見出し画像

海沿いに線路がつづく町で


海の側に住んでみようと決めた。

さほど大きくない街の中心部でも、最寄駅が無人駅という環境でずっと育ってきた私には賑やかすぎて、便利さよりも落ち着きを優先したかった。


メルボルンの中心部から、海沿いに伸びていく路線がある。車窓から海が見えることに憧れて、その辺りでシェアハウスを探すことにした。


早速インターネットのサイトを見てみると、中心部の大きな駅から六つ目となる駅のエリアにあるシェアハウスを見つけた。最寄駅から徒歩10分程の場所にあるそこは、タイミング良くシェアメイトを募集していた。


インスペクション(内見)をする為にその町に降り立った時にはもう、ここに住むんだろうなと何となく感じていた。そしてそのまま、私は約10ヶ月の日々を、海のある町で過ごした。

(↓シェアハウスを決めた時のお話)



同じ海でも、駅を進むごとにその表情は変わっていく。

私の住む場所は比較的若者やちいさな子どものいるファミリーが多かった。ビーチまでは徒歩20分以上かかったけれど、気分転換や夕日を見るためにビーチへ向かうと、ジョギングするカップルやビーチの向かいにある芝生で遊ぶ子供連れの家族、ヨガを楽しむ人々、サイクリングをする人がたくさん居た。(カメラを向けるのは気が引けたので写真には残していないけれど)


賑やかとまではいかないけれど、そこには人々の生活感があった。殺伐としたものではなく、ゆったりとしたもの。ここの人たちは、海と共に生活があるんだなと感じられた。


働く場所は、もちろん同じ路線で、家から電車一本で通える場所を探した。本当に運良く2日目で見つかったアルバイト先は、街の中心部から更に5駅程遠ざかった駅の近く。


ビーチまで徒歩3分の場所にあるそのカフェには、海沿いのサイクリングコースを走ってきた人たちが休憩に立ち寄ったり、飼い主と海で泳いできたわんこが来店する。私はそのロケーションがたまらなく好きだった。




朝早く仕事に向かう日は、こんな景色が見えたりもする。淡いグラデーションの空。(全然上手く撮れてないけど)

仕事終わりには、コーヒー片手にビーチでぼーっとしたり、電車に乗らないで、一駅分ビーチに沿って歩いてみたり。毎回同じ道を歩いているはずなのに、思わず写真に残したくなってしまう景色に飽きることはなかった。


冬の朝には、海岸付近にイルカが遊びに来てくれることもよくあった。お客さんが、今見て来たんだよと教えてくれると、日本ではきっと見られないでしょ?と言って、仕事中にビーチへ向かわせてくれた。群れでは見ることができなかったけれど、肉眼で見える程の距離にイルカが泳いでいることに興奮したのを覚えている。

それからというもの、冬の間、私は家を早く出て出勤前に海に立ち寄ることが増えた。苦手な早起きも、イルカのためなら不思議と出来てしまった。イルカが居る場所の上空には、数羽の鳥が飛んでいる。これがサイン。


帰国しなければならない日が迫って、最終日のアルバイトには仲良くなったお客さんがたくさん来店してくれた。ある偶然から話をするようになったフランス人の女の子とそのボーイフレンドが、私の勤務終了時間に合わせてやって来てくれて、海を散歩しようと誘ってくれた。

ずっとこの海沿いで生活していたのに、アルバイト先より向こうにはまだ行ったことがなかった。

初めて、終着駅のある海を歩いた。


あいにくの曇り空だったけれど、いきなり人々の生活感とはかけ離れた自然を感じるような岩肌が現れて、海から受ける印象の違いにとても驚いた。

大規模な山火事に続くロックダウンで、観光らしい観光が全く出来なかった1年だったけれど、この景色を見て、私はグレートオーシャンロードに行った気分になれた。いつか本当のグレートオーシャンロードにも行きたいけれど。



海のある町に住んだことは、私にとって大正解だった。オーストラリアといえばサーフィンに最適な大きな波がやってくる海を想像しがちだったけれど、湾になっているメルボルンの穏やかな波は、ロックダウンで沈む私の気持ちを、なだめてくれたように思う。


これまでの人生の中で、最も美しい夕日も見せてもらった。制限だらけの期間限定の私の生活が豊かだったと思えるのは、この海での時間があったからなのかもしれない。





じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^