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全文公開終了御礼! 『忘れられたその場所で、』倉数茂さんインタビュー

みなさん、こんにちは。文芸編集部の小原です。
16日間限定で、倉数茂さんの『忘れられたその場所で、』を全文公開しましたが、ご高覧頂き、コメントを寄せてくださったみなさま、本当にありがとうございました。
本日、いよいよ『忘れられたその場所で、』が発売になります! テキストだけで読むのとはまた印象が変わると思いますので、ぜひ手に取っていただければ幸いです。

↓↓↓完成カバー&帯はこちら!↓↓↓

忘れられたその場所で、カバー帯2


帯には、綾辻行人さんからの推薦コメントが掲載されております!
絶妙に本作の魅力を掬い取ってくださいました綾辻さん、本当にありがとうございます。

全文無料公開は終わりましたが、冒頭の第1章だけ試し読みいただけます。ぜひチェックしてみてください!

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さて、刊行に際して、著者の倉数さんにインタビューを行いました。本作の誕生秘話や、これまでの紹介記事では触れなかった、本作のテーマになったある社会問題についても、踏み込んでお話を伺っています。作品とあわせてお楽しみいただけましたら幸いです。


↓↓↓倉数茂さんインタビュー↓↓↓

*「警察小説」という様式美

――本作『忘れられたその場所で、』は、単独で読める作品でもありますが、倉数さんのデビュー作『黒揚羽の夏』とその続編『魔術師たちの秋』につづく七重町シリーズの第3弾でもあります。本作は、どのようにして思いつかれたのですか?


倉数 本格的にジャンル小説を書いてみようと思ったんです。これまでの僕の作品は「ミステリ」とか「ジュブナイル」とか「幻想小説」といったジャンルの枠を借りつつ、どうしてもそこからはみ出していく部分があった。ジャンル小説は好きなんですけれど、書くうちに決められた道をはみ出したくなっちゃうんですよね。だけど今回は、それを抑えて、きちんと正攻法で警察小説を書いてみようと思いました。実際枠組みがあると逆に自由になれるということがあって、物語をスムーズに展開させることができたんですね。ミステリ的要素をどこまで取り入れるべきかというのも『黒揚羽の夏』からずっと悩んできたのですが、今回は本格的にミステリの体裁でやってみようと割り切りました。ただそれだけだとちょっと物足りなくなってしまう部分があって、もうひとりの主人公である美和の視点を投入することで、また違う副旋律、サブプロットを奏でることができるな、と思ったということですね。


――プロットを拝見して、こうきたか……! と思いました。『黒揚羽の夏』と『魔術師たちの秋』は、主人公である千秋と美和たち兄妹の成長小説としても楽しめる作品でしたが、今作では、物語の多くは、刑事の浩明視点で展開していきます。刑事を主人公にして書こうと思われたのはなぜですか?


倉数 刑事を主人公にすることによって、ミステリ的に話を展開することがすごく容易になる。今まで悩んでいたのは、ありふれた少年少女である千秋や美和がどういうかたちで犯罪に関わっていくのかというところだったんですけれども、刑事が組織のなかで犯罪を捜査していくというのは、ジャンル小説としてかっちりしたフォーマットがあり、蓄積があるわけですから、それを活用しようと思ったわけです。あと、前作からずいぶん間が開いてしまったことで、今回は仕切り直しになったわけですが、そのおかげで、少年少女の内面的世界や思春期の心の揺らぎを書くところから少しシフトして、大人が社会で生きていくなかで出会ういろんな葛藤や悩みを書いてもいいかな、と思ったんですね。


――今作は、これまでの倉数さんの作品に比しても、各段にスピーディーでリーダビリティに富んだエンタテイメントとなっていると思います。その点は意識されましたか?


倉数 そうですね。物語をいかに推進させるか工夫を凝らす楽しみを存分に味わいました。どうしても僕は、主人公たちの揺れ動く心情みたいなところに沈潜していく傾向があるんですけれども、その部分は残しつつも、むしろ謎解きとしての面白さ、そこに至るまでのさまざまな障害であるとか、組織内での葛藤みたいなところを書くことで、どんどんページをめくりたくなるような作品を書こう、と。ある種の紋切り型を恐れないというのもそういうことと繋がっていて、よくできた王道をやろうと思って書きました。


――今までの倉数さんの作品は、カテゴライズするのが難しかったのですが、今回は「刑事小説」と言い切れる内容になりましたね。


倉数 配分としては社会派ミステリが7割で、3割が幻想ミステリでしょうか。これまでは世の中にひとつのジャンルとしてある小説ではなくて、もう少し変化球を投げたい、裏道を行きたいという気持ちがあった。でもデビューして10年くらいたって、一度は幹線道路みたいなところを走ってみたいなと思ったところはありますね。


――私は警察小説にそれほど詳しくはないのですが、所轄と本部の対立だったり、組織の中で浩明がどう動いていくかだったり、捜査の過程などを、非常に面白く読みました。


倉数 警察小説ってすごく面白い形式ですよね。主人公がひとりで行動しているだけでは出てこない、いろいろな葛藤や軋轢を書くことができる、懐の深いジャンルだと思っています。


――印象に残っている警察小説はありますか?


倉数 好きなのは、ジェイムズ・エルロイの「L.A.四部作」とか、横山秀夫さんの『64』ですね。最初読んだときはあまりにも面白くて、呆然としましたね。松本清張なんかも好きです。

*幻視する少女の役割

――本作のもうひとりの主人公である美和は、人ならざるものを見てしまう高校生です。彼女が冒頭で幻視する今はなきある施設の情景であったり、古い家屋に隠された少女の正体であったりといったエピソードは、鮮烈な印象を残します。本作で美和の果たす役割とはどのようなものでしょう。


倉数 シリーズ全編を通して、美和はこの世界とそれ以外の世界をつないでしまう役割なんですよね。いつも彼女が何かこの世ならぬものを見てしまうところから物語が始まる。ただ、美和ももう子どもではなくなってきているので、単に受け身でいろんなものを見てしまうだけじゃなくて、見てしまう自分をどうしたらいいのか悩みだしている。ひとりの女性としてこれからどう生きていけばいいのか、そういう問いを抱えだしている。美和の自己決定、これからどうやって生きていくのかという問いが提出された巻という感じですね。


――クライマックスでは、美和の能動的な姿が描かれていますね。


倉数 美和自身も七重の闇の歴史に対峙しようとしている、向かい合おうとしているんですよね。作中に登場する大間知家というのは地方の名家で、その家父長制のなかで、女性がずっと抑圧されてきた歴史がある。美和自身、けっして明るく活発な少女ではありませんが、日の当たらない役割を課せられることに対する怒りというか、自分はそうなりたくないという気持ちがあると思うんです。兄の千秋も、自分が保護者だと思っているから、妹を抑圧している部分がある。そんな兄に対する怒りもあるんですよね。でもじゃあどうやって生きていけばいいんだという答えはまだ見つからない。自分自身の正体に対する欲求とか怒りが、最後の態度にもこめられているんだと思います。


――『黒揚羽の夏』で話題になったのが、古い映画の圧倒的な描写力ですが、今作でも美和が接するとあるアート作品の描写は非常に読みごたえがあります。綾辻さんも、そのシーンが印象的だった、とおっしゃっていました。


倉数 見せ場の一つではありますよね。一生懸命書きました。書いているうちに自分でも乗ってきているのがわかりました(笑)。


――どのようにあのアート作品を思いつかれたのでしょうか。


倉数 あとで気づいたんですけれども、僕の中にはずっと、女性が子どもを産むということに魅惑されている面と、人を誕生させてしまう恐ろしさの感覚と両方があるんです。僕の作品にはそういうモチーフが繰り返し現れてくる。あのアートの作り手が抱えている母性に対する葛藤みたいなのは、僕が共感するのも変な話だけれども、わかるんですよね。アートの作り手のなかでは摂食障害と子どもを産むということがねじれた形で結びついているんですが、僕にとっても子どもがこの世に生まれてくることへの驚きみたいなものがすごくあるんです。だからそれが出てきたということだと思います。

*本当はいるのに見えなくされている存在

――本作では、ハンセン病にまつわるエピソードが、物語の中核を担っています。ハンセン病は、物語でも語られているように過酷な差別の歴史があり、現在でも偏見の芽は摘みきれいません。生半可な気持ちでは取り組めない、非常に扱いが難しいテーマであると思います。なぜ、いま、エンタテイメント小説のなかで、ハンセン病を取り上げようと思われたのでしょうか。


倉数 僕もそのことを今日は話すべきかなと思っていました。まずひとつ、発想のもととして 、相模原障碍者施設殺傷事件というのがあったんですよね。あれは2016年ですけど、それがあったから、作品の日時をその1年後に設定しました。あの出来事に、僕はすごい衝撃を受けたんですけど、同時にもう理解できないというか圧倒される感じがあった。心底怖いという気持ちになったんだけど、何が怖いのか、なんでこんなに衝撃を受けているのかをうまく考えられなかったんですよね。それでもやっぱりあの事件のことを書くべきだとずっと思っていて、だんだん自分が何にショックを受けたのかわかってきたんだけど、まだ直接取り上げる準備が自分にできていないと感じていて、その相模原の事件に近づくために、まず一つ作品を書きたいと思ったんです。警察小説を書くにあたっても、直接相模原の事件を取り上げるということではないんだけれども、自分なりに考えるよすがになる作品にしたかった。僕は相模原市の隣の市に住んでいるんですけど、津久井やまゆり園という、重度の知的障碍者の方たちが暮らしている大規模な施設があることをまったく知らなかった。そこは人里離れた山のなかにあって一般には知られていなかった。そのことを考えているときに、ハンセン病のひとたちのことが思い浮かんだんです。共通しているのは隔離されて、いわばいつのまにか世間から見えなくなってしまっているというところですよね。それでハンセン病のことをいろいろ調べだすと、これはこれでまたとてつもない、信じがたいような出来事だとわかってきた。


――それはどういうところだったのでしょう。


倉数 ひとつめは、1929年に始まった「無らい県運動」で、それまで家族や地域の中で暮らしていたハンセン病のひとたちが、無理やりに家族から引きはなされて、あるいは自分自身の人生、人間関係から引きはがされて、療養所に入れられてしまったという出来事です。作中でもナチスなんかと繋がる部分があるんだといいましたけれども、これ自体がものすごく暴力的な事柄で人生というものを無理やり奪い去ってしまう、引きはがしてしまうという恐ろしさがある。ふたつめは、戦後になって感染力が非常に弱く伝染病とはいえないことが明らかになり、治療法が確立しているにもかかわらず、その状況がそのまま放置されたということですね。行政も医療業界、医学界も何もしなかった。マスメディアもそのことを問題としなかった。


――今となっては驚くべきことですね。


倉数 ハンセン病者というのは隔離されて暮らすものだ、という、思い込みというか決めつけがあって、本当は見えているのに見ていなかったということですよね。この二点が非常に恐ろしいなと思いました。見ているのに見えていないというのは、いまでもいろんなレベルであると思うんですよ。だって昔からそうだったし、もうそれでいいじゃん、みたいな。誰かが抗議の声をあげたり告発したりして初めて、あ、これはひどいことが起きているんだと気づく。ようやく見えてくるわけですね。これは今でもいろんな場面で起きていることだと思う。フェミニズムが指摘しているような色々な問題とか。いわれて見れば確かにこれはひどいことだ、という。だけどそれは知識として知らなかったわけじゃない、普段しょっちゅう目にしていたんだけれど、まあしょうがないよね、世の中ってそういうもんだよね、と思っていたわけですよね。見ているんだけれど透明化されている、不可視化されているという。津久井やまゆり園の事件ともつながるものがあると思うんだけれど、目の前にある人々をいつのまにか透明化してしまう、不可視化してしまうという出来事の象徴として、ハンセン病を取り上げました。美和はこの世ならぬものが見えてしまいますが、それは同時に一般人が見ずに済ましている犠牲者を見てしまうことでもあるんです。七重にはハンセン病の大規模な療養施設が数十年前にあったという設定ですが、そのことを町の人はすっかり忘れ果てている。僕自身、この作品のためにハンセン病の勉強を始めるまでは、東京にある今もハンセン病の人たちが暮らしている多摩全生園という施設のことを知らなかった。現在全国各地に13か所施設があったんですけど、ほとんどの人はそんなこと知らないですよね。観光地じゃないし、気軽に入れる場所ではないし、どうしても視野の隅に押しやってしまう。この「透明化してしまう」にはさらに次の段階があって、それは本当に物理的に抹消してしまう、です。それを本当にやったのが津久井やまゆり園を襲った犯人です。たぶん彼は自分がいいことをしていると思っていた。象徴的にいないことになっているのだから、物理的にも抹消した方がいい。その方が経済的に合理的で、財政に負担がかからない。彼は明らかに病んでいるけど、その論理は明快です。実際、自分は総理大臣から褒められるとか思っていたわけですよね。この論理で言えば、抹消されるのは障碍者である必然性もない。社会で生産性がないとみなされる存在であれば誰でもいい。貧困者でも、生活保護受給者でも、メンタルを崩してしまった人間でも。恐ろしいことです。まず象徴的に消し、次に物理的に消す。それが合理性の名の下に行われる。


――恐ろしいことですね。そう考えていくと、本作では「いるのに見えなくされている存在」というのが非常に大きなモチーフですね。


倉数 そうです。ハンセン病者はもうあまりいないけれど、障碍者の方々はたくさんいますよね。でも我々はあたかもいないかのようにふるまいがちです。そのつもりでいれば、車椅子の方だったり脳性麻痺の方だったりが、隣近所に少なからずいらっしゃるんですよね。でも物語として取り上げられる機会は少ない。今回も中心ではないんですけれども、見えなくされている存在として、主人公には障碍をもつ弟がいる、という設定にしました。津久井やまゆり園の事件が、自分のなかでずっと気になっているテーマとしてあって、そこからハンセン病というテーマが浮かび上がってきて、さらに主人公にもどこかにそれに共鳴する要素を持たせるために、障碍者の肉親がいて、そういう存在をどう受け止めるかということで、葛藤を抱えているという人物造形にしました。


――『黒揚羽の夏』では、鉱山での朝鮮人の労働問題が、『名もなき王国』では、妻が新興宗教に傾倒していくなかで別離を選んだ夫婦が、『あがない』では抗不安薬依存に陥った男性が主人公として描かれていたりと、倉数さんの作品の根底には、社会問題へのまなざしが感じられます。このような社会問題を取り入れて作品を書かれるのはなぜでしょう。


倉数 社会の周縁にいる人たちに関心があるんだと思います。そういうところに物語もあると思うんですよね。社会から排除されたり、厳しいところに追いやられてしまったりした人の人生を書いてみたいという気持ちがずっとある。『あがない』では、薬物依存症者の自助グループの講演会に行ったことがきっかけで、その人たちの姿にすごい感銘を受けたんですよね。どん底をくぐって、社会から脱落してしまったわけですけれども、いろいろなものを洗い流して、すっきりしている、というふうに僕は感じられました。家族を失ったり刑務所に入ったりして、それまでのものを全部一度失ってしまった人たちなんですけれども、でも再起して、依存症者で自助グループをつくって毎日を過ごしているわけですよね。そういうのにすごく感動してしまって、そういう人を書きたいな、というのが最初の動機です。社会問題を取り上げようと最初から思っているわけではなくて、そういう排除されてしまったひとに興味があって、そういう人を書きたい、そういうときに創作意欲がわいてきます。

*noteでの全文公開を終えて

――2018年の『名もなき王国』につづき、今作はnoteで二度目の全文公開でした。全文公開に踏み切られたのはなぜですか?


倉数 『名もなき王国』のときもネットでいくらか反響があって、それがスリリングだったのもありますね。それから、自分で言うのもなんですが、いい作品だと思うので、読んでもらえさえすれば、好きだという人は必ず出てくるのではないかと思うんです。読んでもらうというのが一番ハードル高いですよね。マイナー作家にとっては、いかに読んでもらうか、いかに名前を知ってもらうかというのが一番悩ましいところです。デビューするとか頑張って作品を書くこと以上に、そこが特に難しいところだと思いますね。


――発売前の全文公開が終了しました。終わってみていかがでしたか?


倉数 公開期間中、ずっとちょっと怖いような楽しみなような不思議な気分でした。本屋で自著を見つけた時も、ギョッとなって、その場から逃げ出したくなるのですが、それと似ています。


――お読みくださった読者の方からは、熱い感想をいただきましたね!


倉数 読んでいただいて感謝です。思わず「一気読みしてしまった」という声をいくつかいただいたのは、読みやすさを意識しただけにありがたいですね。自分はネットで長文を読むのは苦手なので、まず一冊まるごとは読めないと思います(笑)。あと、二年くらい前からネトフリやアマプラのサスペンスやスリラー系のドラマに結構ハマっているので、そういう名前が出てきたのは嬉しかったです。


――最後に、本作を読んでくださる読者に向けてのメッセージをお願いします。


倉数 とにかく楽しんでもらえたらそれで充分です。読み始めたら面白い作品になっていると思いますので、まずは気軽に手に取っていただきたいですね。それで、七重という町に住んでいる人たちにも少し興味を持ってもらえたら嬉しいです。


*最後までお読みいただきありがとうございました!
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