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第四回 「自ずから伝播していく真に良いもの」(スピノザ)

「日常生活で遭遇する出来事すべてが虚しく取るに足らないことを、経験を通じて学んだとき、また私にとって心配の種であり恐怖の対象だったものすべてが、それ自体は善でも悪でもなく、それによって魂(心)がどう揺れ動くかに応じて善にも悪にもなることに気づいたとき、私はよくよく考えて決意を固めた。自ずから伝播していく真に良いもの(本当の善)、それを見つけ出して手に入れることができれば、絶えることのない最高の喜びを永遠に味わえるような何かが、本当に存在しないかどうかを追究するという決意だ。」(『スピノザ よく生きるための哲学』)

昨年末から、この不思議な言葉をメモ帳に書いて持ち歩いていた。スピノザが若き日に哲学探究の決意をつづったこの文章は、覚悟の深さとともに奇妙な予感に満ちている。「真に良いもの」がこの世にあるのかどうかを探究すると言いながら、「良いもの」は「自ずから伝播していく」とか、「絶えることのない最高の喜びを永遠に味わえるような何か」とか、その性質が先取りされている。これはどういうことなんだろうと、時々メモをひらいては考えていた。だが、いくら考えてもわからない。だが、「あ、もしかしたら」と思うようなことはいくつかあって、書いておきたくなった。

スピノザは認識の段階をいくつかにわけて考えているが、もっとも根本的で高度な認識として、「直観知」をあげている(本書186頁)。あれだけ論理を重んじ、厳密な思考を貫いたスピノザが、もっとも重きを置く「直観知」とは何なのか。そのことと「先取り」には関係があるのではないか。

ともちの空の写真

本書の後半、「自由と永遠と愛」という章の中で引用されているスピノザの言葉に、次のような一節がある。

「至福は美徳に対する報いではなく、美徳そのものである。私たちは自分の性癖を抑え込むことで、美徳の喜びを感じているわけではなく、反対に、喜びという美徳を感じているからこそ、性癖を抑えることができるのである。」

これは世間一般で考えられる倫理観とは、因果関係が逆転している。よいことをしたから、自分をよく制御したから、その報いとして幸せになれるのではなく、幸福だからこそよいことができるし、欲望をコントロールできるというのだ。スピノザの世界観、あるいは心と身体についての洞察は、経験をつみ、思考をつみあげて生み出されたものというより、もともと彼のなかにあった確信が徐々にすがたを現わし、表現されていったものではないだろうか。スピノザに大きな影響を与えたデカルトの文章にも、響き合う言葉がある。

「わたしはこう考えた。書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人びとの意見が寄せ集められて、しだいにかさを増してきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然〔生まれながら〕になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できない、と。」(デカルト『方法序説』谷川多佳子訳 岩波文庫)

デカルトのいう「自然〔生まれながら〕になしうる単純な推論」という表現と、スピノザの「自ずから伝播していく真に良いもの」という言い方には同じ前提がある。どちらも知識の寄せ集めを信じることなく、自分のなかに生起するものを最大の思考材料とし、その軌道をそれずに進むことで確信を深めていった、という点で。

オビとカバーの下

先人の思想を貪欲に学び、知りうることを知り尽くそうとする——。彼らにとってのそういう「学び」は、自分の思想にプラスアルファするためのものではないように思える。彼らが読んだ古典は、自分のなかにある自分ならざるものを削ぎ落すための研磨剤でもあったのかもしれない。巨大な思想と格闘することで自分を掘り出し、自身を象っていく。スピノザの弟子、ゲーテはこんな言葉を書いている。

「先祖から相続したものを
わがものにするためには、改めて獲得せよ。
利用しないものは重荷だ。
その時々に作ったものでなければ、その時々の役に立たない。
(「ファウスト」第一部より/高橋健二訳『ゲーテ格言集』新潮文庫 166頁)

なるほど。ならば新しく読もう。今日にふさわしい自分となるために。

担当編集 野村浩介


『スピノザ よく生きるための哲学』
好評発売中
フレデリック・ルノワール 著/田島葉子 訳
装丁・緒方修一 カバー写真・朝岡英輔
定価2500円(税別)
ISBN978-4-591-16470-9


【著者】フレデリック・ルノワール(Frédéric Lenoir)
1962年マダガスカルに生まれる。スイスのフリブール大学で哲学を専攻し、雑誌編集者、社会科学高等研究院(EHESS)の客員研究員を経た後、長年にわたり『宗教の世界』誌(『ル・モンド』紙の隔月刊誌)の編集長、ならびに国営ラジオ放送局(France Culture)の文化・教養番組『天のルーツ(les Racines du Ciel)』の制作・司会を務めた。最近は「よく生き、共に生きる (Savoir Etre et Vivre Ensemble) ための教育基金」の共同設立者、ならびに「動物たちの幸せを守る会(Association Ensemble pour les Animaux ) の設立者として、その活動にも力を注いでいる。宗教、哲学をはじめ、社会学、歴史学、小説、脚本等、幅広い分野にわたり五十冊を超える本を出したベストセラー作家。世界各国で翻訳され、日本でもトランスビューより『仏教と西洋の出会い』(二〇一〇年)、『人類の宗教の歴史——9大潮流の誕生・本質・将来』(二〇一二年)、『哲学者キリスト』(二〇一二年)、柏書房より『ソクラテス・イエス・ブッダ』(二〇一一年)、『生きかたに迷った人への20章』(二〇一二年)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(二〇一八年)、春秋社より『イエスはいかにして神となったか』(二〇一二年)、『神』(マリー・ドリュケールとの対談集、二〇一三年)ほか、十冊にのぼる訳書が出されている。


【訳者】田島葉子
1951年東京に生まれる。上智大学外国語学部フランス語学科卒業、同大学院仏文学専攻修士課程修了。75年より故ジャック・ベジノ神父の論文やエッセーの翻訳に携わる。99年より十数年間、東京外国語センターのフランス語講師を務める。翻訳書に『利瑪寳——天主の僕として生きたマテオ・リッチ−』(共訳、サンパウロ)、『モリス・カレーム詩集——お母さんにあげたい花がある』(清流出版)、『哲学者キリスト』(トランスビュー)、『神』(春秋社)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(柏書房)など。



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