お皿を割って褒められる世界が在った


お手伝いをしようと張り切ったら卵を床に落としてしまったり、ドレッシングを取ろうと手を伸ばしたらお茶の入ったコップを倒してしまったり、転んですり傷を作ってしまうことは、日常茶飯事でした。

子どもの頃から、ドジ・どんくさいなどと言われて育ってきました。それらのドジで頻繁に怒られながら育ったので、自分がしてしまうドジに対してとても敏感で。そのせいで誰かを不愉快にさせないか、誰に何をどんな風に言われるか、と考えてはビクビクする傾向にあります。

もちろん、わざとそんな粗相をしているわけではありません。年齢と経験を重ねるにつれて回数は減ってきたけれど、気を付けているつもりでも、どうしてだかそうなっちゃう。笑ってくれる友達が一緒にいてくれる時はいいけど、ドジをしてしまう自分に落ち込むことはよくありました。

2020年、私はワーキングホリデービザでオーストラリアに滞在し、現地のベーカリーカフェで働いていました。当時の出来事を、私は忘れることが出来ません。

そこで出逢ったのが、マネージャー兼バリスタのChris。彼の性格を3つのことばで表すなら、元気・愉快・いい加減。3つ目のいい加減というのは、良くも悪くもです。

私は彼のその「いい加減さ」に何度も救われました。そもそも、私がそのベーカリーで働くことになったのも、彼のその性格のおかげです。

私が履歴書を持ってそのお店を訪ねた時、そこにはオーナーのパートナーである日本人スタッフがいました。彼女は私の履歴書に目を通し、接客業の経験があることを認識した上で、英語はどのくらい話せる?彼と話してみて!と私に言いました。その彼こそが、マネージャーのChrisでした。

彼は、どこに住んでるの?と私に聞きました。私が住んでいる地区を答えると、それなら電車ですぐ来れるね、でしょ?と言うので、私はYes!と答えました。すると彼は、カウンターの向こう側にいる日本人スタッフを大きな声で呼び、「彼女の英語は完璧だ!合格だよ!!」と伝えたのです。

私は唖然としました。住んでいる地区の名前とYesしか英語を話していないのに、、え?今のでいいの?流石にもう少し話せるよ?と。ワーホリの仕事探しは本当に大変だよ〜履歴書何十枚も配り歩くよ〜などという話をよく聞いていたのに。英語初心者の私が英語環境で働ける所謂ローカルジョブをあっという間にゲット出来てしまったことに、驚きと喜びを隠しきれませんでした。


翌日から、私は早速働き始めました。Chrisはすぐに常連のお客さん達に私のことを紹介してくれて、私もお客さんの顔と名前とオーダーを覚えようと一生懸命でした。Chrisともお客さんとも、冗談を言い合いながら大きく笑って、こんなに楽しく働けることってあるんだなあと思う程に、毎日出勤することが楽しみで仕方ありませんでした。

しかし、地元の人気店であったそのカフェは、時間帯によってはオーダーが殺到します。レジに列が出来るし、洗い物は溜まるし、バリスタも補助が必要なくらいオーダーが溜まってしまう。私も必死で、少しでもお客さんに早く提供できるようにとあらゆる範囲で動きました。

そして、とうとう私はやってしまったのです。Chrisの補助をしたくてコーヒーカップのソーサーをセットしようとした際に、手を滑らせてソーサーを落として割ってしまいました。

幸いなことに誰も怪我はせず、とにかく忙しかったのでひとまず謝って破片を拾って、仕事に集中しました。そうして殺到していたオーダーを提供し終えて少し落ち着いた頃、私は改めてChrisに謝りました。「ソーサーを割ってしまってごめんなさい。本当にごめんなさい。」

すると、彼から思いがけないことばが返ってきました。

「なんで謝るの?わざとじゃないのに。君はいつも頑張ってる。ソーサーなんていっぱいあるんだから。いや、ありすぎるくらいだ。だからよくやった!Good girl!」

お皿を割ってしまった私に、Good girl!と言った彼。お皿を割って迷惑をかけたことに対して謝る私を、あろうことか、褒めてくれたのです。びっくりしました。ドジをして、褒められることがあるなんて。

そして、ちょっぴり泣きそうでした。やってしまったドジに対して、「わざとじゃないんだから」と、怒らないでくれたことに。「いつも頑張ってるんだから」と、普段の私を認めてくれていたことに。

彼は目の前の相手が不機嫌だったり落ち込んでいたりすることに耐えられない人でした。みんなが笑っている空間を好む人でした。だから持ち前のいい加減さをうまく活用して、いつも相手が喜ぶことばを発していました。ほんと調子いいなあと苦笑してしまうことも時々ありましたが、彼のその性格と優しさのおかげで、私は自分のドジに怯えることなく、最後まで楽しくのびのびと働くことが出来ました。


どうしてちゃんと出来ないんだろう?完璧にこなしたいのに。自分がドジをしてしまう度、そんな自分に嫌気がさしたり、相手の機嫌や周囲からの評価を気にして萎縮したりしていました。

けれど、お皿を割っても褒められる世界が在ることを知ってからは、普段ちいさなドジをして落ち込みそうになっても、「わざとじゃないんだから」と、心の中で呟けるようになりました。一度反省して、また頑張ろうって。

それでもやはり極力お皿は割ることなく生きていきたいですし、褒められることは極めて稀なのでその為にお皿を割ることはおすすめしません。でも、手が滑っちゃうことはきっと誰にでもあるから。

ごめんなさいの気持ちももちろん大切だけど、「わざとしたんじゃないんだから」と心の中で呟いたり、「わざとじゃないもんね、大丈夫だよ。」と、手を滑らしたその人に声をかけたりすることが出来たらいいなあと思います。



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