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狂ってるのは、てめぇらだろ!

最近、YouTubeの「逸脱TV」というチャンネルで、統合失調感情障害を患う男性の生活を撮影されたものを観た。世間では、心無い人々が、「糖質」だの「糖質おばさん」だの呼ぶ人がいるが、私はそれが心底嫌いだ。100人に1人が罹患する可能性のある、すごく珍しい疾患ではなく、自分がならない可能性なんかどこにもないのに。

その男性は、自身も統合失調症を患いながらも、福祉関係の活動に従事しているらしい。彼は、常に自分は映画の世界にいる、自分自身の映画を撮影されている、だから「演技」している。通行人はエキストラだ。そう言っていた。街中の防犯カメラを見ると、そんな思いが強くなるようであった。
私が何より驚きだったのは、彼は自身の病を、「自分にはこんな症状(上記に挙げたようなこと)がある」と自覚していることである。

正直、私自身、偏見はあったと思う。街でぶつぶつ、少なくとも私には見えないものと会話していたりするのは、ちょっと怖いし、東京のホテルや、今住んでいる地元のホテルで働いていた時も、「部屋にカメラが仕掛けられている!」とフロントに客室から電話で訴えてきたことも多々あり、こなさなければならない業務が沢山ある中で、煩わしさを感じていなかった、と言ったら全くの嘘になる。
実際お部屋を拝見させていただくと、ドアの覗き穴などに、タオルを掛けて隠していた。
もちろん監視カメラなどは設置されてなどいないし、誰も見ていない。

その統合失調症の彼は、パソコンで日記をつけていた。USBに溜めた文章たちを、いつか出版社に持っていき、作品として世に出したいそうだ。確かに、彼の綴る言葉は独特で、人を引き込む力があり、哲学的で素晴らしい。文才があると、素直に思った。

まず、これは声を大にして言ったら一般的には反感を買うのかもしれないが、私は彼の言っていることが、完全に間違えているとは思えないのである。
自分自身の映画を撮られている、通行人はエキストラだ。街にはあちらこちらに防犯カメラがあり、それを見ると「カメラで撮っているから何か演技しろ、という合図かと思ったりする(彼の発言ママ)」。

これは本当に妄想だろうか?
皆、一人ひとりが人生の主役であると、よく言われるではないか。街ですれ違う知らない人々は、大抵が自分の人生に重要な役割をすることがない、まるでエキストラに等しい存在ではないのか。防犯カメラで見られている、周りの人からの多くの視線が存在し、それを気にするから、だから秩序が保たれているのではないのか。

私たちは、普段から、ごく自然に演技をしている。もしくは演技することを強いられて生きているのではないか。

良き夫、良き妻、良き父、良き母、良い社員、良い子。

皆、役割を全うするのに必死だ。
皆、その役割の演技をしている。
そして、そこから外れると、彼の言葉を借りるならば「異端者」となる。だとすれば、私だって異端である。普通に見えるだけで、普通に生きられないし、普通に働けないし、物凄く狂っている。生き辛い。

私は思う。
何が普通なのかと。
何を以って、普通という定義があるのか。
誰がいつ、決めたのか。

こんな狂った世の中で、普通に生きていられる。私も言って良いのだろうか。
「狂ってるのは、てめぇらだろ!」と。

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