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痛みの数だけ人は強くなる。

最近何かと話題にしていただいたりする機会が増えてきて皆さんから温かいメッセージを沢山いただくようになりました。時には面識の無い同業者の方からも連絡をいただいたりもします。自分の存在で明日も頑張ろうと思ってもらえるようになってもらえたら僕は嬉しいですし凄く光栄です。

正直言って自分の苦労話や貧乏話でお涙頂戴みたいなことはあまり好きではありません。僕のこれまで伝えてきた話は確かにリアルです。だからといってそれに縋って生きていくことはしたくありません。それを盾に言い訳をしたくもありません。常にサッカー選手としてのピッチでの価値や評価だけで生きていくべきだからです。

だったらこんなこと書いたりする必要はないのですが僕自身は常に誰かに支えられパワーをもらってここまできました。誰かの何気ない一言に救われたり、誰かの存在に救われてきたという事実があります。だからこそ自分もそうでありたい。ただそれだけです。

多分、僕がこれまで生きてきた人生は他の人よりも沢山の痛みを経験してきました。人から否定され続けること、家族のこと、サッカーでのこと。数え切れない程の痛みを伴って生きてきました。だからこそ僕は人の痛みに寄り添える人間でありたいと思っています。

自分1人で乗り越えていけるほど僕は強くなかったですし、いつも誰かの存在に立ち向かう勇気をもらってました。一度傷ついた心の傷は決して簡単に消えることは無いですし、今でも心の痛みは1つ1つ覚えています。

優しさは決して弱さではありません、強さです。社会に出ると優しい人ほど痛みを伴います。痛いほどその気持ちは理解できます。でも大丈夫です。本当に強い人間は優しい人間です。僕はそう信じています。

残酷ですがどんな時も明日はやってきます。何度も明日がやってこないでほしいと本気で願う日々を過ごしましたけど人生は続いていきます。少し止まって一休みすることは凄く大事です。ただ止まりすぎたらもう戻れなくなってしまいます。だから何かに縋ってでも立ち上がって一歩でもいいから前に進まなければなりません。僕の人生はそんなような繰り返しでした。

僕が特別強いのかと言われたらそんなことはありません。何かがある度に落ち込むし不安になるし、しんどくもなります。どんなに乗り越えてきてもそこは変わりません。だから皆さんと同じように日々色んなことと戦いながら毎日を過ごしています。

そして何よりも社会は自分の痛みが安らぐまで待ってくれるほど寛容ではありませんし、痛みに寄り添ってくれるほど優しくありません。残酷ですが現実は厳しいです。いつまでも痛みを盾にして怖気付いてる訳にはいきません。どこかで必ず盾を捨てて立ち向かう日を迎えないといけないんです。


勇気を持って立ち上がった時に初めてその痛みが強さに変わってくれます。一度立ち上がることができれば次も必ずできるようになります。きっと人生はその繰り返しです。問題から逃げずに正面からぶつかっていけば決して表面的な薄っぺらい強さじゃない重く厚みのある強さに変化していくと僕は信じています。

諦めなければいつか必ず良いことがある。まさか自分がACLの決勝の舞台に立っているなんて1ミリも想像できなかったです。マリノスというクラブにいることもそうです。それくらい諦めないで立ち上がることには価値があります。

どういう結果だろうが魂込めてピッチで自分を表現してきます。何度も立ち上がってきた自分の人生を誇りに思います。本当の強さを持って胸を張って戦っていきます。

共にアジアを勝ち獲りましょう🔵⚪️🔴


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