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独り言「萩原朔太郎展 感想」


世田谷文学館の萩原朔太郎展。
言葉の空間が、想像以上に心地良くて。
孤独の位置付けをした個人の憂いを感じられる素敵な空間でした。孤独でありながら、もはや孤独ではない。それを身に沁みて感じられた。
私の贔屓目もあるかもしれませんが、それにしたって、展示の仕方が素晴らしすぎる。空間を工夫した、本を読み進めるような展示。そして、言葉を様々に遊ぶ企画。楽しすぎる…!!

 表象の裏側の主観の世界に夢を見るように、言葉という表象を色んな形で見つめてみる。
 私は朔太郎の詩が理解できる訳じゃない。正直、教養がないからなのか素養がないからなのか、まぁよくわからないのが大半。何となく主観が共鳴するから好きなだけで、他者の主観を客観視点から見つめ、その魅力を解ける自信がない。というより、主観は絶対に踏み込めない境界線だ。表象と同じように、他者の主観も、所詮は私のフィルターがかかっている。でも、読み方見方を変化させ、遊ぶことで、主観の視野が広がり、私の凝り固まったフィルターが少しばかり溶けるような気がする。
 私の主観を広げられるのは、私だけだ。主観を広げてしまえば、私は他者へのフィルターを少しでも多く溶かせるのだ。だから、自分で読む朔太郎の言葉とはまた違った見方で言葉の表象と触れ合ってみて、朔太郎の詩との距離が少しだけ縮まったような気がした。
 感情や感覚が似ていたとしても、私は朔太郎ほど繊細でないし、こだわりもない。詩に対する共感ではなくて、寂しさを受け入れるという自分に対する構え方に、慰められた。皆等しく孤独でありながら、生まれた孤独感を大事に大事に受け入れる。どうしようもない心を大事にする人が好きだ。詩は矛盾して混沌とした心の世界で、心の奥深くの部分で共感性を呼ぶ。なんとなく感じていた寂しさを、理解させるのではなくて、共鳴させるような感覚。全く自分とは異なる絶対的に孤独な世界でありながら、繋がっている。比喩をうまく使うとか、そういう理屈じゃない。多分、朔太郎の言うように、詩は言葉の「音楽」だ。心の奥底で共鳴し合おうとする詩人の集まりも、絶対的に孤独な詩も、私にとっては癒しの場だった。その場所に、正誤は無い。社会の規律と人間社会をがむしゃらに泳ごうとして、溺れかけそうになった時、詩を読みたくなる。あの空間は、ただ、主観だけが生きていて、空でも飛んでるような気分だった。

 今度の休みは、映画を観るついでに、下北沢でも歩こうかな。

 それにしても、ムットーニさんのカラクリ人形の猫町、良かったなぁ。カラクリ劇なるものを初めて生で見たのだけれど、綺麗ですね。猫町って、寝る時に見る夢の中の独特なリズムというか不安定で切り詰めた空気があるかと思うんですが、「今だ!」のあの緊張感が最高潮に達して解放されて人の形をした猫が現れる悍ましい瞬間が、視覚と聴覚ではっきりと見れるの、中々に新鮮でした…!ほんと、朔太郎が昔「不思議の国のアリス」が好きだったの分かりみ深すぎる!ゾッとしました!!カラクリ箱以外の猫町に関するアートも、猫のイラストも、私の想像する猫と同じようで違って、面白かった…!乙女の本棚は、猫町の想像というより、絵師さんとのコラボレーションがメインなので、実はちょっとだけ物足りなくて…!(もちろんあれはあれで読み応えがあります!)
 猫って体のしなやかさとか、自由奔放なところとか色々特徴があると思うんですが、朔太郎にとって一番見えるのは「猫の目」なのかなぁと思ったり。装丁もそうなんですけど、大体目が強調されてて怖くないですか?「蝶を夢む」のOmegaの瞳にもありますが、猫の目のイメージって、人の目と似てるんですかね…?おそらく人の目って言っても、自分以外の他者の目?超越した目?冷たい目?朔太郎が焦燥した犬、影が怖くて吠える犬なのだとしたら、猫はひどく落ち着いていて、反対側の住人のような気がするなぁ。あとは、未知の神秘的なイメージもありそう。「ウォーソン夫人の黒猫」も、猫ですよね。超簡単に言えば、黒猫の幻覚に狂わされて、黒猫を殺そうとしたら自分を撃ち殺してしまう話。多分、主観に映る猫を殺す=幻覚という主観世界を見ている自分そのものを殺すことだったのだと思う。
 今回の世田谷の展示にあった、栄次さん宛のお手紙。ふわっとした記憶しか残ってないので誤ったことを話していたらすみません。主観的な事実を他者に妄想だと否定されても「事実としか思えない」と強く綴っていました。他者の否定、すなわち他者の目が、朔太郎の孤独を認めまいとしている。朔太郎は孤独な自分の存在を認めさせようとしていながら、多分、ウォーソン夫人のように、客観世界で主観に狂う破滅も見ていた。猫はおそらく、無意識下の主観。守りたいけど消してしまいたいといった、人に矛盾の心を生ませ、惑わす、悪魔…或いは現実を遠ざける天使のような象徴なのかもしれない。そんな愛おしい悪魔が人に住んでいるから、人は歌を歌い、詩を書き、物語を読み、芸術に心を寄せ、悪魔を宥めるなり愛でるなり慰めるなり苦しめたりするのだろうなと。
 そういえば、熊本の方の展示に行った時は、歴史館に住み着いているらしい野良猫ちゃんがいました。ついに私も幻覚を見たかと思いましたが、どうやら客観的事実でした。

 最後にまた展示の話に戻るんですが、朔太郎の生い立ちに沿って詩集諸々を追うような展示になっているので、朔太郎を知らない人でも分かりやすい構成になってました!家族構成とか生い立ちとか、詩の変遷とか……!ちなみに私は月に吠える以降のものばかり(しかも散文詩贔屓)を読んでいたので、改めて反省してます笑
 学芸員さんの腕と愛が感じられる展示になっていましたので、展覧会が好きな方にはとってもおすすめです。頭を使わずとも、ただ言葉を眺めるだけでもいいかもしれない。詩のコンシェルジュっていう、質問の回答から、個人に合わせて朔太郎の詩を贈ってくれるサイトがあったんですが、とても良かった。どういう理由で選ばれるのかとか、他の人がどんな詩を贈られるのかとか気になるところだけれど、そろそろ寝なきゃ。
 ……行けて良かったなぁ。ありがとうございます。


写真OKだったので、私の好きな、じぼ・あん・じやん!を…😆

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