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2023年1月後半

一番寒い時期。
窓に結露が出来たり、氷の厚さが話題になり、寒さに注目が集まる。諏訪湖は氷が全面に張ったそうなので、立春を過ぎて御神渡りが起きるだろうか。そうなったら数年ぶりとのこと。
日の出は確実に早くなり、日の入りは確実に遅くなり、日差しに春が感じられる。春の兆しを探すのは楽しい。


20230116 Mon.

数日前からのエネルギーの低さが続いていて、たいしたことをせずに昼間を迎えた。もんもんと、特になにもせずに時間が経過した。

夕飯には実家へ行きつくため、15時頃には出なくては。


実家のTVでCNNやBBCを観る。イタリア警察当局が、30年間にわたって逃亡を続けていた南部シチリア島のマフィアの「大ボス」、マテオ・メッシーナ・デナーロ容疑者(60)を逮捕した。

イタリア人から受ける印象は、とても適当なところと、驚くほどしぶとく綿密に突き詰める執念がある。まったく異なる気質に思える。このニュースは後者。マフィア撲滅を目指して1990年前後力から入れていたが、それを潜り抜けて生きていたマフィア大ボスをいま逮捕したというので、驚いた。

逃げる方もだが、捉える方にイタリアのとてもまじめで、緻密で諦めない、そういった気質を久々に感じた。


20230117 Tue.

今日は朝から庭仕事
ターゲットは「ハナニラ」「チドメグサ」
 ハナニラ:球根を取り去る。試験的に熱湯をかける。
 チドメグサ:半地下で存在をあらわし始めているので、見つけたら抜く。

どちらも勝算の見込みがない徒労だ。
抜いてやる~、と頑張っても、勝てっこない。
むしろ雑草に遊ばれているようなもの。
それでも、まあいい。
日にあたり、庭をより快適な場所にする。


母が注文したおもちゃ、カシオトーン、自動演奏もしてくれる卓上電子ピアノが届いた。そんなものを買うなんて珍しいことだ。

お正月に入っていた広告チラシをみて「これ欲しいなぁ」と言っていた。プレゼントしようか?と私がいうのを待っているかな?と探るうちに「買っちゃおうかな」と。私が帰った翌日に早々にハガキを投函して購入申込をしたそうだ。

梱包を開けて、まずはテーブルにセッティングしてスイッチを入れてみる。音が鳴る!
沢山ボタンが並んでいる。自動演奏の一番は「エリーゼのために」だった。流ちょうに、いま鳴っている鍵盤が光っている。押すべき鍵盤を教えてくれるのだけど、とてもこの速さでは弾けない。

ゆっくり再生する方法は、、、と一緒に確認。メトロノームと同じく速度が表示される。2/3くらいにしてみたけれど、それでも音が多くて大変。

楽譜が同梱されている。簡単そうで出来そうなものを選んでみたらどう?
というところまでで、母は力尽きた。「今日はここまで。」


今日は阪神・淡路大震災が起きた日。朝方5時46分52秒に発生した。あれから28年。

「1・17のつどい」@東京 NHKニュースより

今朝、神戸で灯された慰霊の火を新幹線で運び、夕方、東京で灯された。

主催したのは、毎年この日に神戸市で開かれる「1・17のつどい」の実行委員会。関西出身者が多い東京でも集いを開いてほしいとの声があり、「東京会場」として2019年から追悼行事が始まった。21、22年は新型コロナの影響で中止し、開催は3年ぶり。実行委員長の藤本真一さん(38)は「年に一度でも『記憶のスイッチ』を押す場所があれば。語らいの場をなくさないようにしたい」と話す。

朝日デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR1K6V3CR1KOXIE015.html


20230118 Wed.

朝ごはんを母と一緒に食べて、今日は早めに失礼した。
友人と日吉のカフェを目指して半日遊ぶ。

今日の大半は、私が喋っていた。聴いてくださりありがたい。
聴いてくれるから、深く掘り下げて話ができる。掘り下げていって、鉱脈にぶつかったような気もする。掘り下げて、どん詰まりに当たった気もする。

相手が話して私が聴き役という時もあるし、今日のようなこともある。
相手は、表は話をきいているけれど、内面では以前と同じことを話しているなぁと呆れているかもしれない。
そんなことをとりとめなく話すには、並びのテラス席はぴったり。

チーズケーキ・コーヒー@カフェ然

カフェは庭に面して席が設けてあり、そこには丹精込めた庭木がたくさん生えている。野鳥がやってくる。今日は、シジュウカラとメジロ。用心深いはずのメジロが、こんなに人前で姿を見せるなんて珍しいなぁ。いつも守られた空間をキープしているので、安心感があるらしい。

エサ台に寄ってくるメジロ

日吉、私にとっては資本主義の主人公のような、慶応義塾大学の街。
キラキラして、卒業生同志のつながりが強くて、なにはさておきKEIO!
素敵な人もいるし、阿漕な人もいるし、資本主義の世界をうまく渡っている人、お金を道具として使いこなしているイメージ。

高校生が下校している。4-5人のグループで帰る学生、2人組、ひとりで歩いている学生・・・様々。

大学キャンパスは、広いし、空気がフレッシュだ。
withコロナのキャンパスライフは、教室へ向かう途中にプレハブ小屋のゲートで体温を自動測定していた。

慶應義塾大学(日吉)


20230119 Thu.

読書会2本。
午前中は寒くて眠い。読書会で頭や心は動き始めるものの、身体はぼんやりしている。


午後は映画『モリコーネ』へ。
昨年から楽しみにしていた。
いやーいい映画だ。しかし3時間近くの長編、かつ情報量が多かった。
字幕が白地に白文字であることも多く、よく読み取れなかったことだけが残念。

『ニュー・シネマ・パラダイス』、この映画やBGMとして流れていた映画音楽は、かなり多くの人が知っているのではないか。映画音楽を沢山作ったエンニオ・モリコーネが亡くなる前、5年分くらいの本人インタビューと、著名人(監督、俳優、作曲家、歌手、プロデューサーなど)のインタビューを編集したドキュメンタリー映画。

『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督、ジュゼッペ・トルナトーレがこの映画を監督している。

モリコーネは本当は医者になりたかったそうだ。
しかし父親の意見に従い、トランペット奏者になった。
戦争中には軍隊で編曲した。
戦後、作曲を学んだ。
食い扶持を稼ぐため、トランペット奏者としても働いたし、作曲も行った。
でも作曲家の本流からは、商業的な作曲は下に見られて、くやしい思いをした。
一方で、一作品ごと、作曲の工夫を重ねて、納得いく作品を生み出した。
映画音楽は、映画の世界でも格下に見られることがあり、戦いもあった。
時には、全編自分の曲を使わないなら降りると、監督とぶつかった。
いつしか、指名されるような存在になった。
でも(正統な)作曲へ戻りたい、という気持ちも長年あった。
オスカーは3度目も受賞を外して(そのときは『ラストエンペラー』坂本龍一が受賞)、縁がないものと思っていた。でも2007年に長年の貢献と、ハリウッドの問題を謝罪して、クリント・イーストウッドの手から、アカデミー名誉賞としてトロフィーを受け取った。報われる思いだった。

現代音楽の影響、ジョン・ケージがいて一緒に音楽を作った。
イタリア放送局RAIを興行的に救ったポピュラー音楽でも結果を出した。
クラシックの楽曲も作曲した。

映画音楽を書き始めた初期に、マカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)で印象的な旋律を使い、その名を高めた。指名されるようになったが、監督と意見がぶつかることもあった。二度、三度と書き直すこともあり、モリーニにとっては気に入らない曲が監督に選ばれることもあった。

モリーニは、自分はベストを尽くす。そして自分が最も良いと思ったものが、そうでもない場合もあることを知る。それは賞も同じ。各国のおびただしい賞を受けているが、アカデミー賞には期待することを止めた。
ベストを尽くすことのうちに、新しいコンセプトを試したり、異なる音楽をフュージョンさせるなどの工夫があった。映画音楽作曲家として名声を高めたのちに、作風を切り替えた時期もあった。

そして『ミッション』では、このメロディーは自分が作ったものでなく、どこかから降りてきたというメロディを使った。そして、ストーリー展開の最後に、3つの旋律がひとつになる構成、これも自分がやったわけでない。という境地にたどり着いた。

そんなモリコーネの人生を知る映画。

そして映画としての工夫には、同じ場面に2つのバージョン違いの音を当ててみるという比較があって、とても効果的だった。ここはトルナトーレ監督や編集の力だ。

すごく情報量の多い映画だった。

多くの観ていない映画があったが、『ミッション』『ワンス・アポン・ア
タイム』はぜひ観たいと思う。

20230120 Fri.

阿佐ヶ谷 商店街へ久々の買い出し。
野菜21点、魚1点、総菜1点。八百屋3店をまわり3600円(一品160円平均) 。
家に帰って計ったら10kg!
激安ではないが、往復360円の交通費をかけてもお得ではある。住まいの近所で売られている野菜は、新鮮さがなくて、1.2~1,5倍くらい高いのだから。その日の特売は鮮度も値段も太刀打ちできるものだが、1,2品に限られる。

阿佐ヶ谷商店街には、八百屋が3軒(うち1軒は個人商店)、野菜が充実しているスーパーが1軒ある。他に自然食品専門店と大手スーパーが1軒づつ。
それらを見ていると、新鮮だったり、安かったりする野菜や果物があり惹きつけられてしまう。今日はなるべく網羅しようと、八百屋2軒と野菜充実スーパー1軒、計3軒を巡った。

一言にまとめると、重かった・・・

せり、何をつくろうかな?
新しそうなりんご、やっぱりシャキッとしてるほうが美味しい!
和歌山みかん、隣にある静岡より美味しいかな?
イチゴもリーズナブル! 紅ほっぺvsとちおとめ対決!
元気なほうれん草や青梗菜!
泥付きネギ!!

これらをバスと歩きで運ぶため、コンパクトにまとめる。長ネギの先っぽを見せて街中を歩くのはちょっと恥ずかしいので、飛び出す葉の部分を袋でカバーし、なんとかパッキングして、2つの手提げにまとめた。イチゴは一番上に平らに安定するように。

昨年はここで春先に高菜を一束買って、高菜漬けをつくったなぁ。一度に食べきれないので冷凍したら秋まであった。
非日常のイベントであり、あたらしい食材やあたらしい調理法にチャレンジするチャンスなのだ。


お年玉年賀状の当選番号が決まった。1枚だけ記念切手が当たった。
今回、年賀状を作ったものの、結局のところ、一通も出さなかった。
どうしても出す気になれず。

ネット時代にいつまで年賀状を出すか、ということでもあるが、私にとって結婚どうするか問題でもあるわけだ。

1枚だけ記録として残して、来週、レターパックや切手に変えてこよう。


ニュージーランドのアーダーン首相が、昨日国民へ向かい演説し2/7に首相を退任することを述べた。2017年37歳で首相に就任し、それから6年。43歳は若くてまだ続けてもらいたいと思う人にとって早すぎる退任だ。首相として継続することは、"自分も人間であり"、困難だと判断したという趣旨だった。

具体的にどのような困難があるだろう。子供との関係、事実婚しているパートナーとの生活、活躍を蔑視する人達に割くエネルギー。政治活動そのもの。

若くて首相就任したときも世界的にニュースになったが、コロナが世界に広まり始めたときに、彼女が自宅からスマホ撮影した動画で国民に呼びかけるスピーチで私たちもファンになった。危機の時に、こういう人にこそ人々を率いてもらいたいなぁと。

そのときも人間味溢れる人だったが、辞める理由も人間味あふれる。これから政治活動をするのか、どんな活動をするのか知らないが、この人の周囲には幸せな空間が漂いそうだ。できれば広く影響があるような活動をしてもらいたいなぁ。

20230121 Sat.

旧暦の大みそか
朝いちばんは、昨日商店街の和菓子店で買った練り切りをいただく。

うぐいす

午後は4時間かけて、ABD『すべては一人から始まる』の2日目終了
長丁場だけど、みんなテンション切らさず参加してくれて、ダイアローグも面白い場となり、嬉しかった。旧暦では明日が元旦。本格的に2023年、ウサギ年が始まるので、みんなのエネルギーになると嬉しい。

なぜダイアローグが面白くなったのか。年代がバラけている、普段バラバラな場所・仕事をしている初対面な関係が多いといった参加者の特徴。そして自分が思っていることは遠慮なく話せる雰囲気。

予想の範囲のトークではなく、お互いの話が刺激となって、芋づる式に様々な話が出てきた。広げるだけでなく、深まることもあった。

一期一会のブレークアウトグループメンバーのなかで話すと、普段は出てこない自分の言葉が出てきて、かけがえのない時を過ごすことになる。じわっと充実感を感じる。そして普段の生活に戻ったときに、何か小さな変化や小さな行動につながる。

薪をくべて火が続いていくように、エネルギーが次に循環していくことが愉しい。

20230122 Sun.

旧暦の新年
積み残した課題について、先方へ連絡しなくてはならないが、一体どう伝えたものだろう。私はどうしたいのだろう。先方は何を願っているのだろう。

まずは自分の考え、気持ちをパワーポイントに出してみたものの、これを相手に見せて伝わりそうにない。そもそも、これが私の言いたいことだろうか?
どういう形で何を伝えたらいいのだろうか。

きれいにまとめて話すことも出来なくないけれど、それでは伝えたいことをガマンしていた過去と同じだ。でも何でもかんでも伝えたら伝わるかというとそうではない。


友人のオンラインレクチャーに参加。

手帳には19時始まりと記載していたのに、なぜか当日20時始まりと思い違いしたまま、心を整え、お腹も整えて参加したら、すでに1時間が経過していた。
なんなんだ、意識では参加しようとして、無意識には参加したくなかったのか?

でも肝心なテーマは、ちょうど参加したところから始まり、ありがたかった。繊細で、濃い情報だった。

同じことを学んだはずなのに、彼は深―く広―く学んでいるなぁ。

20230123 Mon.

結婚生活についてレビューする。

この決断は私が希望して主導して行ったことなのか?
2人が希望して行ったものだと思っていたけれど。もしかしたらそうでなかったのか。
私一人が主導していたのなら、私がリードしてこのプロジェクトを称え、感謝するのが全うな流れが全うなのだろうか。

書籍『すべては一人から始まる』では、仕事でもプライベートな活動でも、一人の人が起点となり活動が始まると書いてある。結婚はどうなのか?


映画『新生ロシア1991』
頭がくらくらした。

1991年当時、私は会社に入り、会社員生活や仕事に慣れることで日々全精力を使っていた。世の中で何が起きているか、ニュースの見出しに目をやる程度だった。1989年のベルリン壁崩壊以来、世界は良い方向へ進んでいると信じていた。今思えばそれは単に盲目的にそう思っていただけだった、ということになる。

ゴルバチョフ体制でのクーデターは、8月、自分の誕生日前後のことなので覚えている。でもそれがきっかけになり、エリツィンが出て、そればプーチンに繋がるとは、もちろんこの時想像もしなかった。そして、当時のソ連国内でどのような出来事があったのか、人々がどのような状況にあったのかも知らない。(おそらく報道されていなかった)。

映画は、モスクワでクーデターが起きたと報道されたレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)での数日を記録している。人々は共産党支配から抜け出し、自由を求めていた。クーデターを起こした保守共産党は、後戻りをさせるような体制。だから、より自由を目指していた。
市民に対して動揺することのないよう、クーデターは支援しないと演説したレニングラード市長を車に先導していたのは、若きプーチン。ちらっと出ていて、えっと目を凝らした。

ソ連邦大統領のゴルバチョフ、ソ連体制下のロシア大統領のエリツィン。ソ連崩壊してエリツィンがロシアの大統領として旧ソ連のほとんどを引き継いだ。

人々はクーデターに反対し(動向がわからないゴルバチョフを心配しつつ)、やはりクーデターに反対するエリツィンを支持する。共産党支配に反対し、民主主義を渇望する。

このドキュメンタリー映画で、自由を求めるレニングラード市民が、いまのウクライナの人々と重なり、入れ子のようだ。自由を求めていたロシアが、ウクライナの自由を奪う皮肉な構図にくらくらしたのだ。


映画『コペンハーゲンに山を』
60分弱の短編だったので、時間をおいて同じ日に観てしまった。
ごみ処理に最先端の方式を取り入れて、燃やして得た熱を再利用し、汚染されていない水蒸気だけを空中に戻す設備。その設備を納める建物を、囲って、スキー場にしてしまおうというアイディア。

ごみ処理場は、いっぱんに汚染物を輩出する厄介な施設、近寄りたくない場所、というイメージがあり、それを払拭し市民が喜ぶ施設にしようというアイディアだ。
このアイディアがコペンハーゲンの街でコンペを勝ち抜いた。

そこから苦節9年。技術的なものはそういう工夫でクリアされていくが、ネックになるのは予算、お金だ。ここでさらに工夫を重ねていく。

雪を降らすスキー場ではなく、グラススキー。歩いて登って降りることもできる山登り散歩コースでもある。他にボルダリング、・・・なども併設している。比較的平坦なコペンハーゲンの風景に、高低差が生じて、太陽が反射する海を見渡す眺めが素晴らしい。

印象的だった場面は、プロジェクトメンバー4人の話し合い場面。女性1人、男性3人が予算オーバーとなる事態について話し合っている。どこを妥協して予算内に収めるか、妥協はするけれどある程度予算オーバーさせるか、それぞれが意見を述べていた。

オリジナル計画でいけば、予算オーバーする、その費用はどうやって捻出するのか。オリジナル案は現場にきくとかなり複雑で時間(工期)がかかる。など論点を出していく。リーダーとおぼしき女性は、工期延長・予算オーバーするものの、このプロジェクトは、「ゴミの山はゴミではなく資源という発想転換」「最先端のゴミ処理」「異能を集めたプロジェクト」など際立つ特徴があり、世界にその成果をシェアし地球全体のゴミ問題の解決に寄与する野望もあった。リーダーと思しき女性が、オリジナル案をどこまで活かせるか、しぶとく議論を諦めない。

合理的な理由で創造的な取り組みをつぶすことは誰でもに出来る。世界に問い、未来に問う活動は、創造的な破壊が必要で、それを貫く胆力が必要だ。

全国規模で公開しているが、上映館は少ない。代わりに(?)珍しく自主上映の案内がサイトに出ている。
1時間弱の短い映画なので、その後に感想交換会や、地域やそのコミュニティーに関連するテーマでのワークショップをするのに適している。ただし、県内に公開映画館がある場合は開催できないので、ちょっと使いづらいなぁ。

20230124 Tue.

今日は寒くて、雪が降るかもしれないと前々から注意喚起されている。
約束していた友人は、それでも予定が変えずに銀座へ行くといってくれたので、寒さ対策をばっちりして出かけた。

待ち合わせは写真展@ライカギャラリー東京。
ひとつ目は、ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルク 写真展。20枚程度、すぐに観終わってしまった。

オーケストラの指揮者が、ゲネプロを行っている表情を、バイオリンの席から撮影した写真。指揮者の生の表情が伺える。10人から12人くらいだったか。演奏を聴いたことのある指揮者の写真のほうが、知らない指揮者よりも、観る側が感じるものが多い。

そこに何等かの感情があるからだろう。知らない指揮者については、写真として記録されたものしか感じ取れない。演奏を聴いたことがあったり、インタビューを読んだことがある指揮者は、その人の質感がプラスされる。

ゲルギエフ、ロシアの名指揮者。いまはどうしているだろうか。開戦直後、ゲルギエフならプーチンに意見できるのではないかと思っていたが、そういう役割を果たしたとは聞いていない。この人はずっと動いていないといられない回遊魚のような人だろうから、キャリアの円熟期に世界で演奏したかっただろうなぁ。国内で教育や演奏に力を入れているのだろうか。

ヤンソンス、もう亡くなってしまった。亡くなったのは2019年。コロナ前・ウクライナ前。もし生きていたら今の状況に憤死したのではないか。旧レニングラード、サンクト・ペテルブルグの指揮者をしていた父、自分も同じオケを指揮していた。ラトビアのリガ生まれ。ヨーロッパの各国一流オーケストラの首席指揮者・常任指揮者など歴任しつつも決して亡命することなくソ連・ロシアに留まった人。これまでに見たことのない、プリントシャツを着ているところが珍しい。

小澤征爾、確か1990年代か2000年初頭の写真。このときも全盛期より老けているが、いまはさらに二段くらい老いている。闘病・老いが追いかけている。ご家族が本当に大事にケアしている様子。本人の情熱は燃え続けている。平安に恵まれている。最後までそうでありますように。

リッカルド・ムーティ。この人はフルネームで呼びたくなる。皇帝のような雰囲気を持つ人。一時期、ミラノスカラ座との軋轢での契約途中辞任、その後#MeToo運動で訴えられ、、、と逆風を受けたが、いまは各国オーケストラから呼ばれて指揮を行っているようだ。


もうひとつ、別室で展示していた空港をヘリコプターから撮影した写真が案外面白かった。まいけるひとし「未知なる空港」。

大判(例えば60cm×80cm)で、空港を上空から撮影し、飛行機はもちろんのこと、コンテナの1個1個までクリアに撮影されている。成田・羽田・ホノルルなど。どうやって撮影したのだろう? 空港だからドローンではないはず。ヘリコプターか。しかし、これだけ広範囲をブレなく撮影できるのは、腕とカメラと、撮影方法の工夫か。

ここはライカギャラリー。ライカの誇る高い性能の特別なカメラなのだろう。そして撮影者も一流。撮影風景を記録した動画によると、通常よりガラス面が多いヘリコプターに乗り、地図と照合しながら狙いを定め、地面と平行になるように設置されたガラス面にカメラを押し当てて撮影していた。

札幌の街を撮影した巨大写真も凄かった。夜景、車の一台一台も見える。ここが札幌大通り公園だとか、時計台だとか、はっきりわかる。巨大といのは、縦横それぞれ2mくらいありそうな写真。88万円。誘い込むものがあり、何度も見てしまう。こういうのは、お店とか会社とかに置くといいのだろうか。

noteに書くために上記Webサイトを読んだところ、「真俯瞰」という言葉を初めて見た。真上からの俯瞰ということか。まいけるひとし氏が述べる「視点を変えて物事を見ることの大切さ」は私も感じていることだが、まいける氏が捉えているものは、とことん突き詰めた何かがありそうだ。


写真展に続き予約していたランチをプティ・オザミにて。
レストランオザミのビル1階にある、ビストロ風のカジュアルなコース料理。

銀座で平日ランチ、ということは、それは、ゴージャスなコースを昼だからお安く食べられる路線を選ぶのか、ひたすらCP高いものを選ぶのか、友人は今回どちらを狙っているのだろうか?と思いながらお店探しをした。

いくつか提示したなかで、プティ・オザミは中間。グランメゾンでもなく、安さ勝負でもない。お得感のあるコースをちょっと奮発して食べるという感じで、3500円くらいに落ち着いた。

デザートとコーヒーは撮り忘れた

2500円から5000円超えまでのランチメニューがあり、一人で仕事の間に来ているようなビジネスパーソンが男女ともそれぞれいらした。リッチだなぁ。
日々清貧に暮らし、時々幸せに満たされるようにできたら私は満足。
はぁ。こういうことを考えられるのは幸せということだな。
 

食後、銀ブラに繰り出す。寒い寒いと報道されていた割に、太陽が出てむしろ暖かい。銀ブラにぴったりだ。

並びにアンテナショップがあった。山形県・福井県・広島県
山形県の建物は「ここの2階にあるレストランへ来た事があるね」「山形県は名産の紹介も熱心だし、レストランで料理に仕立てていていいですよね~」。名産をちょっと手に入れるのは楽しい。

福井は、実は未踏の県。音楽ホールに行きたいという希望があるのだが、それ以上にはよく知らない。

広島県はレモン・牡蛎推し。小さなスペースにイートインを設けてあり、角打ち、お好み焼き、牡蛎がいただけるようだった。日本酒好きな友人の目がキラリ。「おっ、こんなところがあるとは・・・」「今度、改めて来ましょうよ」「そうしよう」。遊びのアイディアはすぐに思いつく。

メイン通りを歩いたり、一本入ったところへ入って懐かしいお店が健在なのを確認したり、文字通りブラブラ。すかさずお気に入りの店へ友人を案内。1月上旬に行ったチョコレートショップVenchi。友人には量り売りを勧めて、今回私はピスタチオの板チョコを購入。

映画館がある日比谷方向へ向かいつつ、ガード下のお店、数年前に整備された”日比谷OKUROJI”をそぞろ歩き。友人は知らなかったそうで、これは新橋駅の方まで続いているよというと、とても面白がっていた。新潟県のお店で、私は「かんずり」「ホタテオリーブオイル漬け」を買って、方向転換して日比谷シャンテへ。

なんと友人は還暦を迎えていて、今日はシルバー料金だそうだ。曜日に関係なくいつでも1200円。お互いあまり年齢もお誕生日も意識していないねぇ、という間柄なのだが、いやいや、それはお祝いしなきゃでしょ。これは次の機会を探そう。

二度目の『モリコーネ』(原題は "ENNIO" エンニオ)

観終わって、友人も確かに情報量が多いと。いろいろと喋りたいことが溜まる3時間。もう夕飯の時間だが、それほどお腹は空いていないので、明日友人は仕事があるけれど、コーヒー飲みながらのお喋りが楽しかった。

・モリコーネの才能が一番でしょ、
・西部劇をあれだけ作曲していたとは知らなかった、
・女性プロデューサーの存在感がすごい、
・同じ映像に違う音源を当てる比較はとても面白かった、
等々。
こういう話を共有できる人がいるってことは、本当に幸せだ。
今日の映画館は、字幕は見やすいし、音響もよかった。

20230125 Wed.

最近、朝に抹茶を練り一服することがある。カッコいいルーティーンをやってみたくて(笑)。今日は昨日手に入れたピスタチオ板チョコを、濃茶の主菓子おもがしとした。

おお、この板チョコ、ピスタチオの実が丸ままゴロゴロも入っていて美味しい! チョコレート部分はピスタチオクリーム。美味しいぞ、大満足。


朝の目覚めはよかったものの、相変わらず今日も元気が出ない1日。

とにかく動こうと、夕方散歩のため遠回りして広尾のスタバへ入った。隣にいる2人の外国人のおじさん、何語喋っているのだろう。まったくわからなかった。イタリア語でもロシア語でもない。

この日は三日月

散歩途中、都会には珍しい畳屋さんがあった。実は実家の庭仕事のために畳の皮、というか、表の部分だけを欲しいと思っていた。くるくる巻けるすだれのような畳表。これは落ち葉履きをしたときにこの上へ落ち葉を掃き集めると、ゴミ袋に入れやすいのだ。落ち葉を集めてそれをゴミ袋に入れるのが、実は一仕事。時間がかかるし、乱雑にすると散らかってしまう。そのとき畳表は最強なのだ。これは農家の夫から学んだ智恵。
そういうわけでお店に寄ってみると、畳のヘリを使ったポケットティッシュケース、名刺入れ、手提げかばんなどを売っている。ティッシュケースを探していたので購入して、そのときにご主人に尋ねてみた。「捨てるような表側なら上げてもいいですよ、お店開いているときに来てくれれば」とのこと。今日貰ってもいいんだけどな~と思いつつ、すぐにくれないということは、改めたほうがいいのかな?と今日は引き下がることにした。

畳のへりをつかったティッシュケース@恵比寿 小森谷畳店


映画『ワン・サポナ・タイム・イン・アメリカ Once upon a time in America.』 Amazon Prime
モリコーネ音楽ということと、公開当時ちゃんと観ていなかった、ということから(たぶんTV放映したときに部分をみただけ)2日かけてみた。

やるせない。

西部劇で名を馳せたセルジオ・レオーネ監督(イタリア人)が撮影後まもなく亡くなったこともあり、何をいいたかったのか詳細はわからない。

ニューヨークのユダヤ人ゲットーで育った少年たち5人。親らしい人は見当たらないので、孤児なのか、貧しい家から出てきたのか。彼らが悪の道に足を踏み入れながらお金を儲けて、まともな身なりを得て暮らしをしていた。しかし悪の程度が過ぎて、死んでしまった人もいるし、死を偽装して表世界へスイッチした人もいる。ロバート・デ・ニーロ演じる主人公は30年、隠遁生活を経て、謎の手紙を受け取ってニューヨークへ戻ってきたという謎解きストーリー。

(私も30年、隠遁生活を過ごすのかもしれない。すでに3年経過したからあと27年。そして死ぬときが来る)

最後のシーン、主人公の笑い顔のアップ。ここにどういう意味がこめられているか、という話題について、ネット上でみなそれぞれの解釈をしている。

私は「人生ははかなきもの」という諦観の笑みではないかと思っている。自分を苦しめたもの、支えたもの、それらがロープのように撚り合わさっている様を時を経て俯瞰してみたとき、そういうことだったかと笑いが出てくる。苦しみも、努力も、よき思い出も、はかないものだと感じた諦観。

観る人によって感想は様々だろうなぁ。20代、30代で見ていたら自分はどう思ったか、もはや想像もできない。これから60代、70代、80代となったとき、どう思うか、変わっているかもしれない。


ドイツが戦車レオパルト使用を許可する旨、決定。
時間がかかったけれど、最終的に許可した。

これで戦争は一段深みにはまる。

結果が出ることを想定して武器を集中的に提供しているのは、「最後まで戦う」ということ? かつての日本の徹底抗戦とどう違うの? 何が戦争の終わりになるの? ロシアが負けを認める可能性があると思うの? ウクライナがロシアの奇襲でダメになるの?

政治的リーダー達は、戦争の終結をどうやって実現しようと考えているのだろうか? ウクライナが戦争継続するからといって戦い続ける、というのは政治的リーダーの判断とはいえない。

戦い続けることに、戦争終結への努力よりも多く力を入れていたら、いつかそれは「行き過ぎ」だと断罪されるのではないだろうか。プーチンもゼレンスキーも。

結果的に裏でこの構図を作るべく動いているのは、アメリカ・イギリス、EU諸国、トルコ。その周辺にいる日本、フィンランド、スウェーデン・・・。どこに区切りがあるのかよくわからない。

多極的な世界をつくるという課題は、誰にも明らかな課題だ。(いや、そうではないのか。) 現状でも多極的な要素が活かされた世界観はあるけれど、それが補完的なものとしてではなく、全面的に是とされる世界への道筋を作ることが、戦いの終わりを照らすのではないか。

20230126 Thu.

午後、YeLLでの事前研修(正しくは研修ではないですが、イメージしやすいので敢えて)の最後、「聴く練習」というセッションを行った。すでにサポーターとして活躍している人との1時間。前半は自分がサポーター役になって、お話を15分聴き、15分レビューする。後半は自分が話をきいてもらって(つまりプレイヤー役)15分対話し、それについて15分レビューする。

いや~、実に学びの手ごたえがあった。
今の自分にピッタリなオーダーメイドの1歩先が見えた感。
そしてお相手してくださった人にも、何かしら得るところがあったらしき。

YeLLのシステムや企業実態について、それほどよく知っているわけでなく、どこか懐疑的なところもあるのだが、この事前トレーニングはかなりいい。確かに聴くということについて、認識を高め、自分なりのスタイルから一段上を見つけることができる。


取り組むべき自分の課題に、いまひとつ打ち込めない。
これは逃げていることになるのだろうか、そうなんだろうな。

その課題よりも『モリコーネ』をみて気になった映画を観たくなったり、読書会で話題に出たフレーズを調べたくなったりする。

私のなかの私は、ゴムボールのようにあちこちへ飛んで、それを楽しんでいる。束の間の喜びで満ちていて、その喜びだけで一生終えてしまいそうだ。

それでいいじゃない、という声もする。

世の中に貢献しようとか、稼ごうとか、別にいいじゃない(あっ、もはやどちらも戦力外だった)。こうすべきとか、別にいいじゃない。

ううう、"こっちのほうが良くない?""それでいいの?"という声が聞こえずに、純粋に楽しんでいるならOKなのだけど、正規へ導く声が聞こえていて、それを無視したり押さえつけているようだと、どこか曲がっているんだよなぁ。その声はどこからくる声なのか。外からか、内からか。正しさらしさからか、何からか。

自分が何を大事にするか、そこを今一度確認すると落ち着くのだろう。確認したはずなのだが、覚悟が決まっていない、ということかもしれない。

20230127 Fri.

今日は実家へ帰って庭仕事をするのだが、前日に友人からランチアポイントが入った。そうか、それなら、庭仕事は明日のみにするかな。天気も下り坂だし致し方ない。などと思っていたら夜中過ぎに「体調芳しくなく・・・」とのことでキャンセル。なんだ、じゃぁ朝から行ってもいいか。

しかし結局家を出たのは午後になってからで、実家に着くころには小雨が降っていて、庭仕事はやはり明日のみとなった。


実家へ帰る途上、やむにやまれず都の窓口へ電話をした。「来週月曜の神宮外苑再開発に関する審議会にて、小池都知事は工事認可をしないでいただきたい」という趣旨。

・都知事は工事見直しを求めることも可能な大きな権限をお持ちだ。
・神宮外苑再開発は、小池都知事がこれまで取り組み、今現在も都として取り組んでいるSDG's、COP15に基づく緑化計画を進める都の逆行している。
・神宮外苑再開発は時間をかけてつくってきた緑地帯を壊すことになる。
・私はどうしてもこの施策が正しいと思えない。間違っている。後世に照らして、先達に照らして。
・令和の計画として、改めて未来のために都知事の権限を行使してもらいたい。新宿御苑・明治神宮・神宮外苑・青山墓地など続くグリーンベルトを作るくらいの、都として国レベルに影響するような、大きな視点で進めていただきたい。

声色から、定年退職前後の温厚な年配男性が丁寧に聴いてくれた。その方が聴いてくれた感が増すごとに、きっと届かないのだろうなぁ、とも思った。届いたとしても、都知事が一瞬考えることもないのだろうなぁという空しい感覚。
単なる自己弁護の行動に過ぎない。それもわかっているのだが。


帰途上のJR大船駅は、湘南モノレール始発駅。
久々に乗った。電子マネー導入は2018年からと割と遅かったのことだが、気づけば乗車券販売機の台数が減り、そのスペースがグッズショーケースとなっていた。

2台分の乗車券販売機のスペースがショーケースになった
かなりリアルに近い! 頑張ってるなぁ

湘南モノレールの事業会社が変わってから、PRに力を入れるようになったように感じる。

こんな催しもあったそうだ、”モノレールサミット”。行かなかったけれど、サイトを覗くと興味がかきたてられる。モノレールといいつつ、ローカル鉄道も大集合している。


20230128 Sat.

母と朝ごはんをゆっくり食べてから、さっそく庭仕事
芝生に生えてきた小さな雑草が沢山出現していて、目立つところを中心におおざっぱに抜き取る。稲のような穂をつけた雑草は、すでに花を咲かせているものもある。なんということ、まだ冬なのに! こいつは抜きやすいのだけど、増えやすい。
脇にチドメグサが埋まっていることもあり、見つけたら土をほじり返してチドメグサを抜く。こいつは、浅いところで横方向に根っこを伸ばしていく。茎というより、柔い手足のようなものを伸ばしていく。「私はか弱いです~」と言いながら蔓延のさばる奴ら。

そして、ハナニラ。今日はこの花壇を片付けようと場所を決めた。最も繁茂しているところではないのだが、点在というよりは集団化している。
土を深めに掘って、隠れた小さな球根も出来るだけ取る。花壇に植わっている木の根っこ周り、ここは取り切れた気がしないので、木には申し訳ないが熱湯をかけてみた。この夏どうなるか、様子をみてみよう。
木の根っこに身を寄せているところ。

木の根っこ(直径およそ5cm)を脇から掘ると、やはりコロニーがあるようだ
目では見えない角度に、スマホを傾けて撮影してみると・・・いる、いる!


植木鉢の下にも、実は隠れてコロニーをつくっていることがある。
他に草木がないスペースに堂々とここは天下だとコロニーをつくっていたりもする。
深く掘れる細長いシャベルで掘り起こし、土の塊をひっくり返して、球根を探す。ひからびたタネがあったらそれも取り除く。コロニーをつくっている場所では、白い根っこが土の中に沢山広がっている。この根っこも取り除かないと、きっとどこかでつながってコロニーを養っているのだろう。

そんなことをイメージしながら作業していると、見つけた!
やっぱり、そうなんだ。
球根から伸びた根っこの先に結球している。

伸びた根から、あらたな株が生まれている

こいつら、球根から葉っぱを伸ばし地上で花を咲かせてタネを散らす、タネが土の中で芽を出して、葉を伸ばしつつ結球する。それが1対1ではなく、ひとつの球根から複数の球根を生み出しているんだ。一体、何通りの方法で子孫を増やしているのだろう。

白い根っこを取り除くことは、やはり必要なのだ。
根っこ、すさまじい。根というものは、すごい機能を持っている!

地上に出ている個体だけでなく、地下に仲間を増やしている

自然相手に勝ち目はないのだけれど、今年は花が咲いたら、あるいはつぼみのうちに切り取ろう!と、母と意を決めた。

堆肥やコンポストの土を、芝生にまく。まだ芝生は枯葉色。
頑張って元気に育ってもらいたい。

20230129 Sun.

朝ごはんを母と食べるとき、ちょうどミカンが3個あった。1個残るので、それを半分に切って庭木に刺してみた。鳥がやってくるかもしれない。私たちは室内で、鳥たちは外で朝食だ。案の定、小さな鳥がやってきた。

私たちはそれを眺めながらの朝食。のどかで幸せだなぁ。

実家のあたりの公共交通機関はバス。最近バスの本数が減っている。バスが来る少し遠いバス停まで歩いた。昼間通るのは久しぶりで、季節柄なんとも清々しかった。宅地のなかの小規模な緑地帯だが、こういう場所を大事にしていてくれることに感謝だ。地域近隣の人も掃除など力を投じているだろうし、市役所の担当係の方々は、予算と人手をつかって季節ごとの植栽管理をしてくれている。あって当たり前の環境と思っているが、こういうことに感謝をして、続けてもらう努力が必要なのかもしれない。

神宮外苑でのずさんな再開発議論から、身に染みてそう思う。

写真の緑地では、リスが鳴いていて、茂みには小さな鳥が何羽も集まってしきりと会話していた。ちょうど風が通り抜ける場所で、とても心地よい。

バスの乗って鎌倉駅西口へ。こちらは以前は裏口とよく言っていた。八幡宮へ近い改札は表口。それは地元民の方言のようなもので、誰にでもわかりやすく今は「東口」が大きい八幡宮側の改札、「西口」が小さくて江ノ電の改札がある側だ。

まだ9:45だけれど、

RONDINO プリンとコーヒー

◎ロンディーノ@鎌倉駅西口
この時間でも適度にお客さんが入れ替わりつつ満席。プリンが売り切れていることも多く、すかさず注文。カラメルソースがたっぷり、やや硬めのタイプ。朝からスパゲティは無いかな~と思うが、昔懐かしいスパゲティも美味しいと評判だ。後から入店したスポーツ新聞を手にしたおじさんは、ツナスパとコーヒーとアップルパイ♡  次のチャンスには私も!

待ち合わせまであと20分ほど。

◎たらば書房@鎌倉駅西口
ここは一見普通の街の本屋さん。入口近くに雑誌があり、子供向けの学習雑誌・絵本などがあり、グラビア雑誌が見える。中に入ると鎌倉にちなんだ本や文学書、写真集など興味深い本が並んでいる。今日は見るだけのはずだけど、たらば書房から手ぶらで出られる確率は高くない。
今回もレジ脇を通り抜けた左の棚をとっくり見て、このまま出ればよしよしと思ってたけど、通路沿いの平台にある1冊だけになった『植物考』(藤原辰史)をそのままにしておけず、レジに立つおじさんに手渡した。

著者藤原辰史さんの『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』ラインの第二弾だそうだ。

人間は植物より高等なのか?(略)
植物は人間を組み立てて住めない。だが、人間は植物を組み立てて住める。(略) けれども、植物は人間がいなくても生きていけるが、人間は植物なしでは生きていけない。

『植物考』藤原辰史

友人と西口改札で落ち合い、歩いて目的地「ゲストハウス亀時間」へ。
材木座海岸から5-6分のところにあり、私たちが到着した11時頃には、一乗りして帰るサーファーが通りがかった。鎌倉らしい。

ゲストハウス 亀時間
築95年の古民家

ここでは「憲法を語ろう」というタイトルでのお話会に参加。
 お話会:堀越けいにんさん
 来場者:30-40代(女性8割、男性2割)30-40人位

誘ってもらい、こういう場は初めてなので行ってみようと思って参加。

感想は「今風には、こんなふうに話すんだなぁ」という発見だった。
口調というか、話の内容。
こういう内容から入るんだと。

「自分は憲法のことは大事だと思うのでこの活動をしています。事実を伝えます。どう考えるかは決まっていなくて、そこは皆さんに任せます。」

というスタンスで活動しているそうだ。本業はお寺の住職さん。年末に高いところで作業していた脚立から落ちて両足骨折してから復帰2日目というタイミングだった。

堀越けいにんさん
(元群馬 衆議院議員/お寺の住職/保護ネコ・憲法・子供の教育などで活動中)

話の内容
・憲法とは、権力の定義
・1条、9条
・原爆投下の動画(パイロット、被爆者のインタビュー)
・ポツダム宣言の骨子(無条件降伏、民主主義、言論の自由)
・憲法草案は、憲法研究会(鈴木安蔵ら)が作成したものをGHQ案のベースとした。内閣松本案は明治憲法を微修正した保守的な内容だったためGHQ側からハネられた。
・権力と服従  例)ミルグラム実験
・アニメ「戦争のつくりかた」
・三権分立、国民が出来ること

既知のことが多いものの、聴いた人と話し手の間に共感が生まれることが、私にとっては新しかった。

自分が育ったころの憲法論議は怖いイメージで、事実・史実を知ってるか知らないかが重視されていた。なぜなら知識の内容で理解が変わるから。そして、議論対象がとても大きく深いため、何を大事と考えるか価値観の違いで憲法論議の方向性が変わると私は思うので、価値観には敏感になる。

でもそれだと、違いが軋轢を生んでしまう。場が緊張する。
今日はそういうことが起きていない。
この違いは何なのだろう、と、もやもやした。

翌日(月曜)朝、別な場で教えて貰ったコトバ~深刻化して正当化した途端、創造力や共感を一気に蒸発させる~に触れて、このことだと思った。

深刻さはものごとを常に正当化する。正当化は創造性や共感を一瞬で蒸発させる。深刻さこそ、すべてを幻想に誘う罠なのだ。

名越康文氏(精神科医)

憲法の話を深刻ぶって、知ってることや価値観を正当化すると、ちょっとした違いやちょっとした差があった途端、共感できなくなってしまったり、自分が悪いと思ったり、相手を疎ましく思ったりするんだな。

けいにんさんが提供する材料は、そういったことなしに「こういう事実があった、どう思う?」から始まる。知らなければいまから勉強すればいいし、関心を持つことが第一歩だよと。

そのソフトさ、そのアプローチの仕方が私にとっては発見だった。(もちろんどの事実を取り上げるかそこに作為があると別な問題を生むのだが)彼のアプローチの仕方をうまく言語化できなかったことが、名越先生の言葉を貰って、理解が深まった気がしている。ただ自分ができるかは別なので要注意。

「私はこういう国に住んでいたい」という気持ち、大事にしたいなぁ。集まりの最後には、こんなところへ行きついた。

こういう国、とは、現時点私にとって、~安全・平和・人々が親切・自然が多い・自然と共に生きている・水と食べ物が美味しい・加工品が少ない・子供も老人もその間の人もみんなその人らしく元気・誰でも太陽と空を味わえる・安心して生きていられて死んでいける~、そんな国だと誇りを持てる。

安全・平和という背景にはハード技術もソフトの知恵もある。生活をなしていくための流通、製品開発がある。街をつくる計画や理念もある。


家族連れも多く、小さな子たちも動画を一生懸命みていた


憲法について語るとなると、9条問題をどう考えるか、など細かく知識を持ち合わせないと具体的に語れないイメージが私にはある。またその主張は対立を生みやすかくもある。ここに集まった人達のなかには、原爆の動画は、みると苦しくなるとか、見たことがないという人もいた。私より10年くらい後の世代は『はだしのゲン』を見せないでほしいという保護者や子供の要請があり、実際見せないようにしていて、それでいいのかと私は違和感を感じていた。そのような知識差があるときに一緒に語れるのか、と正直なところ不安や疑念があって、今日の場に集った。

それは私の中の問題でもあるが、知識偏重で育ってきて、自分でも咀嚼そしゃくしきれない情報を正しいものとして扱おうとするが故に、”知っていて当然”"知識を正当化する"というような力学が無意識に生まれてきてしまう。
自分もモノを知らないことで、無知と思われるリスクを回避しながら生きてきたが、故意でなくとも、その力学を人に対して向けてしまうことになるのだ。知識量不等号記号の連鎖。すごいひと > だれか > わたし  > だれか。

それでは議論は面白くないし、広がらない。
議論が拡がらない原因の大きなひとつがわかったように思えた体験だった。

イベントが終わり、天気いいし逗子まで歩くか?!となり海へ向かって5分でこのお店「そば処 土手」に遭遇。

蕎麦屋「土手」 向こう隣は魚屋さん

この店はブラタモリで取材中に急遽寄っていたところ。海近くの地形と深い関係の店名が印象に残っていた。この辺りだなぁと思い出していたら、まさにこのお店! 友人もご自分のFacebookで最近見ていたらしい。さっきおにぎり食べたのだけど、、、幸い、お互い入店する気満々なのでここで食べることに。ランチ第2弾か?!  元気よく引き戸を開けて入ろうとしたら、予想外に満席で、結果10-15分ほど店先で待ちをした。2人とも普段並んでまで入ったりしないのだけれど ”今日の展開なら待つでし” ” と心を決めた。その間、二度も出前のバイクが運んでた、人気だ。

寒いから、うどんに魅力を感じつつ、蕎麦好きとしては天蕎麦。美味しかったです! 海老もプリプリ。

天蕎麦@土手

「土手」という店名は、ここが和賀江島の砂州として盛り上がった土地だったから付けたのだと、ブラタモリで店主が話していた。和賀江島はいまは干潮のときに姿を見せる程度で水没している。鎌倉時代にはもう少し海面が低かったのかもしれない。駿河が西の方から船で運んできた物品を陸に挙げる港があったそうだ。砂州で陸地とつながっていて、ここで荷揚げして内陸部へ運ぶ。

「土手」の前から、海へ向かって
確かにやや傾斜があり、海に向かって下っている
材木座海岸 左:逗子マリーナ方向  右:由比ガ浜海岸・腰越海岸方向

お天気がよいので、海岸沿いを歩き、途中からバスにのって逗子まで向かった。盛沢山の一日。

20230130 Mon.

数日前にドイツが戦車供与を決めた。長くドイツ国内で議論していたけれど、結局供与すべしとの圧力に屈したのだろうか。国内では反対する声が根強くあるという。心情的にどうしても是と思えない。
ドイツ国民の心のなかを思うと、こちらも苦しくなる。

かつてドイツ軍が、これは過ちだと長い間反省を重ね、自分達の痛みを抱えてきたことを、いま改めて前言を翻して行う決定をする。自分に嘘をつくよことになり、苦しいはず。

この戦車供与を決めたことで、戦局にどれだけ影響するかはまだわからないが、この決定は、戦争状態を一段泥沼化させるものではないだろうか。

戦争状態から休戦、終戦へ持って行く方向とは逆報告へ、大きな一歩を進めてしまった。

戦争状態が続くということは、日々、ウクライナの人や兵士が、ロシアの兵士が、死んでいくということだ。それも1日何百人単位で。けが人はそれ以上。

終わりが見えないなか、一刻も早く休戦・停戦へ働きかけなくては。軍事の問題でなく、外交の問題として働きかけることは出来ないのか。

ロシアは戦争を始めた点で悪い。やり方も汚い。アメリカ的民主主義を押し付けるなという主張は一理ある。
ウクライナは確かに侵攻されて被害者だ。でもドンバス地域でロシア系住民を迫害したことは悪い。アメリカから資金提供を受けてその迫害を仕掛けたらしきやり方も汚い。ウクライナとして主権を守りたいという意志は尊重するが、民族主義的なパワー闘争を内部に抱えていることも事実だ。

どちらが悪くて、どちらが正しいということではない。
どちらも非があり、どちらも理がある。

戦争状態を続けることは、両国が国民に対しても人権侵害をしているともいえる。ロシアは兵士(職業軍人でない)や、ウクライナは国民に対して。

日本は、今回の戦争に武器供与をしていない。完全敵対という関係ではないのだ。どこかに停戦する糸口はないのだろうか。外交に頑張ってもらいたい。外務省はいま何をやっているのだろうか。各国へ派遣されている日本大使は何をやっているのだろうか。


神宮外苑の再開発について、審議会が本日行われ工事認可されたとのこと。
さっそく、工事柵が置かれたそうだ。

神宮球場やラグビー場に関わる署名活動が始まって2週間ほど。
もっと世論を高めることで、何か変わるだろうか。
それがわからないけれど、もしかしたら盛り上げるだけ盛り上げてみてもいいのかもしれない。


20230131 Tue.

珍しい友人とランチの約束。
先方が近くで映画を観るので、その後ランチをしましょうとの話。
お相手は一度お会いしたことがあり、たまたま手伝っていたイベントのなかで一緒にグループワークをしたという方。熱量も実力も豊かな方。Facebookで友達になったので、おおよその同行はお互い見えている間柄。その頃、彼女が北鎌倉へ引っ越したということで、ご近所感覚が芽生えている。

それだけで会食するって、ちょっと面白い。
薄い関係性から何か生まれるかもしれない。
地元のよしみ、というものか。
その方が映画『コペンハーゲンに山を』を観に来たので、その感想やら何やら長話ができる駅周辺ビルのレストラン街でランチをした。

Aux Bacchanal ランチセット

映画の感想はお互い熱いものがあった。他に何を計画するわけでもなく、お喋りした。ノリが悪いかな、はぁ、でも無理しても仕方ない。


その足で、結局、東急百貨店本店の本屋(丸善&ジュンク堂)へ。この週末から読みだす本がラッキーにも書店にあったので購入。今日は東急百貨店本店の最終営業日だ。書店のレジで、「長らくお世話になりました」と担当してくれた人に伝える。たぶん、この一言のために来たかったのだろう。

7階本屋フロア内には1か月ほど前から、書店閉店に伴ないメッセージカードを集めていた。それらが張り出されている。
・55年ありがとうございました
・映画をみるとき、待ち合わせや、そのあと友達と店内を回りました。お世話になりありがとうございます。
等々。
大型書店が渋谷からちょっとづつ無くなり、ここが最後の砦だった。百貨店が19時で営業を終えても、21時まで営業してくれた有難い書店なのだ。


今日は本店入口から各階とも大賑わい。近年まれに見る人出。
デパートから人の姿が少なくなって久しい。だからこの店に限らないことなのだけれど、昨今、たまに来ると店員さんは暇そうだった。それだけ時代と合わなくなってしまった悲哀のような雰囲気が漂っていた。

東急百貨店本店

今日は往時をしのぐ人出。店員さんの人数も普段より多いように見える。もしかしてOB・OGを総動員しているのだろうか。レジに並ぶ列も長く、各所で「最後尾」の札を持った人が誘導しているし、店内各所に店員さんがいて品物をおススメしている。

キッチン用品のフロアでは、驚くことに実演販売を行っていた。焦げ付かないフライパンの実演。年季の入った初老の男性が立て板に水のごとく製品の優れたところを説明し、周囲をおばさん達が取り囲んでいる。あぁ、動画に撮りたいくらいだ。ある意味歴史記念物のような空間!

物好きに各階を丁寧に回ってみた。
1980年代、90年代は、確かにこうやってあれこれ見ていたなぁ。自分の趣味と合うもの・合わないもの、高級で見るだけのもの・買おうとおもって吟味するもの・・・。デパートには沢山目にすることで満たされる楽しさがある。専門店とはちょっと違うのだ。なんだろう、これは何の欲だろう。いろいろなものがあることを見て満足する楽しさ。自分の趣味趣向を見つける楽しさ。

昔を思い出してみる。そうそう、デパートは選りすぐりの品があり、庶民も目を肥やせる場所だった。店員さんの知識は広範で、ベテランさんは目当ての製品とその周辺で比較するものを教えてくれた。置いてあるものの品質は確かだった。(デパートの検品が厳しすぎると、1990年代、ヘンケルのアウトレットセールのときに、ヘンケル店員さんが怒っていたこともある。)そして外国物、日本の地方のもの等、観たいものを1か所で見せてくれる場所。そしてたまには頑張って手が届く、買えるものもあった。当時の物欲が激しい時代に良いものを買うことは、ポジティブな消費行動で、充実感や豊かな感じがしたなぁ。

いま私は、ちょっといいなぁという服があっても、えっ、6万4000円か~と、簡単に諦める。仕事をしている時なら、その値段は年に1,2回手を出したかもしれない。でも80年代・90年代に比べたら同じ値段でも内容がチープに感じる。品質が下がっているというか。それは負け惜しみかもしれない。もし本当に欲しいとしても、いま私にはその値段はなかなか出せない。

父母の世代よりチープになった私。う、悲しい。

そもそも、欲しいものがあまりない。(開き直る)
物欲が無くなってきたことは、1990年代後半から、2000年に至っては確実に気づいていた。それがよくわかるのは、クリスマスや誕生日前後。家族から「ほしいものは何?」と聞かれても「特にない」と答えることが多くなったこと。プレゼントは「お金」、ということはあまりなかったけれど、そのほうが、気に入ったものがあったときに買えるかも、という思いはした。最後には妹から「お姉ちゃん、欲しいものは?」と聞かれ「幸せ」と答えていた。

いまは買うものがあっても、ネットが殆ど。個別専門店のような小規模のお店で買うことがあっても、百貨店・デパートにはなかなか行かない。

そうなると、よく行くお店・自分に金額やラインナップが見合う品物しか観なくなる。視野が狭くなり、デパートの面白さを味わっていない。ちょっとツマラナイ。でももうデパートは時流に合っていない。

東急百貨店本店は、近くに松濤など住宅地があるから昔馴染みの人が多いようだ。遠くから来るお客さんも長年の付き合いで顔なじみなのかもしれない。店員さんと「寂しくなるわ」と立ち話するお客さんをちらほら見かけた。夕方は店長が挨拶して拍手が起こるのだろうなぁ。
1月最後は、ノスタルジーを味わう1時間になった。



最後までお読みくださり、どうもありがとうございます。
今月はいつもより、なぜかかなり長くなりました。

春の兆しがちらほら出てきたものの、まだまだ寒く、今後の値上げニュースが重なることもあり、余計に身が縮んできます。
それでも自然界、ことに植物は着々と春に向けて歩みを進めているように、こういうときこそ、一歩一歩、あたり前のことを、自分の日常をできる範囲で進めていきたい、そんな風に思います。


~阿佐ヶ谷のその後の報告~
月末時点の残り野菜:
 泥付ネギ5本・大根半分・白菜1/5・ほうれん草1本・じゃが芋

作ったもの:
 セリの卵とじ・ニラ玉・ほうれん草と目玉焼き・
 スープ/味噌汁(白菜・ネギ・大根)・レンコン金平・
 太刀魚のバター焼き・青梗菜と(焼き豚)炒め・
 (そのまま食べた)イチゴ・リンゴ・みかん・バナナ


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