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伊豆旅行記その2 細切れ観光編
この記事を書いている時点では、筆者は塒のおんぼろ借間に帰ってきている。その1でも書いたように、観光旅行ではなかったので、毎日仕事漬けだったのだが、それでも伊豆は素晴らしいところだった。
無事に天城越えをした一行は、昼過ぎに下田に到着した。伊豆半島の先端の、やや東側よりにある、港町だ。多くの砂浜と地質学的に貴重な景観、歴史的な史跡を備えた、魅力に溢れた土地である。欲張りすぎではあるまいか、とも思う。
私が滞在している間、下田はずっと晴れだった。オーシャンビューなど望むべくもない、駅の傍の安宿に滞在していたのだが、少し移動するだけで目が覚めるようなエメラルドグリーンの海が飛び込んでくる。
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下田の街はいつも、潮風に洗われていた。常に街中を風が吹き抜けていた。
住処にしている関東某所の街に戻ってからも、暫くは、エメラルドグリーンの光と、清廉な風が、脳裏にちらついて仕方がなかった。近頃漸く、現実に戻ることができた有様である。
七泊八日の長逗留であったが、温泉ひとつ入れないような、仕事漬けの旅であった。されど折角の遠出である。我々は知恵を絞り、早朝や夕方、夜間に観光を捻じ込んだ。
そこで今回は、滞在中にどうにか見て回った場所を、細切れながら紹介しておこう。
まずは下田観光の大きな目玉でもある、了仙寺とペリーロードである。
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1853年に、ペリーが黒船で浦賀に来航する。その後、日米和親条約がむすばれるわけだが、この調印が行われたのが、下田は了仙寺である。これを記念し、現在ではペリーロードが整備されている。
黒船ミュージアムなるものもあったのだが、時間の都合上見ることができなかった。心残りである。
下田に限ったことなのか、伊豆半島の特徴なのかはわからないが、日差しが強かったことが強く印象に残っている。
太平洋側の半島は温暖なものと相場が決まっているが、矢張下田も例に漏れず、暖かな場所を好む植物が、そこらじゅうで見られた。まあ、イメージ作りのために植えられているのかもしれないが、それらが元気に育つような気候であることは間違いあるまい。
了仙寺の山門の写真を見返すと、強い日差しと植物相のせいか、南国の小島で撮った写真であるような気がしてくる。
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ペリーロードには、雰囲気のある飲食店と土産物屋が軒を連ねる。観光地だけあって、昼飯には痛い値段だ。駅前の大通りには、手ごろな値段の中華料理店などもあるので、食費を押さえたい方はそちらに行くのが良いだろう。
古い建物を改装した喫茶店などもあったのだが、残念ながら優雅にお茶を嗜むような暇はなかった。またの機会には、是非紅茶の一杯も頂きたいものである。
それでは次に、伊豆急下田駅から少し足を延ばして、白浜海岸に向かおう。
白浜海岸は、その美しい砂浜と海故に海水浴場として人気が高い。同時に、海岸の端にある白濱神社も有名である。
伊豆は全国的に見ても、神社、特に式内社と呼ばれる格の高い神社が濃密に分布することで知られている。白濱神社こと伊古奈比咩命神社も、式内社、それも名神大社と呼ばれる格の高い神社だ。
式内社と延喜式神明帳のあれこれ、また伊古奈比咩命や三嶋明神について話していると、冗長かつ難解にならざるをえないので、今回は割愛する。
兎も角、有名な神社であるということで、我々は早朝から張り切って出発した。伊豆急下田駅から白浜海岸までは、車で十分程度だ。早朝の太平洋にいちいち感嘆しながら、海沿いの道をゆく。
参拝者向けの駐車場(早朝であったため、人っ子ひとりいなかった)に車を停め、境内に入る。まず目に入ったのは、真柏の巨木である。
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真柏はしばしば盆栽として見かけることができる。うねるように成長する幹と、枯れた部分が剥落せずに白化することが特徴である(盆栽では白くなった幹をシャリ、枝をジンと呼ぶ)。
写真の真柏は樹齢三百年を数え、天然記念物にも指定されているという。
奥に進むと、拝殿が見える。
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白濱神社には、入り口の鳥居から拝殿に至るまでの間に、三対の狛犬がいる。とくに可愛らしいのが、最も拝殿側にいる、小さな狛犬たちである。
階段の最上段にいる狛犬は、他の二対とは異なり、手のひらサイズでうっかりすると見落としてしまいそうな大きさだ。頭が大きく手足が太いデザインは、尨犬の仔のようで、思わず撫でくりまわしたくなる。
狛犬の愛らしさを堪能したら、拝殿に参拝しよう。
白濱神社には、拝殿と本殿がある。本殿の奥には禁足地があり、そこは古代の祭祀遺跡であることが確認されている。神社が建立される以前から、この地は祈りの地であったのだろう。
神社に守られた祭祀遺跡には、保存状態の良い遺物や遺構が、今も眠っているはずだ。
本殿にも足を運びたかったのだが、我々には時間がない。後ろ髪を引かれながらもあきらめ、白浜海岸に出る。
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(「椰子の実」島崎藤村)
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白濱神社の裏手の海岸には、大明神岩と呼ばれる岩があり、鳥居が建っている。毎年十月の例祭では、この岩から幣串と神饌が投じられるそうだ。これら一連の儀式は、海を越えた東側にある、伊豆諸島を志向する。
下田からは、天気の良い日には伊豆諸島の影が見える。
後でわかったことなのだが、私が伊豆半島に滞在していた時期と丁度重なる形で、友人が神津島に遊びに行っていたらしい。それぞれ自宅に帰還し、長電話などする中で、発覚した事実である。
神津島は海以外何もなかった、と言う友人に対し、私は猛然と反論した。
「何を言っているんだ、神津島と言えば黒曜石、黒曜石と言えば神津島だろうが!!」
「何それ、全然知らないんだけど」
「お前さんなぁ、神津島産の黒曜石と言えば、遥か新潟県まで運ばれていたんだぞ。旧石器時代から縄文時代にかけて、神津島は黒曜石の一大産地として、関東周辺を支えていたんだ。常識だろ」
「何その常識……郷土資料館とかに行けば、展示があったのかな」
「多分な(知らない土地に行ったときには真っ先に地域の博物館を訪問するタイプの人間)」
「ふーん……(あまり興味がないタイプの人間)」
友人は神津島で、波間に漂い、有名な廃墟など訪れたらしい。仕事まみれのスケジュールを語った私は、優雅なバカンスを楽しんだ友人に、憐憫のまなざしを向けられることとなった。
何はともあれ、このような具合で、私の七泊八日は過ぎていった。
いまだかつてないほど予定通りに仕事は進み、満足のいく状態で、下田を出立することができたのだった。
最終日の昼過ぎ、我々は再び天城越えルートで、関東平野への帰還を開始した。時間に余裕があるので、途中で寄り道など挟みつつの帰路である。
帰り道のあれこれは、また書きあがり次第のお話にしよう。