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自分の心の痛みに気がつけない子どもたちに、想像する喜びをおくりたい ――『魔女のマジョランさん 世界一まずいクッキーのひみつ』 石井睦美さんインタビュー

石井睦美さんのファンタジー読物『魔女のマジョランさん 世界一まずいクッキーのひみつ』(石井睦美・作/井田千秋・絵)が刊行されました。

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物語の舞台は、アカシヤ通り商店街。ある土曜日、〈世界一まずいクッキーの店 マジョラン〉という、なぞの看板を掲げたクッキー店が開店しました。
店主は、白い髪、白いワンピース、白いエプロン姿のおばあさん、マジョランさん。お客さんには必ず「おためしのクッキー」をすすめ、誰もがそのおいしさに心奪われます。
でも、中には「まずい!」と感じる人もいて、マジョランさんはそんなお客さんを見逃しません。実は、「おためしクッキー」は食べた人の気持ちがわかる魔法のクッキー。マジョランさんは魔女だったのです。

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〈世界一まずいクッキーの店 マジョラン〉開店!


透明感のある文章で、繊細な心のゆれやニュアンスを描き出し、子どもから大人まで幅広い読者に愛読されている石井睦美さんの新作は、クッキー屋さんを営む魔女のマジョランさんと、3年生の女の子ミサトの物語です。
自分の心の傷に気がつくことができなかったミサトが、マジョランさんとの出会いを通して、自分の本当の気持ちを見つめ、力を得ていく姿が、わくわくするストーリーの中で鮮やかに描かれています。

10月のはじめ、できあがったばかりの本を手に、都内の石井さんのご自宅をお訪ねしました。昨年2月に原稿依頼のお電話をさしあげたあと、新型コロナウイルスの感染がどんどん広がり、対面の打ち合わせが全くできないまま本が完成しました。「早くお会いしたい!」「もっとお話を伺いたい!」という担当編集者のあふれそうな思いを、石井さんはあたたかく受けとめて、作品への想いをていねいに語ってくださいました。

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石井睦美
神奈川県生まれ。『五月のはじめ、日曜日の朝』(岩崎書店)で毎日新聞小さな童話大賞と新美南吉文学賞、『皿と紙ひこうき』(講談社)で日本児童文学者協会賞、『わたしちゃん』(小峰書店)でひろすけ文学賞を受賞。その他の作品に『卵と小麦粉それからマドレーヌ』(ポプラ社)「わたしはすみれ」シリーズ(偕成社)「カイとティム」シリーズ(アリス館)など多数。絵本、童話、児童文学、小説と、創作活動は幅広く、絵本の翻訳も手掛ける。登場人物たちの心理を繊細に描き出す描写力、詩情豊かな作風が、高い評価と支持を集めている。

・コロナ禍のなかで、子どもたちに届けたかったこと


――石井さん、『魔女のマジョランさん 世界一まずいクッキーのひみつ』の完成、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。石井さんとのお仕事で、本の完成まで一度もお目にかかれないというのは初めてのことでしたが、コロナ禍のなかでご苦労がありましたか?

石井 生活面ではそれほど影響を受けていないのですけど、一昨年の夏に16年間ともに暮らした愛犬を亡くして、それ以来ずっと元気をなくしていたんです。ようやく、そろそろ長い旅行に出かけて、いろいろなものを見てみたい、と思い始めた矢先にコロナで、編集者や友人ともリアルには会えないし、ニュースはコロナ関連ばかり。先が見えないことで気持ちはかなり落ち込みました。

――感染拡大と同時進行のご執筆となりましたね。この本が入っている「GO!GO!ブックス」シリーズは、少し長い読物を読み始めた小学校中学年、読書ビギナーの子どもたちに向けた新シリーズですが、どんな物語を届けたいと思われましたか?

石井 以前から子どもたちの世界に息苦しいものを感じていたんです。「もっと楽しい世界や生き方があるよ」と伝えたかったし、コロナの苦しい状況が続くなかで、ますます「想像する喜び」を届けたいと思いました。これから生きていく上で、想像する力を蓄えてもらいたくて。それで、子どもたちの想像の幅が広がるように、魔女が登場するお話を書いたのです。


――苦しいときに「今、見えている世界だけではない」と感じられると、力が出ますね。石井さんも、子どもの頃に、本を通じてそんなご経験があるのですか?

石井 一人っ子で、それに、3年生まで遠くの学校へバス通学していて、遊び相手がいなかったんです。それが嫌で、4年生からは地元の小学校に転校しました。でも、3年生までの友だちがいないあいだに、本を読むことが好きになったんです。また、私の家は、母が働いて父が家にいた時期があって、当時はめずらしいことだったので、父と公園で遊んだりしないで家の中で過ごしていました。だから、本は常にそばにありました。

――特にお気に入りの本は?

「ハイジ」(シュピリ作)が好きでした。ハイジが初めてアルプスの山小屋につれてこられて、わらのベッドに寝転んで、丸窓から空を見るシーンがあって、そういう細かい描写がとても好きだったんです。それから、「家なき娘」(マロ作)。貧しいペリーヌという娘が猟師の空き小屋を見つけて一人で暮らすのだけど、空き缶をたたいてフライパンにして、カモの卵や魚をとって調理するシーンが大好きで。一人で生きることや、未知のものに出会うこと、それがどんなことなのか想像するとわくわくしました。今は作家として、読者の子どもたちに、自分とは違う生活を、あたかも自分が生活していると思えるような作品を提供できたらどんなに素敵だろう、と思います。

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J.シュピリ作「アルプスの少女ハイジ」

・だれでも、魔法を持っている


――マジョランさんは、森の中で黒猫と暮らして黒い服で……というような、一般的な魔女のイメージとは違っていますよね。見た目は普通のおばあさんで、私たちの暮らす街にもありそうなクッキー屋さんの店主さん。その仕事を通して、人を助けるという魔女の仕事をしているというのが独特です。そんな一風変わった魔女は、どんなふうに生まれてきたのですか?

何かを極めている、たとえば、おいしいクッキーを作るのもそうですが、そんな人は、魔女でなくても、ある種の魔法を持っているように感じるんです。また、おばあさんであること、歳をとっていることも、特別なことだと思います。
もしも、自分の町におばあさんが営んでいるクッキー屋さんがあって、悩みを抱えた子どもがお店に行ったとしたら、そのおばあさんの何気ないひとことが、その子を勇気づけるかもしれない。その言葉は、その子にとっては魔法と同じですよね。そういうことって、たくさんあることだと思うんです。

――歳を経て知恵や経験を持っている人や、仕事や何かの技を極めた人は特別な力を持っていて、その力で子どもたちを励ますことができる、というお考えから、魔女のマジョランさんが生まれてきたのですね。マジョランさんはいかにもやさしいおばあさんではなくて、厳格で辛口なタイプですけど、モデルがいるのですか?

具体的にはいませんが、本質的にやさしい人を描きたいと思ったんです。言葉や態度は厳しいけれども、一本筋が通っていて、相手をきちんと見ている。そういう人が本当にやさしい人だと思うんです。

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マジョランさんにおためしクッキーをすすめられるミサト


・顔色をうかがい合って、心の傷に気づけない子どもたち


――それは、まさしくマジョランさんです。ところで、ミサトは具体的に深刻な問題を抱えているわけではないですよね。マジョランさんのおためしクッキーがおいしくなかった理由を「悲しい気持ちだとまずいと感じる」と教えてもらっても、ピンとこない。その日、同級生で仲良しのアミちゃんと気持ちがすれ違ったけれど、それほどつらいとは思っていなかった。マジョランさんは、どうして、ミサトに助けが必要だと思ったのでしょうか?

アミちゃんは週末、ミサトとの約束をドタキャンしたのに、月曜日、そのことを特に悪いと思っていない様子で、さらに、遠くの町にいたはずなのに、マジョランさんのクッキー店にいったと話す。そのことをミサトが不審に思っても、アミちゃんは無頓着……というだけですから、深刻なことではないかもしれません。でも、きっとこの二人はこれまでも何度も同じような経験を重ねてきて、ミサトはその都度、本当は傷ついているのに「これぐらいなんでもない。よくあること」と自分をごまかしてきたのだと思うんです。

――確かに、アミちゃんは細かいことを気にしないタイプで、ミサトは気がつくタイプ。すれ違いは、これまでもあったと想像できます。

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ミサトの気持ちに気づかないアミちゃん

最近、学校現場の先生たちからよく聞くのですけど、小学校3年生ぐらいになると、子どもたちはお互いの顔色をうかがい合うようになるんだそうです。そして、嫌われないように、自分の気持ちをおさえる。それでも、学校に行っている方が楽しいと思っている子が多いそうです。

――ひとつひとつは小さなことでも、毎日、友だちの顔色をうかがって、1年も2年もたったら、苦しくなるでしょう。体にも影響が出そうです。ミサトはそうなるまえにマジョランさんに出会えて、よかったです。

そうですね。多くの子が、問題や傷を抱えているのに、がまんしていることにすら気づいていないと思うんです。家庭などに問題がなかったとしても、集団の中に入ると、お互い気をつかい合って、高学年になるとその傾向がずっと強まる。そんな中で、率直な子や天真らんまんな子は疎外されがちなんだそうです。本来、魅力的な個性なのに。

――アミちゃんみたいな、おおらかな子は少ないのでしょうか?

いるけれど、それが許される子が少ないみたいなんですね。スクールカーストの上位ならOKだけど、下位ならNGというふうに。

――石井さんは、4年生から地元の小学校に転校して、すぐになじめたのですか?

全然抵抗なく入っていけたし、受け入れてもらえました。のんびりした時代でしたね。
でも、私の娘が3年生の時、病気で学校を休んでいるあいだに、仲のいい子が他の子と仲よくなっていた、ということがありました。

――それはつらいことです。3人で仲良くならなかったのですか?

ならなかったですね。それまでは、いつも2人べったりで2人だけの世界を作っていたから、はじめは泣いてましたけど、そのうち乗り越えました。ずっと2人きりでいるより、よかったのかもしれません。

・マジョランさんの物語のこれからは?


――ところで、ルカはミサトのクラスに転校生としてやってきます。このあと、ミサトをはさんでルカちゃんとアミちゃん、3人のあいだで、なにかが起きそうですね。

そうですね。当然、娘と似たようなことが起きることも考えられるし、ルカだって、アミちゃんだって、誰でも問題を抱えているので、誰かに何かが起きるはずです。アミちゃんは、悪気はないけれど鈍感なところがあって、ミサトは自分の繊細さを守るために、無意識のうちに感じないようにしていた。ルカちゃんは、魔女になってもいいと思ったばかりで、まだなにかを解決する力はそれほどない。

――そんな子たちが同じクラスにいて、これからどうなっていくのか? そこに、マジョランさんがどうかかわっていくのか? 想像がふくらみます。2巻目にそれが描かれるのですね。

マジョランさんは、もしかして子どもではなく大人とかかわるかもしれない。そのことで、子どもが幸福になるかもしれない。間接的に子どもの力になる、ということもあるかもしれませんね。

・心がぶわっとして、ぎゅっとしたくなるシーンを


――クッキー店に魔女がいて、魔女見習いが学校にやってきて、物語がますますいろどり豊かになっていきそうですね。井田千秋さんが描かれる絵も楽しみです。

最初に井田さんのラフを見せていただいたとき、本当にこの街があって、どこかから入っていけそうな気がしたんです。この街を歩いていけそうな……。本を読んでいるあいだは、自分もここにいると思えて、本を閉じてしまうと、ここにいけたらどんなにいいだろう、と思わせてくれる。素晴らしい絵ですね。

――街もお店も学校も、よく知っているような親しみを感じるのと同時に、目に見えない世界の美しさやなぞを感じます。ディテイルをちゃんと描くことで、現実をこえた空気を描きだしていらっしゃるのですね。

それから、シーンごとのひとりひとりの表情が、まさしくそのときの気持ちとぴったり! ミサトの表情の変化が絶妙に描かれていて、風景の中の光にも、登場人物たちの気持ちを感じます。

画像7 ぶわっと
心がぶわっとすると、悲しくないのに涙が出る。

――マジョランさんの魔法でつれていかれた夕焼け空で、ミサトは悲しくないのに涙が出て、ルカちゃんから「それは心がぶわっとしたから」と言われ、自分の気持ちをぴったりの言葉で表してくれたルカちゃんを「ぎゅっとしたい」と思います。ここはとても印象的なシーンです。次の巻でも、心がぶわっとして、ぎゅっとしたくなる場面を、石井さんと井田さんに描いていただくのを楽しみにしています。
本日はありがとうございました。

ありがとうございました。


(文:松永 緑)