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日本での作業療法士の価値

作業療法士の歴史

今日は自分が携わる「医療」「福祉」という分野について話そうと思う。
僕は作業療法士である。作業療法士という世界は最初は西洋で生まれた。心理学を深く研究し、ジャン=ジャック・ルソーや、当時の英国の心理学的精神科の臨床実績の影響を受けた。

「精神病患者を鎖から解き放った初めての医者」として知られているフィリップ=ピネルが起源と言われている。ピネルは心理学を駆使し、しかも薬に頼らない精神的理学療法、つまり後の作業療法を提唱した。

人の行動、感情を動かす者は何か?思考である。と同時に心理社会性なのだ。障害を持っていたり社会的につらさ・苦々しさを抱えている人はいつの時代も同じである。人の心理をわからなければ人は動かせない。

米国での作業療法士の資格の価値は堂々全職業中4位


作業療法は、日本では官僚・医師絶対志向で全くその地位が低いが海外、特に米国ではその地位は弁護士・医師に匹敵するくらいすごい資格だ。

最高の職業ランキングでITや弁護士、医学の分野なども含めて堂々4位である。まさに「先生」なのだ。博士号しか基本的にその資格を取れないし、給与も日本円にして1000万円程度もしくはそれ以上もらっている人もいるだろう。

 近年、豪州(オーストラリア)の移住や永住権を持つ日本の看護師も増えているが、おそらく作業療法士や理学療法士もいくらか増えているだろう。豪州も米国とまではいかないだろうが日本の給与の2倍はもらっている。

作業療法士という資格はなぜ僕はとったのか。それをお話せねばなるまい。それはいくつか議論の余地はあるが自分も弱い立場に置かれているからだ。

作業療法士に僕はなぜなったのか

僕は昔から弱い人間だった。しかし耐えることだけはおそらく人一倍、二倍であったと思っている。もしかしたら皆さんより苦しい時代を味わってきたかもしれない。その辛さ・儚さ・そして惨めさすべてを味わったので、社会的弱者と言われる人に対して何かをできないかそう思っていたのが高校生の時だ。

職業に就いた後も、作業療法士は心理を理解せねばならないと思い、心理学の大学まで卒業したほどだ。

そしてその時代資格試験がちょうど流行っていた時代でもある。作業療法士の時給も今で換算すればかなりよく年収で1000万レベルと言われていた時代であった。しかし、診療報酬が多くとれなくなったせいもあり、作業療法は養成校が大量に増えその社会的地位は日本では降りることになる。

日本よそれでいいのか

日本という国はご存じアメリカ様様だ。アメリカの子分に陥ったせいで、その伝統的習慣でさえも自分たちで惨めさを作ってしまった。日本のよき伝統的習慣は破壊され、文化を恥じる人まで出てきてしまった。もちろん良くない部分もあったであろう。悪い部分は直していき、良い部分を取り入れることは重要だ。

しかし、善いものまですべて壊してどうなるか。繋がるものは必要だと思う。それが冒頭お伝えした「心理」なのだ。人の心理を動かすのは並大抵ではない。

人は自らの意志を持つ。それが人なんだ。歌手の長渕剛が「いつだって若い人たちの意見は正しいよ」と言っていたがそれも一理ある。自らの感性や思考は自らが生み出したものでだれも壊すことはできない。それは個性だからだ。個性を伸ばすことが今の日本人には必要だ。日本人はいつも規律には強い。それもいいことだ。でも昔の戦前の日本人はさらに今よりも「個性」を持っていた。


強い個性と日本の強力な伝統的大和魂と日本男児によって支えられてきた。もちろん女性にもだ。

その強さが「個性」を生み出し、戦前・戦後の日本の発明は諸外国を凌駕してきたのだ。「心理」は「個性」を生み出し、「個性」はモノを生み出し、社会やコミュニティを作ってきた。そして文化を生み出したのだ。

 だが今はどうか。政治家や医師、テレビなど大きなモノ・情報(インテリジェンス)に支配され、「個性」は失った。「心理」は昔より制限され個性的な生産ができていない。そして外国に売り飛ばされもはや伝統さえ軽視しつつある。作業療法士が活躍できる舞台さえこれではないではないのか?

日本人よそれでいいのか?と言いたいものだ。

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