにされてしまった。あの波照間の海にです。
だから、ひよりちゃんは今も嘘が大嫌いだし、海を見ると悲しくなる。
でもね、今回はなんで捨てたんだと、嘘をついたんだとお母さんたちを責める為だけに、来たんじゃないんです」

え?と言う顔でおかあさんは顔を上げる。
お母さんとひよりちゃんの視線が合う。

「…お母さん、私の事が嫌いで置いて行ったの?」

そこまで言うと、ひよりちゃんはポロポロと涙を流していた。

今まで、ずっと、ずっと、ずっと怖くて聞けなかった事を、胸の奥にしまい込んで、蓋をして、それでも海に溶かす事ができなかった気持ちを、言えていた。

「…そんなわけ無い」

ひよりちゃんの言葉を受けて、お母さんもポロポロと泣き出し、大きく息を吸って目を閉じた。

「おばあから届く手紙の中のひよりを眺めるのが私の幸せだった。写真を眺めながら、いつもごめんね、ごめんねって言ってた。
ひよりを捨てた最低な母親だから、私の事を捨てて欲しい。そう思ってた」

「だから、ツンツンしてたんだ」

ひよりちゃんが少し笑う。

「だけどさ、それも私が望んだ事じゃ無い。
だって、お母さんを待ち続けたんだから、嫌いになりたく無い。嫌われてないなら、嫌いになりたく無いよ」

「嫌いなわけ無い。嫌いなわけ無い………大切なひよりだもん。ごめんね。今まで本当にごめんね………」

そう言ってお母さんは机に伏してしまった。

ひよりちゃんは立ち上がり、お母さんの隣に立ち、机に伏したままの、お母さんの肩に手をかけた。

「嫌いじゃ無いって言ってくれてありがとう」

先程まで泣いていたひよりちゃんの目には涙はもうなかった。

「だから言えるよ。
私もお母さんのこと、勿論嫌いじゃ無い。でもね、お母さんのこと許すことはできない。私を置き去りにしたことを忘れないで。私はこれからも1人で生きてく。だから、お母さんも堂々と私を捨てたまま、生きて」

そう言ってひよりちゃんはお母さんを軽く抱きしめて、俺に「行こう」と声をかけてお店を後にした。
お店を出てしばらく歩き、曲がり角を曲ったところで、ひよりちゃんは俺に縋り付いて泣き出した。

「…お母さん、私の事嫌いじゃ無いって」

「うん」

「嘘ついてごめんねって」

「うん」

「私も嫌いじゃ無いって言えた」

「うん。よかった」 

「だから、許さないって言えた」

「うん。1番偉かった。良く頑張ったね。良く言えたね」

俺は、波照間の石碑の前で抱きしめたように、ひよりちゃんを抱きしめた。
この涙が、俺を通して波照間の海に流れ込んで、あの長い日々、母親を待ち続けた幼いひよりちゃんに届きますように。
そう願いながら抱きしめた。

⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

「おかえりー」

バイトを終えて帰ってきたひよりちゃんを俺は迎える。

『お母さんには1人で生きていくって言ったけど、そこに俺も加えて、2人きりにならない?』
そう言って、俺が口説き落とす形で一緒に住むようになり、半年が経っていた。

「あ、輝さん、星が見えるよ!」

いつのまにか八代さんから、輝さんと俺の呼び方を変えたひよりちゃんが、窓の外を眺めながら指を差してそう叫ぶ。

差した指の先には飛行機の灯りがピカピカ点滅していた。

「だから、あれは飛行機だって」

「わかってるよ。でも、いいの」

そう言ってひよりちゃんは笑った。
今は、星を見つけられなくても、ひよりちゃんの指は宙を浮く事がなくなった。

ひよりちゃんは、飛行機の灯りを写真におさめ、波照間のおばあに送る。
『東京の星だよ!』
そうメッセージを添えて。

「お母さんに送ってって書かなくて良いの?」

「うん、いいの。書かなくても送るだろうから」

ひよりちゃんはお母さんと直接連絡を取り合うことは今もしていないが、元気であることを、こうやって、おばあさんを通じて伝える事ができるようになっていた。
ひよりちゃんなりに、赦す方法を探っているのだ。

俺たちはこれからも、笑った顔も、怒った顔も、泣いた顔も全部、全部お互いのスケッチブックにおさめる。
そして、どんな色を塗ろうか。そんなことを2人で意見を出して、相談しながら、歩いていく。

家の壁には、色鮮やかに色付けされた、波照間の風景の絵が、飾られていた。(おわり)

あとがき
松下洸平さんの「ハロー」と言う曲を聞いて、友人が「体温のアンサーソングみたい」と言う言葉を受けて、今回のお話を思いつきました。
歌詞の中に「これからはたったふたりだね」と言う歌詞があり、その世界観を私なりに、表して見たつもりです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうごぞいました。


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