風が見ている

春休みになって冬眠をはじめたように寝る時間が遅くなった。今までは朝から大学に向かい、口元を隠しながら授業を受ける蝉のメスの生活をしていたから、産後というか死後というか、とにかく今は手に入れた時間を独りじめしたくて、夜に縫われながらぼそぼそと読書やら何やらをしていたのだ。オレンジの照明に照らされて熟れた右手を見ると空腹を感じてしばしばキッチンに向かったが、炊飯器を開けても黒黒とした球体が見えるばかりで、仕方なくコップに水をくんで自室に戻った。

ある日ベッドの上で些末な動画を見ていると死にたくなった。私は歪んだ突起物に過ぎなくて、世界中からありとあらゆる輪っかを投げつけられているようだった。輪っかはどれも似たり寄ったりで、せいぜい角ばっていたり青かったりするぐらいだ。そしてすべて内側が欠けている。それでも私は彼らに抱きしめられるのを待っていたのだ。

動画を閉じれば音が死んだ。窓の外では風が愛人と手をつないで歩いていた。男の右手と女の左手が指を一本ずつ交差させている。女の手は夜のように滑らかで、指には緑色のマニキュアをつけていた。女の手は爪が当たらないように男の手を軽くつかんでいたが、男は女の手を力強くにぎりしめていた。手を離したら二度と会えないかのように。

風の音がしなくなったので、私の前で立ち止まってこちらを見ているのだと思った。顔は見えなかった。ただ結ばれている両手が青白く宙に浮かんでいた。私はベッドから立ち上がり部屋を出ると、スマートフォンのライトをつけてリビングに向かった。黄ばんだ手は白いライトに照らされて変色し、枯木のように伸びて廊下の闇によく馴染んだ。右側の部屋で父と母が寝ている。父のいびきは大きかった。母の声はしなかった。私の痩躯が重くて呻いているのだろうか。私の痩躯が軽すぎるのだろうか。

リビングには大きな窓が二つあってべランダに繋がっている。ベランダから見える夜景は人工物が積みかさなった川のようで、ああそうか私たちもこの光をたよりに生きているのだと泣きそうになりながら、右手のスマートフォンを投げ捨てたくなった。スクリーンは割れてはじめて世界を映す。それはもう思春期のように。

リビングに戻るとき窓ガラスを通り抜けた気がした。

スマートフォンのライトを差し向けて部屋を見渡した。右側にキッチン、シンクの奥にコンロ、電子レンジ、冷蔵庫。左側はリビング、奥に両親の寝室。音はなにも聞こえなかった。

蛇口をひねった。水が出なかった。蛇口をひねっていなかったかもしれない。流し台からコップを取った。スマートフォンをコンロの上に置いて冷蔵庫を開けた。ひよこが八羽ほど死んでいてチルドに血がたまっていた。私はぶどうジュースを取った。

スマートフォンはコンロばかりを照らしている。光を失ったぶどうは腐乱してしたたり落ちている。飲んだ。天井を見上げた。蜘蛛がいた。インターホンが鳴った。

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