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老荘の思想入門 ~現代社会をうまく生きる方法~

この記事を見に来た方は、老荘の思想について「ざっくり知りたい」と思って来たと思われます。
残念ながら老子の残した文章は「道(タオ)」という真理について書かれたものです。なので簡単に説明するのは無理です。
(お釈迦様は人生の苦を克服する悟りの境地に至りました。道を理解し体得するのもその「悟りの境地」に相当するものです)

あっでも帰らないで!
そんな老子の道徳経ですが、人生をうまく渡り歩く処世術について書いてある、と読み解くことも可能です。

最近の若者は「出世したくない」「自分の時間を大切にしたい」「そんなに頑張ってどうするの」といった思考が多いと聞きます。
老子と荘子の考えたことはその現代の雰囲気に驚くほど合致しています。
大昔の中国で考えられたことが「今のままで楽に考えてもいいんだ!」という赦しを与えてくれること請け合いです。

老子の文章は非常に抽象的でわかりにくいものなのです。荘子は老子の考えをわかりやすく、具体的な事例で書いたものと考えて良いです。
荘子は一休さんのようなとんちが効いた話も多く、とても面白く読めます。
この記事で紹介するものは「マンガ老荘の思想」に記載されたエピソードから選んでいます。興味がある方はぜひそちらの本を読んでみてください。

※道というのは「道徳」「道理」の道のことです。文中にたびたび出てきますが、自然/人間の大原則、ありのままの姿、という意味なのです。簡単に説明できないのでなんとなくそういうものなんだなーくらいで読んでください。なおエピソードは意訳や細部を改変しているところもあるので原文が気になる方は各書籍を当たってください。

★弱いは強い

一般的な考えは、強い方がいい、頭がいい方がいい。自分の良いところをアピールする自己アピール力をつけよ。というものだと思います。

しかし、老荘の思想では逆を行きます。
「弱くあれ。頭のいい奴ほど馬鹿を演じろ。知識を減らすほど道に近づく。謙虚に生き主張をするな。」
ということを主張しているのです。
「え?」と驚くところではないでしょうか。
具体的なエピソードで説明します。

役に立つ木と立たない木(荘子)

木が2本ありました。
一本は真っ直ぐで家を建てるのに役立ちます。
もう一本は、その近くに曲がりくねった大木で用途がなくなんの役にも立ちません。
そこに大工がやってきて、真っ直ぐな役立つ木を切り倒して行きました。
一方の曲がりくねった木は切り倒されることなく、ずっとそこで生き続けました。
木の側にたってみれば、より長く生き残れる「役に立たない」ことこそが優れているといえないでしょうか。

【解説】
老子荘子の生きた時代は戦争の絶えない中国の春秋戦国時代でした。
そんな中で有能さをアピールすれば、戦場に駆り出され早くに命を落とすことになります。名誉や利益のために人間の本分を見失い命を落とすのは馬鹿らしい。そう説いていたのです。

泥にまみれて生きていたい!(荘子)

ある日、荘子を役人として重用したいという王の使いが現れた。
荘子はそれを断る。
荘子「お城には3000年前の長寿の神聖な亀の甲羅が占い用に飾られていると聞く。そのカメはお城に飾られたかっただろうか、それとも生きて泥にまみれていた方が幸せだっただろうか」
使いのもの「それは泥ので生きていた方が幸せだったでしょう」
荘子「私も同じだ。取り立てられるより、泥にまみれて生きていたいと思うのだ」

【解説】
出世することにどれほど意味があるだろうか。という荘子のエピソードですね。名誉のために出世することより、自分の心地よい場所で自分らしく生きることの方がよっぽど価値がある、というエピソードです。
(かっこいい・・・)

嵐の中で生き残るもの(老子)

大木は強く硬いが、嵐の中で風に当たれば折れてしまう。
草は柔らかく弱いが、嵐の風でどんなに形が変わっても柔軟に耐えることができる。
嵐が終わった後、生き残るのは柔らかく柔軟な草の方だ。

【解説】
「柔よく剛を制す」という言葉の成り立ちは老子から来ているそうです。柔軟さの重要性を強調するエピソードがいくつもあります。柔らかく柔軟なものこそ、最後に生き残るのです。
世の中で最も柔らかいものが水であり、水のように生きる人格者が最も素晴らしいというのが「上善水の如し」です。これも老子の言葉なのです。

無用の用(荘子)

荘子の友人の恵子はひょうたんの種を王から譲り受け、それを育てた。
しかし、収穫できたひょうたんは大きすぎた。
水を入れれば脆く割れてしまい、半分にしてひしゃくにしても使いにくい。
全く役に立たないひょうたんだったのだ。
荘子「恵子も子供っぽいところがあるのだな。なぜ水を入れることしか考えないのだ。樽として水に浮かべればいかだとして便利に使えるだろう

【解説】
役に立たない、というのは人間の勝手な分別に過ぎません。
視点を変えれば役に立てることもできるし、前述の木のエピソードのように「役に立たない」ことこそ価値があると見ることもできるということを示しています。
善悪、陰陽、高いか低いか、役に立つか立たないか。これらは等価であり、絶対的な評価は存在しません。また、相対的な評価も人間の一方的な分別でありそれをしている限り迷いが生じていることを指摘しています。

無の効用(老子)

有の効用は皆が知っているが、無の効用に気づいているものは少ない。
例えば車輪。真ん中が空洞になっているか車輪の役割を果たす。
例えば湯呑み。中が空洞だから茶や湯を入れることができる。
家。空間があるからこそ人はそこに住むことができる。
窓と門。開けた時に、無だから人や空気の出入りをすることができる。

【解説】
無の価値について語っています。
ミニマリストの考え方そのもので、すごく今っぽいと思いませんか?

まとめ

いかがだったでしょうか。
弱いものほど本当は強いのだ、というエピソードを中心にまとめてみました。
その他、無欲であれとか、自分を忘れる無我であれとか、聖人を目指すような理想論を頑なに目指す奴がいるから世の中がおかしくなるとか、オスの強さを認識しつつメスの立場に身をおけとか、その他いろんな主張があります。
全てが今も通用するものだとは言いませんが、やっぱりすごく今っぽくて気づきを与えてくれる考えだと感じます。

その他でも書きたいことがあるので、また別の記事でまとめたいなと思っています。

孔子の「論語」の批判本でもあるので、論語と絡めても書きたいです。

いつか「道(タオ)」についての考えを自分なりにまとめて記事にしたいな、とも考えています。

老荘の思想に興味を持ったら「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」も合わせて読むととっても理解が進むと思います。
悟りとか、禅とかその辺の周辺知識も合わせて学んだほうが理解しやすいですからね。ではまた。