見出し画像

2023年8月後半

サムネイルの写真は、秋田県にある象潟さきかた 元瀧。
この水は鳥海山の溶岩のなかを何万年もかかって沁みとおって湧き出たものだそうです。
秋田や山形の山の方も30℃を越える日々が続いていましたが、この瀧の近くはマイナスイオンがいっぱい、涼しい空気が漂っていました。

20230816 Wed.

台風が日本海側へ抜けていき、東京は時々ザっと雨が降る程度。
上野で展覧会を見てから、家まで歩いて戻って来ようと思う。100kmウォークの練習開始!

国立博物館『古代メキシコ展』のチケット売り場前には列ができていて、会場内も混雑しているという表示。簡単に諦めてしまった。公園内のスタバで腹ごしらえして歩きだそう。

ここへ来るだけで汗が噴き出てくる。珍しくアイスコーヒー、そしてドーナツを注文してテイクアウト。公園広場にある大きな木、その石造りの囲いに座って飲食した。この丸い囲い、うまい具合に高さが緩やかに変化し、高い場所と低い場所がある。自分が座りやすい場所を選んで、子供も背の高い大人も座れるようになっているよ。この造り、賢いなぁ。

お盆の時期、都内は空いていると聞いたのだが、いやいや上野公園は混んでいるぞ。

不忍池、後楽園、飯田橋、四谷、赤坂御所の北側を通って神宮外苑、渋谷を抜ける。これで約11キロとなるはず。14時から16時過ぎになるだろうか。普段の街歩きでは、ちょこまかお店に寄ったり休憩したりするので、今日は続けて歩くことを第一にして、どの位の時間がかかるかを確認してみよう。

幸い、晴れてもいなくて、曇リ空、時々晴れ、時々雨。気温も31度位? 汗ばむが酷い暑さではない。水もある、飴・チョコ・ミニ羊羹を持参している。ドーナツも半分残してポシェットへ。いざというときの行動食、にしては豊富すぎる(笑)。タオル・晴雨兼用傘、スマホ。スマホには歩行カウントアプリを入れて、歩数・距離・実質時間を計ってもらう。

歩いていると、5キロ越えたあたりから早くも左足、左膝、そして右足が痛くなってきた。重心のかけ方や姿勢を調整してみると、少し良くなるような気もするがまた痛くなってくる。だいぶ歩いた8キロあたりで、以前、古武術をやっている人に歩き方を教えて貰ったことを思い出した。重心を少し上に上げるよう意識して、上から足を降ろすと言っていたなぁ。少し身体が軽くなるような気がする。

10km前から足の不調を感じるとは・・・大丈夫だろうか。
今日から10週間ある。真ん中あたりで50kmナイトウォークをする予定。
そこまでに状況が良くなるだろうか。
今日は黒いエアクッション入りの靴。壊れかけていて雨だとダメだ。どんな靴を選んだらいいんだろう。下手に選んで脚に無理させたらいけないし。
わからないことだらけだ。

帰宅後、シャワーを浴びて足を揉みほぐしストレッチ。回復を図るが、明日朝にどうなっているか・・・。出来るだけのことをしてみよう。

結局、どこか痛くなることからは避けられないようだ。
関節に負担がかかりにくくなるようバランスを取りながら歩くとともに、筋力をつけて筋肉で支えることも試みる。

何の因果か、たまたま聞きつけた100kmウォークにすっかり取り込まれて、何とか完歩したい気持ちになっている私。なんなんだ、笑える。でもやってみたい。だけど心配。

まずは初回練習やったぞ!


草刈正雄のFamily Story(NHK)。
うわぁ、最近になって本当のことがわかったのか。
役者としては時に顔を変えてきた草刈さん。強いなぁ。
何よりお母さんがあっぱれだ。

20230817 Thu.

シベリア抑留の女性についてのドキュメンタリーを昨日より見始めた。
シベリアでの極寒・重労働の話、逃れられたが中国での苦境、そういった話は聞いていたが、兵隊さんはじめ男性の話ばかりで、女性、特に看護隊の話は今回初めて知った。

満州開拓および軍隊の支援として、看護婦だけでなく満州の女学校を卒業した人達から即席看護婦を教育編成し、病院や軍隊同行に従事したとのこと。女学校卒業した人達だから教育を受け、人柄が良く責任感がある人達がいたのだろう。満州に居たということは、親が実業や公務員などの仕事をしていて、貧しくはなかったはず。そしてみなお国のためと真剣だった。
それがソ連侵攻後、満州の野原で解散命令を出されるなんて(つまりはそこで野放し)ひどい扱い。

インタビューを受けた人の元看護婦たちは放り出されそうになったが、軍隊に頼み込んで同行したそうだ。その結果、帰還船に乗れたり、収容所を経て日本に戻ってきたり、そのまま現地に定着したりした。

生き残った90代の方々の話は、エネルギーがあり、しっかりした軸があり、聴いていて快感すら覚える。しかしこれは生き残った人の話だ。彼らは強かった、運があった。その人達でさえ辛い話はそのままは話さない。話さないことも多い。
そのうえでの話。

このような苦境での生き残る意志と術があったのだろう。
そもそもこのような苦境を作らずにいたい。


ヤマザキマリラジオ@NHK
毎回話が面白いヤマザキマリ、年に1,2回不定期に行われる。今回、なんと夫のペッピーノが出演するという。
聞き逃してはなるまいと期待していた。

この二人は年の差カップルで、夫が14歳年下。息子はヤマザキマリが28歳のときに産んだ子供。つまり3人家族がそれぞれ14歳離れている。
そんな家族、そんな結婚とは。。。結婚には色々は形があると続いた。彼らはお互い生きていくうえで必要な戦友のような関係。同じ興味関心がありつつ、全く重ならない部分も持っている。

いま離婚届を提出しようとしている私にとってチクチクする話。色々な結婚があるけれど、私はオリジナルな形になればいいと思ったけれどできなかったなぁ。ひとりでやるものではないから、相手の要因もあるけれど・・・「私にはできなかったなぁ」という悔恨がまた出てきた。

家族という観点で、昔の日本で典型的だったのは、「表・バックヤードの分離した形」だという。表は家長が構えている。裏:バックヤードでは女性が仕切っている。それが今は入口はひとつの「玄関ファミリー」だという。昔より家族の在り方が画一化した状態にある。そう思うと、ひとつの形に囚われること自体が、足かせになるなと理解できる。

ヤマザキマリさん夫婦はオリジナルな形だ。オリジナルな形に落ち着くまで大変苦しいかもしれないが、オーダーメイドで居心地よいかもしれない。


山手線内で、面白いものを見た。さっきまで座っていた外国人観光客の靴から外れたものらしい。下記写真の黒い丸、ふたつ。

黒スニーカー靴底の一部
明らかに観光旅行者の白人男性が今しがた下車

靴がもともと劣化し始めていて、東京の熱いコンクリートを歩いて崩壊したのだろう(笑)。

20230818 Fri.

久々に顏を合わせた3人。
もう7,8年も前のこと、勉強会を一緒に行っていた人たち。
池袋で美味しくリーズナブルなイタリアンを食べて、ちょっとお高いけれどデパート内にある喫茶店でお茶したらランチと併せて5000円超え。うーん。

話そのものは楽しかった。
三人三様、それなりに山あり谷あり。

誘ってくれた友人の触れ込みが、私の不可解な結婚生活について「新鮮な情報をお聞きできる」などというので、ランチを食べながらわ~っと話したのだが、果たして二人は聞きたかったのだろうか? なんで私は話したのだろうか? 落ちもないし、意見もしにくい内容だし、放談に終わり、後からスカスカな気分になった。

何で話したのだろう?
私は話したかったのか?
いや、そんなことないのだけど。
話して何かあったか?
いや、放電しただけみたいな感じ。
「新鮮な情報をお聞きできる」なんてことを真に受けなければよかった。

月イチ友人に話したときとは違う感覚。


その後、精力的にマティス展へ行き、そこから10kmウォーク!
わりと気持ちよく歩けた。時間帯が18時近く~20時という夕暮れスタートだったからかな。一昨日、辛かった痛みは今日はそれほどでもなく、痛みがないわけでないが焦点がぼんやりというか、出たり出なかったり、歩いていて悪化することはなかった。身体の調整力みたいなものがあるように感じた。
距離はたぶん10kmを越えて13~14kmくらい歩いた。3時間。頑張った!


歩き出した頃、上野公園の木々に夕陽が当たっていた

案外すんなり歩けて、ちょっと嬉しくなる。身体って適応するもんだなぁ。
でも倍にして30km越え。三倍にして90km、100kmまでさらに10km。一体歩けるものだろうか?


マティス展@東京都美術館は、気づけば8/20が最終日。
マティスの絵をそれほど好きだったわけでない、嫌いでもない。それほど関心を持っていたわけでない。ただ観てきた友人が「良かった」とおススメしてくれたので行くことにした。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_matisse.html

展示は8パートに分かれ、充実した内容。彼がどのように絵を始め、生涯を通じてどのように作風を変えて、どこへ到達したのかがわかるようになっていた。
アンリ・マティス(1869-1954)は、最初に法律関係の仕事についたが、病気になりしばらく休養したときに母親が渡してくれた色鉛筆セット、"これこそ自分がやるべきことだと思った"という。そんな啓示的な出会いか。基礎訓練を経てギュスターブ・モローの学校へ入り(モローは私が20代のころから好きだった画家、パリの元自宅がそのまま美術館として公開されている)、印象派の影響を受け、キュービズムの初期段階を成した一人であるらしい。その経験を通じて自分独自の絵を探求。同時期には第一次大戦・第二次大戦にあたり、素材としては自然を描き、線と色を追求して画風が確立された。

ニース近くヴァンスに居を構え、晩年にはロザリオ礼拝堂のデザインを行った。デザインのためのデッサンや資料のほか、映像ではステンドグラスや光を受けた礼拝堂の内部が時間によってうつろう様子が紹介されていて、明るくシンプルで平和な雰囲気が伝わるよう展示されていた。礼拝堂の入口の上に掲げられた『聖母子』は、シンプルなラインで描かれている。それは、太い筆で描かれたもの。パフォーマンス習字のような、即興性を感じる作品だった。
確かなデッサン力があれば、下手うまに見える線画が描いて作品になる。それだけそぎ落とした線。そのうえでさらに、即興性があり、一筆書きのような絵。本当に線を突き詰めたんだなと感じる。

そして色。ロザリオ礼拝堂は黄色と青。それも吟味した色。地中海南仏の明るさを現わしている。ジャズという一連の切り絵シリーズにも色の選択・組み合わせの妙が光っている。その前の時代に描かれた油絵で確立した配色だと思われる。
ロザリオ礼拝堂の仕事は彼の集大成ともいえるもので「自分が選んだのではない、運命が私を選んだ仕事だ」という言葉を残している。やっぱり、何かを探求して到達した人は、最後に天に与えられた仕事をする(と思う)のだなぁ。

終わってから20時まで空いている古代メキシコ展に行こうかとも思ったけれどちょっとやりすぎな気もするし、また混雑しているようなので先送りした。会期は9/2まで。いつ行けばいいか? 8/22(火)朝イチかな。マティス展のチケットで100円割引を忘れないようにしよう。

■ニュースから
・世界チェス連盟、トランス女性の女子大会参加を一時禁止

チェスは、国際オリンピック委員会(IOC)によってスポーツと定義されている。元々はインド発祥のボードゲームの一種。ペルシャ・ロシア・ヨーロッパへ伝搬したそうだ。個人的にはイギリス紳士が女人禁制のクラブでチェスの駒を動かしているイメージがある。トランプをつかったブリッジ、コントラクトブリッジなどと似て、男性のたしなみとされてきたイメージがある。

トイレ問題や自転車レースで話題になっていたが、ここでもトランス女性が参加できるか、できないかが課題となっているとは。
あまり線引きをはっきりさせず、この際、性別を問わないリーグを作ったらどうか。レスリングで体重別クラスの他に無差別級があるようなもの。これまでの経緯から性別を分けていたのだろうが、そのことが邪魔になっているのではないか? もちろん無視できないから2年も時間をかけて検討するというのだろう。

全体を変えるというより、風穴を開けるため性別問わないリーグを併存させたほうが早そう。白黒はっきりさせることを同時代の関係者全員に強いることは軋轢あつれきを生むだけに思える。

20230819 Sat.

ううっ、だらだらしてしまった。
夕べ洗濯して干してあるし、起き掛けにシャワーを浴びて、気になっていた動画を見始めたらダラダラコースへ入ってしまった。

昨日10数キロ歩いた疲れもある。ダラダラ休みたい、と身体は言っている。

日差しが強く、湿度は高いわけではないので(低くはないが)、クローゼットの服を虫干しした。第二弾。あと2回やる必要があるな。

一旦クローゼットから出すと結構な量があり、全てこれをまた入れるのか?という疑問が出てくる。着ない服もありそう。断捨離までとは言わないが、絶対着そうも無ければ何か次の場へ持って行くべきだろう。

で、外に出したままになり、部屋のゴチャゴチャ感が極まりない。

一方で、以前よりスッキリした状態を求める意識が強く働いている。ちょっとした乱雑さが気になる。とても乱雑な部屋になっているが、このスッキリ感を求める気持ちを大事にしてみよう。片付いているところは徹底的にそれを追求する。乱雑なところは早めに整頓する(つもり)。


明日、友人が近くまで映画を観に来るそうでランチすることになった。こういった交流があることは嬉しい事。お喋りを楽しもう。何について話そうか。お金も心配になるけれど、払う価値があるものを探そう。


今日は、実は高校水泳部の集まりがある日だった。
毎年有志の方々が力を入れてOB会を開催してくださっている。それなのに、同学年の集まりにも行きたくない私は、LINEに誘われても応答さえしない。

毎年この時期に集まりがあり(8月第三週土曜日)私は出にくかった。結婚しているときはお盆の次の土日で何かしら用事があったり家を出にくい、そうでなければ実家との夏休み旅行。たまに自分の誕生日に重なった時などわざわざOB会へ行きたいとは思わなかった。

人から見たら、かたくなにコンタクトを避けている状態。中学や大学同窓会の幹事をやっている立場から、そういう人が困りものだとはわかる。それでもこの件は、みんな楽しくやってくれ、私のことはほっといてと思う。

20230820 Sun.

なんとなく順調に眠ることが出来ず、三時頃から起きてしまい本を読み、四時過ぎになって横になったが寝付けない。そこで、朝方の長距離ウォークをしようと意を決めた。

ルートを考えて、着替えて、4:50出発。
今日は15キロに挑戦。
いつもは街歩きの服装だが、今日は帽子、スパッツと短パン、Tシャツ、首にタオル(!)、小さなポシェットを斜め掛け、という出で立ち。
朝日がまぶしい。帽子だけでは除けきれない。サングラスを持ってくればよかった。

朝5時から歩いたり走ったり、犬の散歩する人がいるんだなぁ。
普段お会いしない人々とすれ違っている。年配の女性は概ね挨拶するが、40代くらいまでの女性は殆ど挨拶しないで無表情に通り過ぎる。男性は、挨拶しても返さない人が多い。が、時々しっかり挨拶する方もいらっしゃるので、ここは人を良く観る必要がある。

約3時間。
結構新鮮で楽しかった。


映画を観終わった友達とランチ、部屋へ来てもらってお茶して、彼女はそのまま上野の西洋美術館常設展へ行くという。いい流れ!


8.22も良き日らしい。
8/19-23も良い運気の流れなのだそう。
誕生日前後、何となく流れが気になる。今年は誕生日に特別何をしたいこともなく、私は一体どう過ごすのだろうという状態。


フィリピン残留日本人の日本国籍取得に関するドキュメンタリー
河合弘之さんという弁護士の企画『日本人の忘れ物』https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08V8952Y4/ref=atv_hm_hom_c_tGLUd1_brws_12_1?jic=8|EgRzdm9k

NHKアナウンサーだった加賀美幸子さんの落ち着いたナレーションによって、内容に説得力を持たせている。NPOの長年の活動から、それに呼応したフィリピン政府・UNHCRが動き、日本政府に働きかけてフィリピン在留日本人のなかで日本国籍を取得できて救われる人が出た。そのプロセスを紹介している。
どのような困難があったか、中国残留孤児との違いはなにか、フィリピン政府からの働きかけに対して日本政府はどう対応したか。本質的な日本側の問題点はなにか。

日本政府は、中国・満州国に置かれた残留孤児に対しては、戦争状態においては国民がガマンせよといったり、フィリピンにいる在留日本人に対しては(無国籍状態になっているにも関わらず)長らく国交正常化しているので保護対象ではないとしてきた。

天皇の玉音放送を行う1日前、8月14日当時のこと。大東亜省はできるだけ現地定住という方針を出し、満州・朝鮮にいる日本人は日本国籍を捨てても支障なしと通達したという。うわ、そんなこと言っていたのか。
日本国籍である証拠、パスポート等は、フィリピンで迫害・惨殺される恐れがあり破棄したケースも多く、日本国籍取得のために必要な書類がない。フィリピン国籍も持たない無籍状態になっている。無国籍と認定されれば、それなりの罰則措置対象にもなる。

そういう人達の存在を知った日本人弁護士が、地道に活動を続けNPOを組織して活動継続し、ついにフィリピン政府やUNHCRを動かしたことで、日本国籍回復につながった。

満州国から敗走する関東軍もしかり、フィリピンにおける日本人に関する本国の扱いもしかり。パスポートを持っていても有事の際に守られない不安がぬぐえない。

20230821 Mon.

朝一、いつもの読書会で対話と共話(きょうわ、造語)について

A 今日の天気、
B いいねぇ
A ホント快晴・・・

このように進む会話が共話。

対話は、それぞれがフルセンテンスを話すイメージ。
A 今日は天気がよくて気持ちが良い
B 海まで行かない?

こう出たらこう返すみたいな。

対話が最適な場合もあるが、共話により生まれる場の質がある。

仕事場や正式な話し合いでは、対話スタイルが求められる。一方でコミュニケーションを深めたいとか、カジュアルな話のときには共話が心地よい場合もある。


読書会をしていると宅急便が来た。なんだろう? クール宅急便。
なんと夫からテーゲベック(ユーハイムのクッキー)、それも誕生日カード同封。
何年ぶりだろうか、誕生日カードを夫から貰うのは。
毎年私はクリスマスイブイブの誕生日にカードとプレゼントを渡していたけれど。純和風な家柄でクリスマスも意識しない、ということで、誕生日を祝うなんてことは私に対してはなかった。最初の2年くらいを除いて。

離婚届の記入を待っている私に、なぜこんなものを送ってくるのだろう。
どういうつもりなのか全くわからない。

可愛らしいカード

そういえば彼は、ご縁のあった年配のピアノの先生にもこういうことをして感謝されていたな。悪い奴ではないという印象を作りたいのか。


読書会を終えて、何気なくLINEを開き、大学時代の女友達のウォールが来ているなと見たら、なんと昨日友人が亡くなったとの旦那様からのお知らせ。

頭が追いつかない。どういうこと?

歩きに行きながら悶々とする。

なんで知らせてくれなかったのかな
今年は年賀状を出さなかった、連絡すればよかった
葬儀は家族のみというが本当にそうなのかな

彼女の誕生日は確か8月15日。そうか、お誕生日を迎えたあとだったんだ。
今日は私の誕生日。黙って旅立つなんて寂しいよ。


岡田斗司夫
この人の聞いているとどう受け取ったらいいか、どこを受け取るか、すごーく雑然として困る。という話を朝読書会メンバーにしたら、わりとみんなはクールに観ていた。
それをきいて私も再度Youtubeで流してみる。料理しながら。

この人はどこか頭良すぎる変人の部類なのかもしれない。


ちょっと気に食わないが、母が誕生日の今日は実家へ来て一緒に夕飯を食べようという。あまり来いとは言わない母。やはり私が離婚しようとしている故、一人で過ごすことを気にしているのか。

特段のメニューではなくて普通の夕飯。暑いのに作ってくれて、食後に葡萄などつまみ楽しかった。

20230822 Tue.

母と1週間遅れた墓参りに行った。暑い。だけど来週は旅行へいくので、その前に行っておきたい。母が炎天下歩いていくことの負担はいかばかりだろうか。もしかしたら近くまでタクシーで行った方が良かったかもしれない。などと思いつつ、途中休憩も入れてお墓まで歩いて1時間ほど。以前ならば40分くらいで来た道のり。

祖父母と父、お墓二つを掃除して、お花を供え、お線香をあげてひと段落。
祖母も85歳、86歳くらいまではお墓へ行っていた。いま母は84歳。

鎌倉の街へ降りていき、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ (café vivement Dimanche) へ行こうとしたが、お盆明け平日の今日も外で順番待ちしている人が3人いた。うーん、ダメか。次の策、納言へ行ってみる。夏はここの宇治金時。ちょうど17時直前に入り、そこでラストオーダーだったらしい。良かった入れて。

お値段変わらず700円ということに感激。底にたっぷり入っている小豆餡。これを食べると元気になる気がする。

シンプル 小豆がふくよかで美味しい

コロナ前には、カキ氷を食べると冷房と相まってキンキンに全身が冷えて辛かったが、最近は換気のため窓を開けつつ冷房しているのでマイルドな涼風。今年夏のルーティーンをこなした。


帰り道、さきほど甘味を食べたのに、さらにレモンパイを食べたくなりAux Bacchanalへ。先日、レモンパイをあれこれ調べたことも影響してマイブームになってしまった。それに夏だし。・・・完全に都合のよい理由付け。

メレンゲのつのが立っている

そういえば、紀ノ国屋のレモンパイについて記しておきたい。
私が小さい頃からあり、メレンゲが乗っていて好きだったのだが、もう作らないらしい。2,3年前、夏に販売され懐かしくて買ったけれど、その後見ないものだから今夏尋ねると「入荷予定はありません」と。重ねて今後もう出さないのですか?と尋ねると「作る予定がありません」と、詮無い返事。もう食べられないらしい。

60年近く生きていると、食べられなくなる美味しいもの、美味しかったお店が出てくるものだなぁ。

紀ノ国屋は、2010年に資本が全てJR東日本になってから、劣化が激しい。
昔からあったオリジナル品が消えている。たとえばホルシェンというパンは、いまは鎌倉店でしか出しておらず、青山店では全く見ない。かわりに全店に塩パンが流行っている。
全国の銘菓や弁当・惣菜が出回るようになり、紀ノ国屋オリジナル商品が少なくなっている。これなら成城石井でも、駅の駅弁屋でも、デパ地下でも買えるじゃないか。

そして店員さんの劣化も激しい。お客さん第一ではなく、店員さん都合が優先される。例えば通路を通るときに、お客が通るのを待つのでなく、店員さんが仕事で通るのを客が待つのだ。レジでの対応はマニュアル化されていて丁寧だ。2010年以前は見事だった袋詰めの技術は落ちている。

このサイト(↑)には、資本が変わったことや過去の株式会社紀ノ国屋の存在や合併経緯が掲載されていない。

私が思う紀ノ国屋で買うメリット 
  野菜(とくにセロリ・レタスが新鮮、その新鮮さゆえ質が高い)
  パン(イギリスパン、アップルパイ、ジャーマンアップルパイ、
     ドイツパン各種、ピタパン、サンドイッチパン)
  プディング(硬めなカスタードプリン)


20230823 Wed.

友人Rの葬儀が行われる日。
13時のアポは外せない。YeLLのサポーターとしての時間。
時間変更しようかと一度は考えたが、時間的には十分間に合うので、出かける準備までして予定通りセッションを行った。若干こちらのコンディションが良くなかったが、プレイヤーさんは意欲的で、彼にとって得るものがある時間になった。うーん、田中耕一みたいなエンジニアになりたいのか。

技術経営MOTとも違うようだし、彼の希望に応えるカリキュラムとか書籍とかあるだろうか?人間力と言ってしまえば大雑把過ぎるし、技術力をいかに高めて人を引っ張っていけるか。これは宿題だなぁ。

とにかく朝から、葬儀参列の準備をしたり、落ち着こうと何か仕事に取り掛かったり、落ち着かない。


最寄りJR駅に5人が喪服で集まった。そこからタクシーで火葬場へ。
おそらく通夜・告別式の葬儀は行わないスタイルなのだろう。私達は火葬直前にお会いさせてもらう。

もともと痩せているが、目のあたりがだいぶやつれて人相が異なるように感じた。遺影は私達が知っているRのイメージに近い。

急なことで、彼女の旦那さんと会うのも久しぶりで何とも言葉が出てこない。台車で運ばれてきて、もう棺のなかに入っていて・・・。
こういうときには、外向を指向する人の行動はありがたい。ひとりが彼女に話しかけたり、旦那さんに質問したりしてくれた。その流れで他の人からも言葉が出てきたり、間が持つ感じ。

私達との付き合いよりも、旦那さんとの付き合いを最優先にして、ホントに大好き同士だった間柄だった。1年間の闘病生活中、それぞれの兄弟含め病気のことを伝えていなかったらしい。私達が知らないのも当然だった。

私達が参列して学生時代の話を口にすることで、親族の方々が知らない面をお伝えしたり、亡くなる前のエピソードを教えていただくことにもなった。お互い補完することになり、参列はある部分押しかけていったようなものなので、プラス面もあって気が休まった。

わかったことは、彼女と私はお互い信頼もしていて仲良かったけれど、何でも話せていたかというとそうではなく、その理由は当時の自分のキャパシティが追いついていなかったらしいこと。

20230824 Thu.

プリゴジン氏が乗っていた民間小型飛行機が墜落したとのニュースを朝一に聴いた。はやくも殺られたか。
反旗を翻してモスクワ侵攻している、いや取りやめてベラルーシに行った、という反乱劇から2か月。

いやいやプリゴジン氏は実は殺されていない、と言っている人も居る。
そうかもしれない。影武者にしておくのかもしれない。

その可能性もあるが、たぶん殺されただろうなぁ。
ロシアがアフリカと関係を密にしようとしていることは事実。
墜落した飛行機から確実にプリゴジン氏の遺体と確認されるものが収容されたかは不明。


朝読書会を経て、古代メキシコ展へGo。東京では9/2まで、お盆時期も混雑していて入るのを躊躇した人気展示、朝早めに行こう。

その途上、山手線で受けたショック。会社の業務で大変お世話になっていたエンジニアの方が8/21亡くなられたとの訃報。8/21お昼頃にも、いつものように素晴らしい昆虫写真をFacebookに投稿していらした。その後の突発的な病死。

私の身近での訃報、これで最近3人目だ。
火葬場でお別れした友人と同じ病気で、実は今年の始めに亡くなっていたという学生時代のクラブの友人の話は7月末に聞いた。

そういえば、別な学生時代の友人から難病指定を受けたと4月下旬に連絡があった。その時はお見舞いを送ったりして電話で話せたので、声をきいて少し安心した。その後、彼女は元気にしているだろうか? 彼女は学校の先生、まだ夏休みだろう。気になってショートメッセージを送ってみた。すぐ返信が来た! おお、嬉しい、元気そうだ。さらに秋に遊びに来るかもしれないとのこと。


古代メキシコ展@東京国立博物館

面白い。
中米(メソアメリカ)にて、まずテオティワカン文明(紀元前100年~A.D550年)が生まれ、その後、アステカ文明(A.D.1325-1521)。
中米の東側で、3000年にわたってマヤ文明(B.C.1400-A.D.1697)。

旅行へ行きたいとずっと思っている中米。しかし時間と費用、そして同行者がいないと行けそうにないという理由でずーっと行けずにいる場所。

マヤとアステカは知っていたけれど、テオティワカンって知らなかった!

展示は、発掘された品々が並び、それらがどのように祭祀などで使われたかという解説がわかりやすく添えられているほか、ピラミッドや遺跡の写真・地図によって、その場に来たかのような臨場感を感じられるように構成されていた。

すべて写真撮影できる。撮影しだしたらキリがない感じ。
自分にとって特に印象に残ったものは、トランペット・文字だった。

1)トランペット
トランペットという展示品タイトルだが、これ法螺貝でしょという品物。
このような大きな貝が取れたんだなぁ、そして細くなった部分を切って、ここから息を吹き込んで音を出していた。トランペットの元型はここにあったのか。
そして地理的に遠い日本では山伏が鳴らしている。どちらも祭祀・祈りと関係がある。

長さ40cm近く 表面に絵が彫られている

2)文字
文字は表音と表意を左右に組み合わせたもの、まるっこい文字だった。これは楔形文字や、現存するアルファベット、イスラム圏の文字など直線が多いなか、この丸さはちょっと珍しい。
直線でなく曲線であることが、人々にどんな影響を及ぼしていたのだろう。いや、人々がどのようであったから曲線文字となったのだろう。

曲線をつかった文字は、何か意識の深いところで直線文字とは異なる影響があるだろうか


福岡にある九州国立博物館にて10/3-12/10に開催されるそうだ。
大阪では国立国際美術館にて来春2024/2/6-5/6開催。


昨日葬儀に立ち会った友人夫婦は、これらの遺跡へ何度も行っていた。現地へ行くこと自体にサバイバル要素があり、やっとのことたどり着いた遺跡を見て受ける感慨はどんなものだっただろうか? 彼らは人生を探検しチャレンジしたのだなぁと改めて思った。


緑地がどんどん減っている、樹木がバサバサ切られてる

日比谷公園の開発、築地、京都や神戸、あちこちで「”再開発”による緑の伐採・それに反対する人々」という構図がある。


100kmへ向けたトレーニング
今日は16km。早い時は1時間4-5kmのペースだが、ちょっと写真撮ったり、信号で止まったりすると、簡単に1時間4kmを切ってしまう。1時間3km台ならば絶対に制限時間26時間を越えてしまう。

余裕ある人は1時間5-6kmのペースなのだろうな。でもその速さをキープするのは恐らく難しそう。

いまのペースをアップさせるためにどうしたらいいか

1)歩幅を広げる
・骨盤をもっと前後に動かす
・重心をまっすぐ中心において、足の運びを極力直線的に前後させる(左右に振れない)
・腕を振る(ことで歩幅が広がるのでは?)

✖やりすぎると、足のどこかに負担かかかり傷んでくる。膝とか、足底とか、親指とか、腰とか。

2)止まる時間を減らす
・写真を撮らない
・赤信号、どうしたらいいか? 歩行スピードを調整して赤で止まらず平均的に歩く? 赤でない方向かつ斜めに歩く?
・水や食料補給、汗拭きの動作を簡便に行うよう荷物配置する

✖頑張りすぎると、いまのほどよい身体バランスが崩れて頑張りすぎた弊害が出るのではないか?

ん-、わからん。
でも今のペースより一段、二段、気持ちをギアアップした方が良さそう。練習として5kmペースで長時間歩行を何度も行うのがよいかもしれない。

あとは
・靴
・帽子

今日は2足持っているうちのグレーの靴。エアクッションはない。黒と同じサイズだけれど少し小さい。黒はエアクッションが適度に抜けて膝への衝撃が減ってきたが劣化激しい。ウォーキングに使える靴はこの二足。
高機能の靴を買って、膝や腰に支障が出ても困る。どうしようか。

帽子は手持ちのものでいくか。キャップが似合わない大きな頭と顏。あるいは、フードとラン用マスクを使うか。


古代メキシコ展後、本格的に歩く前に、浅草のレモンパイのお店、その名も"洋菓子レモンパイ"へ行ってみた。「レモンパイといえばココ!」という定番のお店らしいが、不覚にも知らなかった。
お店は開いていてレモンパイもあったが、イートインを中止していたので、迷いつつ1個購入。たしか近くのコーヒーショップへ持ち込みさせてくれるというので、探して行ってみた。

台東区寿 石川コーヒーにて

とても感じよくて美味しいコーヒーだった。
レモンパイは、ほんとに昔ながらのメレンゲが乗り懐かしい感じ。

そこから16km! 日中炎天下に頑張った。

■ニュースから
・昨日23日、慶應107年ぶり高校野球優勝、楽しい野球で@甲子園

神奈川県出身の私としては県代表が優勝して嬉しくもあるが、OBOGの応援など揶揄したいこともある。明るい野球~近いものでいえば青学の駅伝~を実践して文武両道で優勝したことは素晴らしいと思う。同時に「先々それに溺れるなよ、あんたら奢るなよ」と思ってしまう。大学に対する偏見なのだけれど。まっすぐに成長してもらいたい。

・22日からアフリカでBRICS会議

BRICSサミットで、一気に6カ国を新しく加えることが決定された。エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、アルゼンチンが2024年1月1日から正式に加盟。多極化した世界を体現する形ともいえる。彼らの振る舞いや、欧米の対応の仕方により、彼らを第三軸にするのではなく、多極化させることが重要だと個人的に思う。

・今朝のプリゴジン暗殺?
ほとんどの人がプーチンにやられたと思ったニュース。それだけ明白というか、オープンに見えていること自体がなんとも今どき。
しかし20日はアフリカにいるプリゴジン氏のビデオメッセージがあり、アフリカ大陸における覇権強化に自分が貢献していることをアピールしていた。その人を暗殺するのだろうか。
一体何がフェイクで何が真実か? ブリゴジンを暗闇に隠してさらに暗躍させるため?

・ウクライナ独立記念日
ロシアが「ウクライナは国ではない、主権国家ではなくどこかの属国だ」と見做す権利があるのだろうか。それは、アメリカが過去ベトナム・イラクなどにやってきたこと、ヨーロッパの国々がアフリカやアジアに行ったことと同じ。


8月は戦争の話を多く見聞きする。今年は、戦争体験者の話だけでなく、若い30代前後の人達の取り組みを聞いて嬉しくなった。

戦争関連の話で、一番悲しく情けないのは「戦争を体験した世代が少なくなり、戦争の悲惨さが伝わらない」と決めつけた言い方がまかり通っていること。そんなことない。私も体験していないし、実体験がある人とは違うレベルだけれど、その悲惨さは感じている。それを伝わらないと言い切ってしまうことはとても罪深く思う。

30代前後の若い世代が戦争体験について、デジタル化・アーカイブ化しているそうだ。題材は、シベリア抑留・東京大空襲・沖縄本土戦など。証言のデジタル化により眠っていた資料にアクセスできるようにするとか、ARで実体験に近い感覚を持ってもらうなど。私にもアクセスできるサイトがあるのだろうか?


20230825 Fri.

朝読書会しているメンバーに、亡くなったRとの話、私の認識変化について話をしたら共感してくださった。有難い。

<出会い直す、新たにその人と出会う>

自分が器だとしたら、その間口も深さも変わっていく。
相手もそうだ。
微々たるものでもそれらが変わっていくだろうことを希求している。

器は、その日その日のコンディションによっても違う。
だから毎回新鮮な気持ちで相手に出会い、過去の出来事に囚われず、過去の自分に囚われず、新たに出会いたい。出会い直したい。


午後、ウォーキング用のスパッツを試着・購入するためにワコールのお店へ出かけた。

100km Walkは準備すれば出来そうだし、準備や当日コンディションが悪ければ出来なさそう。

準備するものは、身体自体と物品。
身体は、歩行筋力や循環器機能をトレーニングすることで準備する。
物品は快適に運動するため。帽子・サポートスパッツ(自信がないので助けてもらう)・シューズ・水、行動食。大会事務局から指定された必要物品。スマホ(+バッテリー)、ヘッドライト。
そして物品と身体の調整。靴と足のサイズが合っているか、靴と歩き方が合っているか、物品を使いやすく配置できるか、靴擦れなどの手当物。

この中で靴が一番ウェイトが高いと、どの体験談にも書かれていて、練習していると私もそう思うようになった。そしてスパッツも必需品とされている。いま手助けになるものは欲しい。

試してみて、11000円の膝サポートタイプと、16500円の膝・腿・腰回りサポートタイプがあった。前者を購入するつもりだったが、試着してみると、確かに太もものサポートがあることを心強く感じたので、そちらに決めた。"わらをもすがる"心境(笑)。

その他、上に履く短パンなども試着させてくれたけれど、あまりピッタリこないので今回は止めておいた。

大会参加費並みに高いスパッツだなぁ。
今後、山登りなどでも使おう。今回達成できたら、他の100km Walkに参加するかもしれないし。

今日は歩くトレーニングはしない予定だが、なんだんかんだ6km歩いた。この距離のハードルが下がった。

20230826 Sat.

明日出発で、母と旅行へ行く。旅行会社のツアー旅行で、出羽三山めぐり。うまく運ぶか落ち着かない感じ。
それと暑くてけだるい感じ。

いずれも焦点が定まらず、有益な感覚を持てない時間が過ぎる。

亡くなったRのことを考えたり、そのうえで私はどうしようかと思ったり、この流れで出羽三山へ行くことの意味を考えたりしていた。
意味ねぇ。意味づければ自分を仕向けることができる。傍から見たら目的に向かって進んでいるように見える。実際そういう人を羨ましく思う。
でも自分で意味づけをつけてもちょっと違うように思う。

微妙な違いだが、
・大きな流れをわかっていて、そのなかで無心に動くこと
・大きな流れ、そこでの目的に向かう行動を選んで行うこと
その違いかなぁ。

目的を意識して向かったところで、結局、そうはうまくいかないとか、他の要因があったりする。
すべてを計画するだけの才覚がない私には、無心に動く方がやりやすい。


前日に誘われて、、、なんということか。
世田谷美術館で開催されていたシャガール展へ出かけた。
招待券を手元に持っていた方が昨日気づいて、それを神奈川県からデジタルポスト便で送ると、あら不思議、24時間経過せずに東京都杉並区へ昼過ぎに届いた。受けとった友人と美術館前で待ち合わせて鑑賞。

マルク・シャガール 版にしるした光の詩
神奈川県立近代美術館コレクションから@世田谷美術館


だいぶ前にシャガールの大がかりな展示を見た記憶があるが、それは油絵中心だった。

今回特に印象に残ったのは、①寓話の挿絵 エッチング ②ダフニスとクロエ カラーのリトグラフ ③サーカス 油彩。

https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/images/sp_upld00729.pdf

意外と混んでいて驚いた。
翌日が最終日ということもあるのだろうが、こんなに人気があるんだ。

ロシア生まれのユダヤ人、マルク・シャガール(1887-1985)は世界が大きく動く時代に生き、それにより自分自身の生存が何度も脅かされる人生だった。パリ、ベルリン、ニューヨークへ住まいを移し、彼の人生が世界の動きと密着して展開し、作品が生みだされた。
絵の色やモチーフから受けるものと、彼の人生とを重ね合わせると、簡単に表現できないものを感じた。

充実したシャガール展、さらに他にも展示があった。こちらは花岡安治(『暮らしの手帳』編集長)や、岩波の雑誌『世界』に寄せられた挿絵。これらも興味深い。目次などに使われる挿絵に手描きの味がある。大正時代や昭和初期の雑誌の目次は、項目を見るだけで興味深い。満州について、戦争について、地震など自然災害についてこんな議論があったのか。


最寄り駅の用賀へ向かったのは夕方、地域の夏祭りが開かれていた。
子供や大人が大勢集まり楽しそう。
今年は各地で花火や盆踊りに人が集まっているが、ここはステージがあり、屋台があり、子供向けには遊び、ヨーヨー釣り、射的、輪投げなどがある。子供はこういうのがあると嬉しいよね。それらを若い人達がスタッフになって催しているようだ。
おそらく武井浩三さん達の仲間だろう。素晴らしい!

美術館を出たときの空。夕方なのに、まだあちこちで入道雲が育っていた


20230827 Sun.

東京駅日本橋口の待ち合わせスペースには、クラブツーリズム・阪急旅行社、他にインド人の団体など、さまざまなグループが集まっていた。母も順調に到着。

普段ツアーに参加することはないので、お作法に緊張している。
待ち合わせスペースは天上が高く広いが、外気が入ってきてむわっと暑い。出席チェックをしてからまだ15分はあるので、近くのスタバで涼もうとした。が、そこも気持ち涼しい程度だった。

わさわさしたまま新幹線ホームへ行き、やっと座席で落ち着く。

出羽三山 DAY1
東京駅 -- 米沢駅 -- 羽黒山・天地金神社[仮遷座の大国主命と須佐之男命を参拝] -- 羽黒山・出羽神社[三神合祭殿を参拝] – 鶴岡(泊)

羽黒山 出羽神社の鳥居 ・ 天地金神社 ・ 羽黒山地図
山全体が祈りの場
参道のスタート地点 ・ 最終地点 ・ 最終地点の鳥居
階段は2446段あるそうだ(私達はバスで迂回)
出羽神社の三神合祭殿(羽黒山、月山、湯殿山)
その前にある上り龍・下り龍が守る前池

先達にお会いしたいが、お会いできたらラッキー、どうかなぁ。母に先達と会ってもらいたいなぁ。
三神合祭殿前の池に、先達が寄進したお名前を発見。
今朝の地元新聞に山伏修行が催行されている旨、記事があり。偶然お会いできたらと期待しているが、ここでお名前拝見したので無縁とではないはず。

出羽三山は、羽黒山(現在)・月山(過去)・湯殿山(未来)を現わしているという。
まず今回、母とここへ来られたことを感謝。

遠くに鳥海山、稲田が夕陽に照らされてた
沈みゆく夕陽
その後の夕空、山形の空は広い

20230828 Mon.

出羽三山 DAY2
鶴岡発--<鳥海ブルーライン/絶景ドライブ> -- あがりこ大王などブナ林散策[歩行約2㎞・約1時間 標高差60m 木道と一部石づくりの道] -- 元滝伏流水 約2㎞・約1時間 標高差20m]-- 鳥海山五合目・鉾立展望台-- 山居倉庫[ケヤキ並木と黒壁の倉庫群] -- 酒田[湊町]夕食—鶴岡(泊)

この日は天気が下り坂という予報だったが、晴れた。

ブナ林を地元の植物に詳しいガイドさんと一緒に歩き、あれこれ植物のことを教えて貰う。木道を辿り、推定樹齢300年"あがりこ大王"と名前がついた大きなブナの木を見て戻る。木漏れ日に、ほっとする。

木漏れ日は心にやさしく映る。木道を歩いて、あがりこ大王と名付けられた大きなブナの木へ
鳥海山の地形的な特徴・植生を教えて貰ったり
キノコや花を発見したり
昔使われていた炭焼きドームを見学

母は木道を一歩一歩確かめつつ、スティックを一本持って歩いた。景色より木道ばかり見ているとぼやいていて、かなり必死な様子。でも息が上がるわけでもなく、汗だくになりながら、途中時たま風が抜けると気持ち良いと話していた。

鳥海山の溶岩の間から滲み出してきた水
澄んでいて冷たい
何万年あるいは何十万年もかかって滲み出てくるそうだ

ブナ林の次は、元瀧へ。
ここも足元に根っこが出ていて足の運びに注意を要するが、瀧の近くは明らかに空気が違い、マイナスイオンいっぱいだった。

まもなく元瀧
元瀧

お次はさらに登って鳥海山五合目へ。部分的に雲がかかるものの、山頂が見える瞬間もある。
あちこち連れて行ってもらえるツアーのありがたみよ。

鳥海山五合目展望台からみる谷と山頂

山形県は東北だからというイメージに反して気温は高い。30℃はありそう。

緊張したブナ林と元瀧、母も私も転ぶことなく戻れて安堵した。

最後に、米蔵が並ぶ建物、山居倉庫を散策。
鳥海山からみて、庄内平野が広大で、ほとんど稲田であることが見て取れた。その豊富なお米を収穫して保存した倉庫。温度を一定にするようケヤキの木を西側に植えて日陰をつくってある。倉庫の屋根は二重にしてあり、空気が抜けるようになっている。

山居倉庫脇にある神社のしめ縄が俵型

バスガイドさんの話がとても充実していた。
松尾芭蕉の紀行文を暗唱してくれたり、山形の食べ物や歴史について、要領よくわかりやすく印象に残るような話。
押し付けがましくなく様々な情報を披露してくれて、道中みんなに配慮してくれたので居心地が良かった。ツアー初心者だからか?感激! 何となく、庄内地方の質実伴う真面目さと郷土愛を形にしていらっしゃるようで、素晴らしいと思った。

夕食を食べた後、バスから瞬間的に酒田の海に沈む夕日を目にすることが出来た。
出発前は天気が心配だったが、なんだかんだ好天で、タイミングもよい!

20230829 Tue.

出羽三山 DAY3
鶴岡 -- 月山・八合目[弥陀ヶ原湿原 [歩行約2㎞・約1時間 標高差60m 木道と一部石づくりの道] -- 湯殿山・仙人沢[出羽三山の奥の院。撮影禁止・口外禁止の聖地/約70分] -- 道の駅おみやげ -- 米沢駅 -- 東京駅

母は頑張った。
月山は駐車場から八合目にある神社までまず歩く。そこには兎をかたどった石像があり、卯年生まれの母にとって来るべきところへ来たという感覚もあったようだ。珍しくお守りを買っていた。

鳥居の向こうに月山の頂上

その後、弥陀ヶ原湿原はなだらかな登りと下り、木道や石造りの道があり、注意を要する。

月山を下って間もなくゴールへ到着する頃、反対側から登ってきたおばあさんとオジサンとすれ違った。そのおばあさんも、かなりのご年齢のようだったので「こんにちは、お元気ですね。こちらの母は卯年です」と声を掛けたら先方も卯年とのこと。「同じ卯年でも年齢が違うでしょうが・・・」とおっしゃるので母が「私も84ですよ」と。そこでひとしきり二人が話始める。「山に昔はよく登っていたのに、コロナで元気なくしていたら、この人が誘ってくれて・・・」「私はぜんぜん山何て登ったことなくて」「ボクはツバメなんです。この人、全然出なくなっちゃって」「誘ってあげたのね、偉いわ」「私はね、五十嵐っていうんだけど」「そうそう、下りの五十嵐」「そう、下りは強くてね」等。「お互いお元気で」といって別れた。

卯年84歳同士の出会い

月山で、同じ卯年84歳が出会うとは、すごいことじゃないか! 二人とも同輩に会いとても話が弾み、エネルギー交換していた。

うん、大聖坊の先達にはお会いできなかったけれど、この出会いがあったからいいのかもしれない。

山形の田んぼや山道に、商業広告が全く立っていなかった。それがとても美しかった。自然の景色だけを見せてくれる。

日本海
鳥海山


20230830 Wed.

旅行について
1) Rのことから始まった、出会い直すこと
2) 現在・過去・未来を象徴する神社をまわり生まれ変わるという趣向のお詣り
3) 母が卯年ご縁年にお参りできて、12年分のご加護を受けたことへの安堵。頑張って母が歩き通したことへの感嘆と安堵
4) 山形という土地の発見と探求。自然と共に暮らすあり方が大切にされている土地柄らしい、山・空・海が美しかった。

母は相当疲れただろうな。
今日は元気にしているだろうか? 予定は入れていないということだったが。

バスガイドさんが紹介していて、目にしたら即座に買ってしまったものが「からからせんべい」。結構高かった! 楽しみに開けてみた。

からからせんべい

山形県鶴岡市は、江戸時代、庄内藩・酒井家が統治。お殿様が甘党で様々なお菓子を作らせていた。そのひとつ。

黒砂糖を使ったおせんべいを割ると、中からミニ民芸品が出てくる

お店のHPによると、民芸品入りと子供向けおもちゃ入りがあるって。

元禄期(1688年から1703年)の江戸で売られた大黒煎餅が起源とされる。この煎餅では、中に入っていたのが木彫りの小さな大黒であった。それが中にさまざまな玩具を入れるようになって全国に広がった。

Wikipedia

明治時代にも駄菓子として人気があり、大正末まで盛んに食べられていた。中に入る玩具は時代とともに移り変わりがあるが、焼き物、鉛、ブリキの小さな模型が多かったようである。子供がわずかな小遣いで煎餅一つを買い求めたのに、大人は袋入りで買い求めた。脚気に効くと言われた時期もある。
昭和に入って廃れ、姿を消したが、山形県鶴岡市で伝統駄菓子として作られ続け、土地の名産になっている。また、山梨県甲府市では、伝統的な祭りである大神宮節分祭の名物として、今でも親しまれている。

Wikipedia

夜に歩いた。
18:30-24:00。初の20km越え。
都電を横切ったり、坂を登ったり下ったり。結構面白かった。

20230831 Thu.

夏の最後、ではなくあくまでも8月最後の日。
昨晩、5時間25キロ歩いて脚全体が筋肉痛。ほぐしながら過ごそう。
18時半から24時まで歩いたので、今日の夜中で丁度24時間経過することになる。筋肉痛があるとしたら、今日の夜から明日午前にかけてがピークになりそう。

先日購入したcw-x、膝や太ももや腰をサポートしてくれるスパッツを履き、小さなリュックに水・飴などを入れて歩いてみた。概ね良さそう。なるべく時速5kmを大きく割り込まないようにペースを保つよう心掛けた。

夜歩いていて、どこかで職務質問されるかしら?と思ったけれど、警察官に会うこともなく何事もなかった。20kmを前にかなり疲れが溜まったが、気分転換をすることができれば25kmは歩ける距離だと感じた。最後はクールダウンも兼ねて、マイペースで。

時々、足の指や足底筋が痛くなるが、重心のかけ方を前すぎないように調整したり、みぞおちを意識して重心を引き上げるようにしたら、痛みが一旦は去ることがわかった。身体と相談しながら歩き方を調整する、そういう感じだ。痛がっているのに無理をするのではなく。


午後、足の回復を兼ねて交通機関を使って銀座へ。
高島屋で開催されている展覧会『高野光正コレクション 発見された日本の風景』~9/3(日)

高野光正氏は存命の実業家らしい。明治後期から大正時代にかけてアメリカで売られた日本人画家の絵を沢山買い集めているらしい。つまり海外から日本へ買い戻していることになる。加えて当時来日した外国人画家が描いた絵も収集している。

日本の画家といえば、岸田劉生、黒田清輝、東郷青児などが教科書に載っている。
五姓田ごせだ義松よしまつなんて初めて目にする。小山正太郎。笠木かさぎ治郎吉《じろきち》。

彼らの絵は日本の仏閣を描いていればその風格や重みが伝わってきて、風景を描けば美しい生活と一体となった自然がそこにあり、人物を描けば人柄や、その場の雰囲気が伝わるようなのだ。水彩画、一部油絵。水彩といっても油絵に近いような色の深みや厚みがある。

明治初期に日本に来たイギリス人画家から西洋画を学んだ人達が中心。そこでデッサン、遠近法、画材など、日本画と異なるものを学んだらしい。そして学んだ人達が、さらにその次の世代を教えていった。そのような二代、三代にわたる作品が100点あまり展示されていた。デパートの中と思えないほどの見ごたえがあった。

明治時代の庶民生活の一場面などは、外国人画家の絵により生き生きと伝わってきた。貧しいと括れない、ある種の生活の豊かさが感じられる。外国人が日本にきて素晴らしい国だと驚嘆したことがわかるように思う。

京都国立近代美術館が協力していることや、企画そのものを千葉市美術館の館長さんが解説しているビデオもあった。これから大阪で展示されるようだ。大阪 9月6日(水)→25日(月)@高島屋

https://www.takashimaya.co.jp/store/special/japan_landscape/index.html


その後、ワコールCW-Xを購入したお店へ再度行きフィッティングを見てもらう。

先日初めて着用して5時間歩いたときに、ちょっと言いにくい変なところが擦れていたのだ。シャワーを浴びて気づいた。
書いてしまうと、肛門の周りの皮膚。お尻の肉がむちむちとスリ合わさったのだろうか。擦れてしまった。その原因がよくわからない。

スパッツを身に付けたところを見てもらうと少し膝がずれているようだった。擦れた原因はわからないけれど、とにかく膝と腰の位置を合わせて、しわが寄らないように均一にすれば良さそう。
文句を言いにいったわけでないけれど、店員さんが防衛的に応対するので、こちらの伝え方がまずかったのかな~と気になった。よくわからないけれど、まずは今日教えて貰ったポイントを押さえて、また試してみよう。

今日は大人しく地下鉄に乗り帰途へ着いた。
暑くてしんどいくらい。


Rのことで思った「人と出会い直す」ことについて考えをまとめてSNSへ投稿した。本当は旅行へ行く前に書き終えたかったのだけれどまとまらなかった。書くべき時期を過ぎたような気がしたが、どうしてもこれはまとめておかなくてはと、ギリギリ23時半過ぎに投稿。

《人と会うとき、そのときそのとき出会い直そう》
人としての器の間口も奥行きも変わっていく。だから惰性でなく新たに。

思いのほか、手ごたえのある反応が返ってきてホッとする。
言いたいことが伝わったらしい。
言いたいことを受け取ってもらったらしい。


寝付けなくて遅くなり、寝ても途中で目が覚めたりした。ふと見ると、窓から月、満月が見えている。先ほど外に出たときは雲がかかっていたが、いまはハッキリ見える。
拝みたい気持ちになり、月をみてなぜか安心して寝付いた。



内的に色々なことがあったからか、
身体を動かすようになったからか、
旅行へいったためか、
暑くてぼーっとしているためか、
半月前のことがずっと遠くに感じる。

心の心象風景が変わった感じ。

バラバラと書き散らしている。日常生活や世の中のニュースについて思ったことの断片や、旅行やコンサート報告のようなことを。考えをまとめ、ぼんやりした頭の中を意識してみることができる。
自分と私達に関する、内面と外面を記述しているつもりだ。

なにせ感じることは多感なのだが、その先、脈絡がないことが多いのだ。書くことで何かまとまっているはず。それが人生が積みあがっていく気がしない私にとって、何か積み上げになると嬉しい。

何が生を満喫することなのか定まった答えはないけれど、脊髄反射だけではない人生にしたい。

Corrected and revised without changing the purpose of the text at Sep. 7.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?