死にたがりの13歳の私へ

ぽぽみうむです。
過去の記事でお話しした通り、中学1年生の時に、クラスのボス的存在の恨みを買ったことで、「死ね」と言われる日々を送っていました。

22歳の今、13歳の私にこんな言葉をかけたい、という記事を書きます。

13歳の私へ

22歳の私です。
あなたは今、絶望感を味わいながら生きていると思います。
毎日死んでしまいたいと思いながら生きていると思います。
「すべての人間に嫌われている、死んだほうがマシだ」という思いでいっぱいだと思います。
ですが、私は今、幸福感を味わいながら生きています。
毎日感謝しながら生きています。
「多くの人に支えられている、生きていてよかった」という思いでいっぱいです。

そんなこと言われても、今のあなたは、22歳の私が妬ましくて仕方がないと思います。実際に、私は今でもあなたの姿を忘れることができません。13歳の私を幸せにできなかったことを悔しく思っています。ものすごく後悔しています。

9年という長い期間を経て、私は、私が幸せになれたのは、間違いなくあなたのおかげだという結論に至りました。

これを聞いたあなたは「踏み台にするな」と思うかもしれません。
でも、あなたが、死にたいと思いながらも、生きていてくれたから、22歳まで、繋いでくれたから、私は幸せになる権利を得ました。あなたが、負の感情をたくさん経験してくれたから、私は心の底から信頼できる友人を見つけることができました。

15歳ごろから21歳ごろまでの私はあなたのことが嫌いでした。恨めしく思っていました。汚点だと思っていました。
必死に、あなたの存在を抹殺するために、社交的な振りをしました。様々な団体に入ったり、自分から話しかけるようにしました。
しんどいと思ったこともたくさんありましたが、少しずつ親睦を深め、「仲間」と呼べる人たちができました。

22歳の私は自分の価値観を文章化したいと思い、文章を公開するようになりました。すると、「共感した」とか、「面白い」とか言っていただけるようになりました。私の価値観を認めてくれる人、面白がってくれる人がたくさんいました。そして、私の価値観を好きになってくれる、友人と呼べる人たちもできました。

価値観を文章化するにあたり、自分の価値観が形成された背景を掘り下げると、どんなに避けようと思っても、13歳の私に到達しました。皮肉なことに、大嫌いなあなたのおかげで、22歳の私は周囲の支持を得て、幸福感を得たのです。

自分の考え方を好きでいてくれる人がいるから、私は私の原点である、あなたの存在を世界中に公開することにしました。

正直、とっても勇気のいることでした。軽蔑の目で見られるかもしれない、とか、友人が離れていくのではないか、とか。
でも、あなたの存在抜きにして私の価値観は得られなかった。あなたの存在抜きにして私は幸せになれなかった。
それに、あなたを闇に葬りたくないと思った。あなたは、誰からも必要とされていない、不幸な人間だと自分で思っているけど、22歳の私は、あなたが私を幸せにできること知っています。そんなすごい人を汚点にしたくないと思いました。
あなたを嫌う人間は、むしろこちらから縁を切ろう、という覚悟でもって公開に踏み切ることにしました。

公開した結果、今の私はとっても気楽に生きています。失うものは何もない。そんな気持ちで生きることができています。最初は少しびくびくしましたが、得に大きな変化はありませんでした。文章を目の前で読んだにも関わらず、「大事な友人」と断言してくれた人もいます。
そういうわけで、私はあなたに感謝しながら、あなたと一緒に生きていきます。

13歳の私がこれを読んでも、きっと幸せになれるとは思っていません。でも、あなたは絶対人を幸せにできるし、絶対幸せになれる。これだけは伝えたいです。

最後に、死なないでいてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。

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