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書いているときに頭の中で考えていること


「書きものをしているときはいつもなにを考えながら(なにに気を留めながら)書いているんですか?」

 と他分野のアーティスト(画家とミュージシャン)に訊かれたことがあった。

「無です」

 とそのときは答えた。無。つまり、「書いている」のではなくて「書かされている」。

 画家のOくんは最近ステージパフォーマンスを観ることも増えたが、いつもそこに作為を感じてしまい、十全に楽しむことができないのだと言っていた。だから、僕が——同じくステージをつくる立場の僕が——どんなことを考えながら作品を書いているのかを気にしてくれて、このような質問を投げ掛けてくれたのだと思う。

「僕も作為というものが苦手で。自分の作品で観客の心情を揺さぶることをあまり考えていません。観客の集中を保つためにも、物語の起伏というものは重要だと思いますが。自分はあまりそれを意図的につくりだすことに積極的になれないでいます。無になることで作為を排除しています」

 作品と作為の関係性については、アーティストたちはすぐに理解を示してくれはしたが、文章を書く際になにも考えないということがほんとうに可能なのか、と疑いの眼を向けられたような気はした。


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