短編小説 デニムの砂(2)〜P2P5曲目 体温より〜
僕らの無言の隙間を、波の音が埋めてくれていた。
なので、不思議と気まずくなる事なく、2人でバルコニーにもたれ掛かりながら、空を見つめていた。
「星、綺麗だね」
特に促された訳では無かったが、僕はそう呟いた。
本当にそう思ったのだ。
空いっぱいに広がる星。
僕たち2人も溶け込んでしまいそうだな。そう思っていた。
「本当だね。私たちも空に溶けてしまいそう」
一瞬心を読まれているのかと思った。
僕が思っていることを真琴さんが呟いたからだ。
僕は真琴さんと同じことを思っていたんだ!
そう思ったら、僕は思いが溢れてくるのを止められなくなりそうになった。
でも、月夜に照らされる真琴さんは空を見てるようで見ていなかった。もっと、もっと遠くの何かを見ているようだった。
ああ、壮一さんを思っているんだな。
そう思ったら、僕は胸が引きちぎられそうになっていた。
「壮一さんの事、考えてるの?」
先程の止められなくなりそうな思いがこの言葉を何の躊躇いもなく、真琴さんに向けていた。
僕の言葉に真琴さんは驚いたような顔をしたけど、直ぐに穏やかな顔になった。
「うん。分かっちゃうんだね」
真琴さんは笑っていたけど、悲しそうな顔をしていた。でも、とても綺麗だった。
そんな表情を引き出しているのが壮一さんなんだと思ったら、僕は悔しくなった。
「そんな顔するなんて、やっぱり悔しいな」
「え?」
「僕じゃ、その顔は引き出せなかった。やっぱり壮一さんには敵わない。悔しいよ」
「え?なに?どんな顔してたの?私」
「すごく綺麗だったよ。そんな綺麗な真琴さんの顔を引き出せるのは壮一さんなんだな、僕じゃない。悔しい。敵わない」
真琴さんはくくくっと急に笑い出した。
「何だよ。なんかおかしいこと言った?俺」
「え、いや。どうしたの?急に褒めたりして。びっくり通り越して笑ってきちゃった」
真琴さんは本当に笑いが止まらなくなったらしく、笑い転げていた。
真琴さんの笑い声は少し特徴的で、僕はその特徴的な笑い方がとても好きだった。
「真琴さんのその笑い声、久しぶりに聞いた。良いね」
「そう言う透さんも、良い顔で笑ってるよ?」
「声出してないんだから、暗くて見えてないでしょ」
「わかるよ。暗くて顔が見えなくても、わかる。透さん今、心の底から笑ってる。
壮一のことだって、そうやって悔しいって素直に言ってくれて、嬉しい」
自分では否定したが、真琴さんの言う通りで、声は出していなかったけど、僕は心の底から笑っていて、心の底から楽しいと感じていた。
同時に、久しぶりに、真琴さんと話ができている気がした。
「やだ。私も何だかいつも言わないようなこと言っちゃってるね。何だろう。沖縄のこの空気がそうさせてるのかな。魔法にかかってるみたい」
そうかもしれない。
そう思った。
沖縄の海、星、全ての景色が僕たちに魔法をかけて、今までつよがってばかりの俺の心を少し溶かしてくれたのか。だから、壮一さんに嫉妬できたのか。
壮一さんのことも含めて真琴さんを愛していく。
そう決めたはずなのに、嫉妬一つできていなかったなんて。
僕はどれだけ覚悟がなかったのか。
「ふははは」
今度は僕が笑い出した。
何だよ、僕はポーカーフェイスに全てを押し込んだ、ただの子供だったのだ。
そう思ったら、笑いが止まらなくなった。
それから僕たちは、以前のようにいろんな話をした。
今の仕事のこと、友達のこと、故郷のこと。
手にしていたビールもとっくに空だったが、部屋に2本目を取りに行くことができなかった。
この場所を離れたくない。真琴さんと同じ空間にいたい。
それだけ、今のこの時間が僕には大切だった。
「さて」
口火を切ったのは、真琴さんだった。
「明日朝イチで帰らなきゃなんだ。そろそろ寝ないとね。楽しかった。透さんありがとう。話できて嬉しかった」
「そっか。忙しいね」
「透さんは?」
「俺は明日の夕方の便で帰るから、少し時間あるんだ」
「そっか、良かった。少しは観光しなよ?」
「なんだよそれ。普段観光もしないつまらない人間みたいじゃないか」
「私そこまで言ってないよ。自分でそう思ってるってことじゃん」
そう言って、あはははと真琴さんは笑いながら
「じゃあ、またね」
そう言った。
その言葉が自然すぎて、僕も
「うん、またね」
そう返し、お互い見つめあう。
真琴さんの目が熱を帯びているのは分かったけど、沖縄の魔法は、そこまでの行動を許してくれなかった。
真琴さんはバイバイと手を振って、部屋に入って行った。
本当は今すぐにでも抱きしめたかった。
でも、それで良かったのかもしれない。
指先さえ触れることのない、この距離だからこそ、今日僕たちは色んな距離を縮める事ができたのだろう。
僕は部屋に入り、熱を帯びた身体に新しいビールを流し込み、再びバルコニーに出た。
もちろん真琴さんの姿はなく、僕はただ1人、波の音をしばらく聞いていた。
月が僕だけを照らしていた。
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