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「全国学校図書館POPコンテスト公式本 オススメ本POPの作り方」の著者、内田剛さんがPOPを書くようになったワケ~前編

2024年4月に発売となった「全国学校図書館POPコンテスト公式本 オススメ本POPの作り方」(全2巻)。本を探してPOPの形にするまでの流れがよくわかる『気持ちが伝わるPOPを作ろう』と、アイディアのヒントとしてPOPコンテスト受賞作を多数紹介した『こまったときのPOP実例集』。この2冊があれば誰でもかんたんにPOPが作れるようになります。
2024年度から使用される光村国語4年上の教科書にある「本のポップや帯を作ろう」の単元にも役立つ内容です。ぜひ、チェックしてみてください。

ついに学校図書館POPコンテストの公式本ができました!

著者の内田剛さんが、これまでに書いたPOPは6000枚以上。POP王の異名をもつ内田さんですが、意外にも、本を本格的に読み始めたのは書店員になってからだそうです。そして、ある本との出会いをきかっけに、猛烈にPOPを書くようになります。内田さんがPOPを書くようになったワケ、ぜひ以下でおたのしみください。

本の原体験 

今でこそ小説を一日一冊以上読んでPOPを書き続ける日々で、本がそばになくては生きていけない「活字中毒」の生活を過ごしていますが、僕は決して子どもの頃から読書家だったわけではありません。

思い起こせば、最初の本の記憶は幼稚園の頃。東京生まれ東京育ちですが、父の転勤で7年間過ごした名古屋でのいちばん古い想い出でもあります。
本が好きだった母親の自転車の後ろに乗せられて通った地元の図書館。初めて見る巨大な「本の森」に戸惑いながら、貸出期限の2週間おきに訪れたその場所は、いつしか行くのが楽しみとなっていきました。
ただ不思議なくらい何を読んだのか思い出せません。絵本や読み物系はまったく手にしていません。本のある空間が居心地よかったことは間違いないのですが、一冊の本に夢中になるのではなく、何となくかっこよさそうな本を斜め読みしていたのかもしれないし、本に触れていれば母に褒められると思いこんでいただけなのかもしれません。

小学校の入学式。7年過ごした名古屋にて。

わりと緩めな本との出会いから小学校に入り、学校図書館という場所にもめぐりあいました。ここでもぼんやりとした記憶に包まれています。教室の授業やサッカー、習字、珠算といった習い事の思い出はたくさんありますが、「本がなければ」というほどではありませんでした。
そうはいっても学校図書館では天文や歴史系の「学習漫画」のシリーズや、名古屋近辺には戦国時代の史跡が多かったため信長、秀吉、家康などの偉人伝をよく読んでいました。図書館には純粋な漫画本はありませんでしたがなぜか唯一、田河水泡の「のらくろ」シリーズが揃っていて、これだけは何度読み返したかわかりません。

当時の本棚が写っている、貴重な1枚。

学校でも家庭でも、「漫画本はダメ!」という空気が強かった時代。そんな中で許されていたのが「ドラえもん」でした。近所の町の本屋で9巻を最初に買って虜になります。10巻、11巻、そして1巻に戻って買い揃えて、12巻からは発売日に書店に走りました。
「ドラえもん」がメインだったコミック雑誌「コロコロコミック」も創刊2号目から買い集めていたことも懐かしいです。もちろん「ドラえもん」の新作読みたさに小学館の学年誌も買っていました。

裏には「内田たけし」の名前が。

さらに熱烈な中日ドラゴンズファンの多い土地柄でありながら「月刊ジャイアンツ」と、かなり難解な「歴史読本」を定期購読していた風変わりな子ども時代を過ごしていたように思います。三畳一間の子供部屋の勉強机に図鑑を並べて番号付きのラベルを貼って図書館ごっこ(?)のような一人遊びをしていたこともありました。

巨人愛に満ちた書店時代のPOP。そのルーツは名古屋時代に。

とにかく歴史が好き

中学入学と同時に、東京に引っ越しました。
サッカー部に入ったのですが、学校図書館の記憶はゼロでどこにあったのかも思い出せません。(実は、高校も同様。)いま思うに本は読むというよりも、集めることが好きだったのかもしれません。
歴史好きだった小学校時代からの流れで、神社仏閣、城郭、美術館や博物館めぐりが趣味となり、行った先で買った図録やパンフレットが部屋に溢れるようになりました。時代や地域別に資料を並び替えて悦に入る。やはり普通の少年ではありません。神保町や渋谷に行き、古本屋を回るようになったのもこの頃。少ない小遣いで歴史民俗にかかわる書籍を集める。これは高校、大学時代まで続いていきました。

学校の授業では理数系はからっきしダメでしたが、社会や国語は得意でした。夏休みの宿題の歴史レポートや読書感想文は、原稿用紙4~5枚で十分なのに、それぞれ100枚近く書いてしまうなど、変な部分でのこだわりもありました。(まったく評価されませんでしたが。)読書傾向は基本、ほぼノンフィクション本のみで、フィクションとは馴染みがありませんでした。朝の読書活動もなかった中で、かろうじて自分と物語をつなげていたのが学校の教科書だったのです。

好きな国語の授業で先生が熱弁を振るっていた作家、作品はいまでも脳裏に焼きついています。そのいちばんは、宮沢賢治。童話は「注文の多い料理店」と「グスコーブドリの伝記」くらいしか親しめなかったのですが、詩集「春と修羅」には打ちのめされました。言葉の持つ力にひれ伏した初めての体験といっていいでしょう。「永訣の朝」を頂点とする「心象スケッチ」の見事さにいてもたってもいられず、ノートに何度も書き写した記憶も忘れられません。そこから宮沢賢治その人にも興味が湧いて、評伝や作品論を何冊も読み漁りました。

賢治以外だと、まずは石川啄木。詩の魅力もそうですが、やはり型破りな人間性にも引きつけられました。そして永井荷風もそのひとり。大人びた小説もいいですが、やはり気になるのはリアルな人そのもの。となれば前者は『啄木・ローマ字日記』、後者は『断腸亭日乗』に夢中とならざるを得ません。やはり根っからのノンフィクション党なのでしょう。作家でいえば、ほかには夏目漱石、森鴎外はもちろん、田山花袋や正岡子規もまた国語の授業から魅力を知った作家です。中学、高校という多感な時期に教室で出会う名作。その力は果てしなく大きいものと感じています。

無類の歴史好きが高じて大学は迷わずに史学科を選びました。
日本の中世史が専攻で卒論のテーマは「中世都市鎌倉の成立に関する一考察」。研究のため、現地・鎌倉の図書館や書店、資料館など何回通ったことでしょう。サークルも「史跡研究会」で寺社や城郭の建築を専門に、いたって真面目に研究をしていました。まだ整備中だった安土城址に提灯を片手に、真夜中登ったことも忘れられません。

書店員時代の、歴史好きならではのPOP。

東京郊外の山に囲まれたキャンパスだったので、空き時間はほぼ図書館にこもっていました。(自習室やレファレンスルームも充実していました。)長い通学時間はもっぱら歴史書を読んでいました。『吾妻鏡』『神皇正統記』『日本外史』などいま思えば、よくぞ細かな文字を電車内で追いかけていたと感心しますが、ともかく岩波文庫には格別にお世話になっています。

通学途中の渋谷にはかつて個性派書店が集まっていました。大盛堂書店、紀伊國屋書店、三省堂書店、旭屋書店、パルコブックセンター、山下書店など。共同でスタンプラリーなどの企画もあって、若者の街の雑踏をめぐるだけでも楽しかったのですが、そこは貧乏な学生時代。書籍の購入場所はもっぱら一割引きで買える大学生協でした。ここで中公文庫『折口信夫全集』とちくま文庫『柳田國男全集』を買い揃えていきました。

書店人生のはじまり

このまま大学に残るほうがいいか迷いましたが、好きな歴史の勉強は趣味でもできます。就職は自分自身を変える一生に一度のチャンスと考えて思い切りました。当時はバブルの最後の時期で就職活動は恵まれていました。説明会に参加すれば内定という会社もありました。であれば好きな本にかかわる仕事がいい。さらに書店であれば、人と接することを避けては通れません。接客のアルバイトすら経験のない自分にとっては人生最大のチャレンジ、と考えての決断でした。
ちなみに就職で選んだ書店は、内定をもらった企業の中でもっとも給料が安く、当時は週休二日ではなく土曜出勤。母親からは泣いて反対されました。やはり大学院か公務員になってもらいたかったのでしょう。自分としては会社の歯車となるならば、もっとも自分色の歯車になれそうな舞台を選んだだけなのですが。自分の選択として後悔はしていませんが、亡き母を安心させてあげられなかったことだけは心残りです。

そんな勇気ある決断をして始まった書店人生でしたが、けっして最初から順風満帆だったわけではありません。30人近くいた同期入社は書店店頭、あるいは外商営業で即、第一線で活躍していました。それを横目に自分は総務課に仮配属、そして3年間人事課。そして1年だけ神保町でビジネス書を経験して、その後は外商売店に5年間いることになります。思うような成果をあげられないまま、年齢は節目でもある三十歳になっていました。

一冊の本と出会う

転機となったのは次の異動。スタッフ10名の小さな売店から、総勢80名の基幹店舗へ。超繁忙な百貨店内にある地域一番店で、それも次席という大役。通勤時間も往復1時間から4時間に。(それも乗り換えがトータルで往復10回!)早朝から出勤し、深夜に帰宅。特に、冬場は行きも帰りも真っ暗で、日差しを見ない日が続きました。定休日も月曜と金曜で疲れもとれず、心身ともに疲れ果てて、退職するならこのタイミングかと思い悩んでいました。

そんな日常を一変させたのが、一冊の本との出会いでした。
顔なじみの出版社の方から「いまの内田さんに読んでほしい本です。」と手渡された本。それが上野創『がんと向きあって』(晶文社)だったのです。
僕よりも若い朝日新聞の記者その人が主人公のノンフィクション作品。
一読して世界の風景が一変。「人は死ぬまで生きるのだ」という言葉は、読後、いつまでも脳裏に刻まれて離れませんでした。

上野創『がんと向き合って』との出会い。POPに込めた思い。

人は誰にも同じ時間が与えられています。
仕事をしながら病と闘い、まさにいまこの瞬間を生きるか死ぬかの瀬戸際で過ごしている上野さんのような人がいれば、僕のように漫然と時間を無駄にしている者もいます。大変だから仕事辞めようと思っていた自分が恥ずかしくなりました。
これは本気で伝えなければならない一冊だ。率直にそう感じました。
書店員である自分にできることはなんだろうか?
それは手書きPOPに「売りたい」思いを込める、それしか手段は思いつかなかったのです。その日から、仕事に対する考え方も劇的に変化しました。
一日一冊一POPがここから始まります。ただ本を並べて売る「書店員」ではなく、「志」を持って本を伝える職業人=「書店人」であろうと心がけました。常に売りたい本があって、自分の担当ジャンル(文芸書が多かった)をどうしたいか、店をどうしたいか、会社をどうしたいか、これを突きつめればこの国を、社会を、世界をどうしたいかにつながっていくと思いました。時の流れは止められないし、流されるのが人生。でも「志」を持つことによって、流される先は間違いなく異なるのです。
(後編へつづく)

内田剛(うちだ・たけし)
POP王。ポプラ社全国学校図書館POPコンテストアドバイザー。ブックジャーナリスト。
1969年生まれ。約30年の書店員勤務を経て、2020年よりフリーに。無類のアルパカ好きで、8月1日アルパカの日に「オフィスアルパカ」設立。文芸書ジャンルを中心に各種媒体でのレビューや学校図書館などで講演やPOPワークショップを実施。NPO本屋大賞実行委員会理事で設立メンバーのひとり。これまでに作成したPOPは6000枚以上。著書に『POP王の本!』(新風舎)、「全国学校図書館POPコンテスト公式本 オススメ本POPの作り方」(全2巻、ポプラ社)がある。

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