見出し画像

【自己紹介その①】笑顔の理由

まずは自己紹介を🙇‍♀️✨

【波乱万丈、幼少期コンプレックス】
のお話

東京生まれ東京育ち
ごく普通の家庭で生まれ
母方の祖父母の家で
両親、妹と6人暮らし。

母は20歳で私を産み、
父は躾に厳しいけど、愛情をたっぷりくれ、
自慢の両親でした。

休みの日は、父の仕事場の方と、ボーリングへ行ったり、海でクルージンクしたり
楽しい思い出が今でも思い出します。

それはそれはごく普通の家庭環境で育ちました!

人生の転機は、私が6歳の時に訪れました。

そうです。

【父と母の離婚】

今でこそ、
3人に1人は離婚する
と言われてますが、その当時離婚は珍しくまだ小1の私は、離婚を理解は出来なかったけど、父がどこかへ行ってしまうこと、もう会えないことだけは理解しました。

ずっと父に抱きつき、泣きながら離れたくないと叫んでいたのを覚えています。

その時を境に変わってしまった母。

現実逃避するかのように、
若い時に十分遊べずママになった反動がきてしまったのか、毎日帰ってくるのは仕事後、夜遊びをした後の夜中です。

小1からは、母がご飯を作ってくれた記憶はありません。
変わりにその分、祖父母が何不自由なく、私と妹を育ててくれました。

祖父母は可愛がってくれてたけど、その当時母の愛情に飢えていたんだと思います。

たまに連れてってくれるヨーカドーが唯一の楽しみ。そこで手を繋いで、いつも笑わない母がニコッて自分に微笑みかけてくれるたったそれだけが私の幸せでしたw

・学校のプリントの保護者氏名がみんなお父さんなのに、うちは母。
・運動会は祖父母のみの参加
・引渡し訓練や授業参観は必ず祖母


そんな小さな他人の家との違いが、当時はほんとに恥ずかしかったです。

祖父母が愛情を沢山くれていたので、寂しさはあまり感じてなかったのかもしれないけど、成長につれ、

母に愛されていないんじゃないか

と徐々に不安になっていきました。

今となってはその頃から、

笑顔でいたら、愛してもらえるかもしれない

そんな風に無意識に自分が捨てられないように、自分を守っていたのかもしれません。

それから私は仮面をつけたかのように、常に笑顔をつくりニコニコする努力。
ブスなのに笑顔もなかったらもっとブスになるとその当時から思ってましたw

これが笑顔の理由です。

でもだからこそ、どんなつらいときも笑顔でいる習慣が気づいたらできていました!!
人間って上手く出来とるなーと。
ちょっとやそっとじゃ壊れない。
自分を守る術を、本能的に兼ね備えてます。

大人になってココロがおちついた今は、その笑顔の習慣が、ポジティブシンキングへと導けるきっかけとなってるようです!

なので、
辛い時ほど笑顔でね!!

って相談を受けるときはアドバイスしてる気がしますw

まーこの当時は生きるのに必死で、気づきませんでしたし、当時はカラダに異変が。。。

自己紹介その②へ続く……

最後までお読みくださりありがとうございます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?