一票如きで未来を変える
情けないけれど、海外で暮らすという経験をするまで政治というものにあまり興味がなかった。公に書くことではないけれど、家族含めて選挙も行かないことの方が多かった。
一度だけ、小学生の頃に当時の総理大臣について意見を述べたところ、周囲に笑われて子供らしくないと言われたことがもの凄く恥ずかしかった記憶がある。以降政治の話をしないようにしていると、そのまま興味関心も持つことなく大人になってしまった。
というエピソードを言い訳にするつもりはない。ただ、誰がいつ何に興味を持っていたとしても、一旦そうなんだと頷いて見守ることがいいのではと、この自身の経験から思っている。
本日、11月17日は兵庫県民にとって大切な選挙の日。ついこの間衆議院選挙があったばかりだけれど、こちらもかなり注目を浴びている選挙。
わたしも現在兵庫県に暮らすひとりの選挙権を持つ県民として、自宅に選挙の案内が届いていた。街中では著名人の応援演説に出会したりもした。そして今朝、自分に与えられた一票を投票してきた。
自分が選挙で投票をするようになってから、思うことがある。
それは、選挙は参加するからこそ楽しい、ということ。いや、選挙に限らず何にしても、参加してそれを自分事にするからこそ、面白い。そこに熱が入る。
政治に関して楽しいや面白いといった表現は適切ではないかもしれないけれど、仕事や趣味だって楽しくて面白いから参加しようとか続けようとか思える。だからこそ、選挙だって楽しい・面白いと思えたら、投票率は上がると思う。
どうせ何も変わらない、誰がやっても同じだ、と嘆いていたけれど、それは違うのかもしれないと最近ようやく思うようになった。
海外生活では政治の話題になることが度々あった。当時、自分が自分の国の政治について無知なことを恥じた。今なら、彼らがどうして政治について話すのか分かる気がする。
彼らはきっと、自分たちで変えられるということを知っているから。国を変えるのは政治家ではなく、自分たち自身だということを分かっているから。すべては自分事だと捉えて、考えて、話して、投票している。
自分の一票なんて、きっと何も影響しない。
一票如きで、どうせ何も変わらない。
そう思ってしまうこともある。
そう思いたくなる世の中だとわたしも思う。
でも、日本中に散らばっているそんな一票が集まれば、きっと何かを動かしていく。
他人事として諦めてしまっていた一票が、自分事として意志を持ったのなら。それはもの凄く大きなパワーになる。
だから、きっとこの一票は未来に繋がっている。
毎日毎日、腐りたくなるようなニュースばかりだけれど。一票如きで何かを変えるまで、どうか腐らずに。
意志表示を続けよう