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海外生活、一日中家でパジャマでもいいじゃない

駐在員としてエルサレムに住み始めてから、もうすぐ4カ月になる。

4年前、休暇中に1週間旅行で訪れて、心奪われてしまったエルサレム。旅好きの私は、日本人の平均よりは割と多くの国を訪れてきたと自負しているが、その中でも他の国では感じることのできない何かに惹かれたのが、このエルサレムという土地だった。この「何か」とは結局何だったのかについては、また別の機会に書きたいと思う。

1週間の旅行を通してすっかり中東文化の虜になってしまった私。帰国して日々働きながらも、仕事終わりにアラビア語を習ったり、パレスチナのインディーズ音楽を聴き漁ったりして、またこの土地に戻りたいという思いを募らせていた。

そして、4年の月日が経ち、コロナ渦で休職になったことをきっかけに自分の人生について見つめ直す機会が多くなり、転職を決意した。NGOのエルサレム駐在員のポジション募集を見つけてダメ元で応募し、今に至る。

そんな念願のエルサレム生活を始めたので、日々どんな充実した暮らしをしているのか綴りたいと思うのだが、最近のお気に入りの休日の過ごし方といえば、「パジャマのまま家から一歩も外に出ず、読書とウクレレと料理」である。あれ、私ってこんなにインドアだったっけ・・・?

もし時間にゆとりある生活が手に入ったら、何に時間を使う?

ところで前職では、関西で最も利用者数の多い駅直結の商業施設で働いていた。毎日、せわしなく何万人もの人々が行き交う、大都市ど真ん中。周辺には同じような商業施設がいくつもあり、売り上げを競い合っていた。電車で1時間半かけて通勤し、14時から23時まで店の中を走り回って働き、毎日終電ダッシュ。帰りの電車の中で、その日の売上と明日のためのPDCAを入力して、25時前に帰宅したら白米をお腹いっぱいになるまで食べそのまま翌日の出勤時間ギリギリまで死んだように寝る。休日には、予定が何も無いのは負けだ(誰に?)と思っていたので、必ず誰かとご飯に行く予定を入れたり、イベントに出かけたり、何かしら行動していないと落ち着かない。というような生活をしていた。

そんな刺激的な生活が、エルサレムに来て一転。

勤務時間は8時から16時。パレスチナ人のお家の一画を間借りしている事務所で、3人だけの職員で黙々と仕事をしている。たまに、大家さんが庭でとれたザクロやレモンを持ってきてくれたり、開けっ放しにしているドアから野良猫が入ってきたり、穏やかすぎる時間の流れ。16時に終わって、商店で野菜を買い、家に帰ってシャワーを浴びて丁寧に今日のご飯を作る。食べ終わったら本を読んだり、ウクレレを練習したり、英語の勉強をしたりと気ままに過ごして、21時ごろから間接照明にしてお香を焚いたらヨガと瞑想をして22時ごろには自然と寝ている。休みの日も、家から一歩も外に出ず映画を見たり、いつもより手の込んだ料理を作ったり、たまに近くのカフェに行ってのんびりしたりするくらい。

本当に、せっかく念願のエルサレムに来ているのだから、もっと色々なところへ出かけたり、新しい人と会ったり、沢山吸収すればいいのにとお思いになるかもしれない。来て最初の2カ月は、その気持ちがあって頑張っていた。現地の友人を作ろうと人に紹介してもらったり、カメラを下げて遠くの街へ日帰り旅行に行ったり、積極的に在住日本人の集まりに参加したり。でも、途中でなぜか疲れてしまった。何も予定が無い日の方が、ほっとしている自分がいる。なぜ?きっと、海外生活をしているのだからそれなりに「特別な体験」をしないともったいないというマインドがあったのだと思う。何かここでしか出来ない体験を。今思うと、大学時代オーストラリアに1年間留学していた時の気持ちに似ている。せっかくお金をかけてやって来たのだから、1日たりとも何もしない日なんて作らず、吸収できるものは全部吸収して帰ってやろう、というような意気込み。(結局その時も、思うようなキラキラ留学生活は出来ずに終わったのだが)。

期間が短い旅行や、自分でお金を出して行く留学なら、そんな意気込みでいいかもしれなかった。沢山詰め込んでも充実感で帰れる。でも、今回は最低1年、最長5年の長期滞在。旅という非日常ではなくて、これが普通の暮らしになる。結局自分という人間は自国にいようが海外にいようが根本は変わらない。なら、日本にいた頃にやりたくてもやれなかったようなことをやろう。エルサレムに来て手に入れることができた「自由な時間」はギフトだと思うことにして、自分の心の思うままに使うことにした。その結果、読書やウクレレやヨガなど、別にエルサレムにいなくても楽しめるじゃん、というものに思いっきり時間を費やそうと吹っ切れて幸せになった。それが一番したいことなので、たとえもったいないと思われても、自分の中では正解。

娯楽の選択肢が少ないと、幸せの本質が見える気がする

少し話が逸れるかもしれないが、娯楽は少ない方が幸せなんじゃないか、とも最近思う。

エルサレムは、そうは言っても都会とカテゴライズされるのだろうが、日本の都市の娯楽の多さはやっぱり世界的に見ても群を抜いていると思う。

デパート、ショッピングモール、アミューズメントパーク、クラブ、ゲームセンター、スポーツ施設、映画館、美術館、博物館、こだわりの飲食店、おしゃれカフェ、様々なイベントやフェスなど・・・とにかく選択肢が多い。日本人って休日にもやること行くとこ色々で忙しい気がしてきた。

それに比べて私が住んでいる東エルサレムでは、日々の一般人の娯楽といえば、甘いものを食べにカフェに行ったり、シーシャを吸ったりするくらい。おじさんたちは、昼間からバックギャモンというボードゲームに勤しんでいる。そもそも、何もせずにアラブコーヒー片手にぼーっとしている人も多い。時間の流れが違うな、と思う。何もしてなくても許されるゆるさが、ここにはある。同じ24時間を与えられているのに、日本人と比べて時間の使い方と何が違うのだろう。

衣食住を丁寧に充実させること

日常生活において必要な行動ひとつひとつに、しっかり時間をかけているような気がする。まず一つに、ここの人たちは身なりを整えるのにとても時間をかける。特に、イスラム教徒の女性が家でヒジャブを巻いて身支度をするのに、どれくらい時間がかかるか想像したことがあるだろうか。個人差はあると思うが、私の友人はすべての衣類を身に着けるだけで30分はかかっていた。上着に丁寧にアイロンをかけ、絶対に髪の毛が出ないように慎重にヒジャブを巻く。そのくらい時間をかけて整えた身なりは本当に隙がないし、清潔感にあふれている。そう、日本にいたときの寝坊した私のように、「起きぬけのボサボサ髪で、そのまま手当たり次第の服適当に着てきました」みたいな女性は本当に見かけない。

そしてここの人たちと話をするときに無条件で盛り上がる話題といえば、食べ物の話題なのだ。人類の共通の関心事があって嬉しい。娯楽が少ない分、美味しい食べることが何よりの楽しみだから。パレスチナ人の食への情熱はつくづく計り知れないと思う。パレスチナの人たちは、異なる二つ以上の味を「組み合わせる」ことに関するセンスがずば抜けていると思うのだが、それはより美味しい味に出会うために試行錯誤する時間を惜しまなかったからなのかな、と個人的に思っている。食はありふれた日常を豊かにする。

最後に、みんなお家を愛してる。自慢の我が家。知り合ったばかり、というか初対面でも「うち来る?」とすぐ家に呼んでくれる。突然の来客にも関わらず、お家ピカピカ。何も散らかってない。どのお宅にお邪魔しても、花や絵や写真や宗教的に意味を持つものや、とにかく素敵な装飾品の類のものがお家を彩っている。インテリアにこだわるのも、ここの人の特筆すべき点かな。そして、家族団らんに入れてくれて美味しいごはんが出てくる。

そんなわけで、特別な娯楽が多くない代わりに、基本的な衣食住に時間とお金を費やして充実させているのが、私から見たここの人たちの特徴である。遠くに行ったり、お金をかけて刺激的なことをしたりしなくても、こういう毎日を丁寧に生きるのがすごく幸せに見えた。少し踏み込んだ話をすると、エルサレムという土地柄、ここに住んでいる人たちは、一族離散の歴史を持っていたり、急に家を取り壊されたり、家族を戦争で失ったり、いつまた激しい衝突が起こるか分からないような不安定な日々の中だからこそ、当たり前の日常を愛おしく感じるのかな、と思った。

そんなこんなで、ある意味郷に入っては郷に従えということで、私は、ここでの生活を通して何か特別な経験をしようという意気込みを捨てた。
肩の力を抜いて、心の望むままのことをして過ごすこと。別に日本を出なくてもこの大切さに気付けたかもしれないが、ここの人たちの暮らしが気付かせてくれた。何でもない毎日をめいっぱい味わう幸せ。

*冒頭の写真は、大好きなスパイスカレーを家のベランダで夕陽を見ながら1人で食べるという、私にとっての至福の時間

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