祖国とは(2)
いくら厳しく偏った民族教育を受けていても、中学生にもなると「どうも変だ。」という事に気付く。
私は小学6年生の時に薄々とその変なところに気付き始めた。
「金日成元帥の幼少期」の教科書には、挿絵ばかりで写真が少ない。
なんだか過剰に美化され過ぎていて、小学6年生でも胡散臭さを感じる。
そのうち、「教科書に書かれている事は嘘じゃないか?」と思い始める。
「嘘でしょ、こんな事!」なんて先生に言ったら、皆の前でビンタされた。
小学生にとっては、自宅と学校が全てだから、民族学校に通うと日本人との出会いが少ない。しかし、中学生になって、塾に通ってみたりして、民族学校以外の同世代の人たち(日本人)と出会ってみると、どうも敵ではなさそうである事に気付く。
塾で出会った人たちは、「打倒すべき日本人たち。帝国主義的日本で育っている人たち。」な筈が、とても柔和で平和的な人だった。そこで、自分が置かれていた環境や受けていた教育が、どれほど偏っていて非平和的なものなのかに気づいた。これが中学1年生の春か夏の出来事だったかと思う。
敵と思っていた人々が敵ではなかった。
今まで受けた教育は何だったんだと思い、アンチ北朝鮮系の文庫本を読み始めた。通学する電車内でも読み、それを学校でこっそり読んでいた。学校の自分の机に入れていたが、担任の先生が無断で持ち物検査をしていたようで、バレた。案の定、呼び出されて、特別指導を受けた。
この学校でこの教育を受け続ける意味はあるのだろうか?
そういえば、自分って将来何になりたいとか、どんな仕事に就きたいとか、そんな事を考えた事がなかった。カーレースやサッカーやボクシングが好きだから、そっちでプロになれたらいいなあと憧れていたけれど、生物学が好きでブルーバックスの本も読んで細胞生物学にも興味があった。父親と一緒に家業を勤しむ事にも憧れた。ふと新聞で、民族紛争下に置かれている今にも死んでしまいそうな人が写っている写真が目に留まった。このような人々を救うためには?と考えた時、立派な政治家を目指したり、国連で働くという事も目標になり得たが、単純なので医者を目指そうと思った。
医者なんて周りにいないので、どうすれば良いのか具体的なイメージはなかったけれど、朝鮮大学校では医者になれず、日本の大学に入学しなければならない事は判った。それなら、はじめのアクションとして日本の学校に通おうと思い、日本の学校(まずは普通の公立中学校)への転校を考え始めた。これが中学1年生の秋くらいの事だったと思う。