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第二回 「馬鹿にしたり嘆いたり嫌ったりせずに、ありのままを理解する」(スピノザ)

朝からひどく調子が悪かった。人と話しながら、今日の自分はなんてひどい声をしているんだろうと思っていた。弾力を失った、ひび割れたような声。オーケストラにたとえるなら、指揮者が不在で、バイオリンならバイオリン、打楽器なら打楽器と、それぞれのパートが勝手に演奏し、身体ぜんたいが不協和音の器のようだった。こういう日は、あまり人に会わない方がいいと思いながら本を開く。

「馬鹿にしたり嘆いたり嫌ったりせずに、ありのままを理解する」

いちばん最初に掲げられているこのスピノザの言葉は、読むたびに私の心を照らしてくれる。自分の調子が悪いとき、私は人を「馬鹿に」したり、「嘆いたり」してしまっているのではないか。きょうのような日は危険だ。「ありのまま」を見ないようにして、「悪いのは他人」「おかしいのは社会」ということにしたがるだろうから。ちなみに著者のフレデリック・ルノワール氏は、このスピノザの言葉を本の巻頭に掲げた理由をこんなふうに書いている。

「私がこのフレーズを巻頭言に選んだのは、スピノザが哲学的探求を行う上で常に心がけていたこと、つまり彼の基本姿勢が、この一文に凝縮されているからである。人生で起こるさまざまな出来事に対して、感情的に反応するよりも、むしろありのままに理解する努力をしよう。どんなことにも必ず何らかの理由がある。どんな自然の事象であれ、どんな人間の行為であれ、いろいろな要因が絡み合って引き起こされている。それを理解することができれば、相手を自分の尺度で裁いたり、嫌味や皮肉で攻撃したり、不満や憎しみや怒りの感情に振り回されたりはしないだろう。」(本書19-20頁)

スピノザは「ありのままに理解する」という、その言葉どおりに生きようとした。ルノワール氏は「彼は生涯を通して、自分の思考と行動を一致させようとした哲学者だった」と書いている。スピノザは17世紀の社会状況のなかで危険視され、迫害され、殺されかけたことすらあるのに、「喜び」を失わずに生きぬいていく。そういうスピノザに惹かれる。

「あらゆるものを鎮めるスピノザの平静さは、あらゆるものを掻き立てる私の情熱と対照をなしている。彼の幾何学的方法は、私のこの性格や詩的な表現とは正反対のものである。そしてまさにこの秩序正しい論法、精神的な題材には適さないと酷評されてきたこの論法こそが、私を彼の熱心な弟子、誰よりも熱い支持者たらしめたのだ。」(本書13頁)

本文中に引かれているゲーテのこの告白は、スピノザの「平静さ」を自身の熱しやすい性質と対置しているが、性質の違いを超えて結び合っている一点がある。それは「喜び」に対する感覚だ。ゲーテはスピノザの平静さは「喜び」によって生まれたものであると知っていた。人間の諸感情がどのように生まれ、どのように人間の生を広げ、あるいは狭めるのか。どうすれば人間は生の内部で起きていることを「ありのまま」に認識することができるのか。それを「秩序正しい論法」であらわしたのが『エチカ』であり、その「論法」を若き日のゲーテはみずからの福音とした。スピノザの喜びは一時的な気分の昂揚などではない。持続的で根本的なもの、その喜びは揺るぎないからこそ「平静」だったのである。

本書で紹介されている同時代人の証言によれば、スピノザは自分から気軽に人に話しかけ、敵対する相手とも穏やかに語り合える人だったという。俗衆を睥睨する気難しい哲学者、スピノザにはそんな傲岸さはみじんも感じられない。彼はどんな状況に陥っても、世をはかなんだり、憎悪を膨らませたり、攻撃的な感情に身をゆだねたりしなかった。侮蔑の言葉を投げつけられても、相手の表面的な感情や思い込みに惑わされず、相手に対する人間的な敬意を失うことがなかった。なぜ、そんなことが可能だったのか。感情の暴風に巻き込まれなかったのか。『エチカ』に書かれていることは、他人ごとではなく、悪戦苦闘の自らの人生をもって鍛えぬき、検証した哲学だったのだと私には思える。

その人の声は力強く響きがよいが、押しつけがましいところは少しもない。心からの関心をもって人と向き合い、穏やかな声で問いかけ、話す人——そんなふうに勝手にスピノザの声と話しぶりを想像し、自分の貧しく割れた声を恥ずかしく思う。

編集担当 野村浩介

紅葉の葉と本


『スピノザ よく生きるための哲学』
2019年12月10日配本
フレデリック・ルノワール 著/田島葉子 訳
装丁・緒方修一 カバー写真・朝岡英輔
定価2500円(税別)
ISBN978-4-591-16470-9

【著者】フレデリック・ルノワール(Frédéric Lenoir)
1962年マダガスカルに生まれる。スイスのフリブール大学で哲学を専攻し、雑誌編集者、社会科学高等研究院(EHESS)の客員研究員を経た後、長年にわたり『宗教の世界』誌(『ル・モンド』紙の隔月刊誌)の編集長、ならびに国営ラジオ放送局(France Culture)の文化・教養番組『天のルーツ(les Racines du Ciel)』の制作・司会を務めた。最近は「よく生き、共に生きる (Savoir Etre et Vivre Ensemble) ための教育基金」の共同設立者、ならびに「動物たちの幸せを守る会(Association Ensemble pour les Animaux ) の設立者として、その活動にも力を注いでいる。宗教、哲学をはじめ、社会学、歴史学、小説、脚本等、幅広い分野にわたり五十冊を超える本を出したベストセラー作家。世界各国で翻訳され、日本でもトランスビューより『仏教と西洋の出会い』(二〇一〇年)、『人類の宗教の歴史——9大潮流の誕生・本質・将来』(二〇一二年)、『哲学者キリスト』(二〇一二年)、柏書房より『ソクラテス・イエス・ブッダ』(二〇一一年)、『生きかたに迷った人への20章』(二〇一二年)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(二〇一八年)、春秋社より『イエスはいかにして神となったか』(二〇一二年)、『神』(マリー・ドリュケールとの対談集、二〇一三年)ほか、十冊にのぼる訳書が出されている。
【訳者】田島葉子
1951年東京に生まれる。上智大学外国語学部フランス語学科卒業、同大学院仏文学専攻修士課程修了。75年より故ジャック・ベジノ神父の論文やエッセーの翻訳に携わる。99年より十数年間、東京外国語センターのフランス語講師を務める。翻訳書に『利瑪寳——天主の僕として生きたマテオ・リッチ−』(共訳、サンパウロ)、『モリス・カレーム詩集——お母さんにあげたい花がある』(清流出版)、『哲学者キリスト』(トランスビュー)、『神』(春秋社)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(柏書房)など。


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