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「寄り添う」ってどういうコト?

人とのかかわりで、「寄り添う」はとっても大切なことだと思う。

(特に)対人援助に就いている私にとっては、永遠の課題。
トレーニングをいくら積んだとしても、「寄り添ってもらった」と感じるのは相手だから。

私は乳がんの経験から「寄り添ってもらった」「聴いてもらえた」と感じて初めて、安心感を持てたり、立ち上る勇気が湧いたりして、治療をがんばれた。

「寄り添ってもらった」「聴いてもらえた」と感じるのは受け手(クライエント)側。
そう感じるからこそ信頼関係が生まれて、私みたいに治療をがんばれたりするんだよなぁ。

だから、援助する側の意識は、めっちゃ大切だと痛感していて、
セッションをするたびに、どうだったかな?と振り返ってる。

ある人とのかかわりで「寄り添う」と「依存」の区別が分からなくなったことがあって、この感覚を覚えておきたいから自戒を込めてこれを書いておこう。

「寄り添う」と「依存」の違いが分からなくなってしまった

心理系ではない講座の講師に、どうしても分からなくて上手くいかないことを相談した時、かえってきた言葉にびっくりした。

「それは依存だよね。他責してない?」って。

詳細は書けないから例えると、
『ド素人でも簡単に書けるブログ講座』を受けたとして、
一通り講義を受けた。資料もある。
講師から「みなさんのブログの〇〇まで、寄り添ってサポートしますので分からないこと、困ったことは何でも聞いてください。一緒に頑張りましょう!」と言われたとする。

その言葉を信じて、文章を書きだせなくて困って相談したら、
まさかの「それは依存だよね。他責してない?」だった。

私は、一瞬「???」と、なんか変だなって違和感。
でも、講師がそう言うんだから
「わたし、依存してるんや・・・甘えてるってことか・・・??」(・・・の部分はもやもや)

(え?これが依存?じゃあ、何も質問できないやん・・・)

類義語でみると分かりやすい

寄り添うの類義語を調べてみた

・気持ちを汲み取る
・耳を傾ける
・身を入れて聴く

講師は、「文章を書けない私の気持ちを汲み取ろうとしていなかった。身を入れて聴いてない」と、クライエントである私が、そう感じた。

私はその講師から心を感じられなかった。

それなら、講義と資料だけで十分やん。
わざわざ受講せずとも、本を買って独学でよかった。誰かのブログを読んで学ぶこともできるやん。

講師のサポートがあることで、申し込んだのけど、講師の言う「サポート」とは、「書き方」をただ教えることだったのか!

書けなくて困っている心の部分は、自分で何とかしてねって事だったんやね。

講師⇔受講生の関係のように上下関係があると上の立場の人が正しいと思ってしまいがち。(よほどのことがない限り)

あ、でもこれは私の心のクセかも (笑)

心と向き合っていく

人と人とのかかわりって、やっぱり心のつながり。

仕事をするにしろ、何かを学ぶにしろ、心を大切にする人と繋がりたいし、
自分もそうでありたいと強く思う。

先日、SNSでコロナ関連のシェアされていた動画。
長尾先生から「寄り添う」姿をみせてもらった。


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