コーヒーとクロワッサンのある朝。
海を見渡せるカフェにやってきた。
とても私好みなコーヒーがここにはある。
ここで海を眺めながらnoteを書けば、ステキな記事が書けるかなと意気込んで来たのだけれど、まずは読み返したかった小説を開いたら、そのままその世界に集中し過ぎてしまっていた。
カップたっぷりに注がれて運ばれてきたカフェ・オレも、残りもう少しになっている。さて、本来の目的を果たそうと文字を打ち始めてみた。
今日の空は晴れ渡っていて、ぽかぽかしている。暦の上ではというより、もう本格的に春なのではと思ってしまうくらいだ。空と海の青さが遠く向こうの方で混ざり合えそうな色をしている。本当に、気持ちがいい。
と、この辺りまで書いていたところで、家族連れのお客さんが入店してきた。店内を見渡すと、真ん中の10名くらいが着席できる最後の晩餐のような大きいテーブルしか空いていない。
私が通されたこの4名がけのテーブルをひとりで占領するより、家族3人で利用してもらった方がそのご家族もお店もハッピーだと思うので、「良かったらここどうぞ〜」と、そそくさと退店してきた。
ちょうどカフェオレは飲み終えたので何の問題もない。寧ろ、美味しすぎておかわりしたいなーと思っていたところだったので助かった。流石に2杯は甘やかしすぎだ。またお天気の日に来よう。
そんなわけで、外のベンチで太陽の光を浴びて風に吹かれていると、ワーキングホリデー中の朝の時間を思い出して、それが無性に恋しくなってきた。ここにずっと座っていると寒いので、ここから先は帰宅してゆっくり書くことにする。
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コーヒーの街、メルボルン。少し歩けばコンビニに辿り着ける国が日本であるならば、同じような感覚で、コーヒーショップ/カフェが点在しているのがメルボルン。いや、それよりもっと多いかもしれない。
オーストラリア第二の都市であるその街で、私は1年間生活をした。とは言っても、その半分以上はコロナウイルス感染拡大によるロックダウンの日々だった。
厳しいロックダウンで殆どのお店が営業を停止せざるを得ない中で、エッセンシャルに分類されるベーカリーに勤めていたことは本当にラッキーでありがたいことだった。おかげさまで途中帰国することなく、1年間の海外生活を許されたビザを余すことなく使うことができた。
私が仕事を終えた頃には、同じように他のベーカリーやテイクアウト営業のみを許可されているカフェも殆どが閉店している。メルボルンの朝は早く、店じまいも早い。だからカフェや他のベーカリーを楽しめるチャンスがあるのは、仕事がお休みの日だった。したがって、休日の朝もある程度早起きをする。私には休日の楽しみがあった。
家から歩いて30分程の場所にお気に入りのベーカリーがあった。私はそこのクロワッサンが大好きだった。そのクロワッサンを手に入れて、周辺にいくつかあるカフェの中からその日の気分に合わせてチョイスしたお店でコーヒーを買ったら、そこから横断歩道を渡った先にある大きな公園のベンチに座ってひとりピクニックをする。
コーヒーと、クロワッサンと、公園のベンチ。
私の休日の朝に幸せを与えてくれていた輝かしいメンバー。しあわせ3点セットとでも名付けよう。
ただのんびりぼーっと太陽の光を浴びて、風に吹かれる。そしてドッグラン同然のグラウンドで思いっきり走るワンちゃんたちを眺める。メルボルンでは公園やビーチをわんこがノーリードで駆け回っていて、時々こちらに近寄ってきてくれる。人だけでなく、動物も植物も、のびのびと生きている。そういうところが心地良かった。
空気を吸って、味わって、そして吐く。普段の呼吸よりも、少しだけ時間をかけて。こういう時間があったから、私は厳しいロックダウンの日々を乗り越えられた。
ある日、シェアハウスのオーナーにお土産でクロワッサンをあげると、彼女もそのおいしさの虜になったようで、途中からはふたりピクニックになった。私たちはお互い破茶滅茶な英語でコミュニケーションをとっていたけれど、クロワッサンを頬張る時はふたりとも決まって興奮気味だった。
ひとしきり興奮した後に、そのおいしさをコーヒーと共に噛み締めていく。隣にいる人と、″おいしい″を共有する。そんな朝にじんわりと幸せを感じていた。自分が独りではないことに感謝していた。
ひとりで、自分のペースで歩いて、朝ごはんを食べて、時間を過ごす朝も好きだった。だけど、お互いのペースを少し合わせながら歩いて、朝ごはんを食べて、話して、ふたりで時間を共有する朝は、やはり幸せだった。
朝に幸せを感じると、その日に希望を持てる。素敵な1日になる予感がする。明日を思って不安になる夜はどうしたって時々訪れる。けれど、明日のことは、また明日の朝に考えればいい。明日のことは、誰にも分からない。究極、明日が来るのかさえ誰にも分からないのだから、今日の為にその時間と思考を使いたい。そう思えるようになっていった。
唯一、ロックダウンの″おかげ″と言えることだ。いつになれば友達と会えるのか分からない。スピードのある政治の下、明日いきなりルールが変わって働けなくなるかもしれない。感染者数の増減に一喜一憂しながら、そんな不安と孤独を経験したからこそ、朝の希望を全身で感じられて、夜にぐるぐると考え込むことがなくなっていったのかもしれない。
本当にこれは今だからこそ言えるセリフだけれど、あの日々を経験することにも意味はあったのだと思う。
コーヒーとクロワッサンのある朝、誰かと一緒に過ごす朝、公園でゆっくりと呼吸する朝、そんな朝の幸せを知ることが出来た。
じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^