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『二木先生』(夏木志朋)文庫化にむけて考えた装丁の話


さて。どうするかなあ、とさんざん悩んでいたところに販売部のアゼチが言った。「変えましょう」。変えるというのは、タイトルであり、装丁だ。親本(単行本)から文庫化するときにはタイトルや装丁を踏襲するか変えるかを考える。

親本『ニキ』は2020年9月に刊行した。読者からの熱い感想をたくさんいただいたし、各社の文芸編集者からの注目度も高かった。文庫化の際には、もう一段ひろい読者をとれるはず、というのがわたしたちの共通認識だった。四六判の文芸書と文庫は価格帯も売り場も違うし、読者層は必ずしもおなじではない。

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(△単行本時の装丁)

この『ニキ』は第9回のポプラ社小説新人賞の受賞作だ。選考会は大いに盛り上がり、満場一致で選ばれた。なかでも、アゼチの思い入れは強かった。社会通念の縛りと正面から向き合ったこの作品は、一般論で言えば「きわどい」作品でもあったから、案ずる声もなくはなかった。そんなとき何人かが身を乗り出して、まっすぐに思いを語ったが、その一人がアゼチだった。

アゼチは小柄な身を震わせるようにして、「わたしはこれをみんなに読んでもらいたいです。どうしても!」と言ってぐいと目をあげた。「大きな黒目はなぜか光を反射しない」という一文が『二木先生』にあるが、アゼチの大きな黒目はその逆だった。黒目の奥の扉が開いてしまったように、えたいのしれない情熱が光を放っていた。

アゼチがこの本の文庫化にあたって「変えましょう」といったとき、親本『ニキ』に深い愛着があるわたしには反発する気持ちがあった。タイトルもそうだが、中村一般さんのイラストがとても好きだった。散らかったあの部屋がいつまでも心から離れない。でも、この作品を愛し、書店の売り場の風の中で、懸命にこの本を売ろうとしているアゼチが言うなら、とも思った。「まず夏木さんに相談してみるよ」。

夏木さんに相談すると、「タイトルは変えたほうがいいかもと思っていました」とのこと。夏木さんから出てきたのが、「二木先生」だった。台湾で刊行された『ニキ』のタイトルが「二木老子」だったこともヒントになっていた。イラストとの掛け算で新しいイメージが生まれるかもしれない。

そこで、親本のデザイナーでもある岡本歌織(next door design)さんに意図を話し、幾人かのイラストレーター候補をあげてもらった。Neyさんにお願いすることにした。Neyさんのイラストには世間の「禁」にたいする美しさによる抵抗のようなものを感じた。夏木さんの世界観に通じるものがあるのではないか。

岡本さんはNeyさんに「二木先生の個性や尊厳を他者から侵害されて汚されているようなイメージで、目の当たりを塗り潰したような絵を描いていただきたい」とお願いしたという。

イラストがあがってきたとき、ぞくっとした。目元を覆う線は青、緑、オレンジ、黒といったいろんな色がつかわれていた。それは教師・二木の内面の複雑さを表しているようでもあったし、美しいものを台無しに汚してしまうエゴの奥に秘密のメッセージをしのばせているようでもあった。

この段階でもう完成したような気持になっていた。タイトルの入れ方にバリエーションはあっても、きっとうまく仕上がるだろう。ところが、岡本さんが送ってきた装丁バージョンのなかに、思いがけないアイデアがあった。A案、B案、C案とスクロールしていった最後にあらわれた一枚、それは曼陀羅のように画面に文字が配されたデザインだった。

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(△文庫の装丁)

「普通の人間を装いたい。」「Aの皮を被る。」「きみ、結構いやらしいよね。性格が」など本文に出てくるフレーズが抜かれ、画面にちりばめられている。これだと思った。夏木さんに見てもらい、アゼチにも見せた。これでいこうと一致した。

いいと思った瞬間に理屈はない。だが、あえて言うなら……。「二木先生」というそっけないほどシンプルなタイトルと、目をかくして表情がわからない人物。端正な鼻から口元、顎のラインは美しく影を刻んでいるが、彼が何を考えているかわからない。画面にちりばめられた言葉が、この人物を揺さぶる。閉じた口を開かせようとする。美しさに惹かれながら、複雑な運動が内部におこるのを感じた時、これはまさに夏木志朋の『二木先生』の世界だなあと感じた。

危機にのぞんで破綻を回避した瞬間、「つまらないな」と思う感性がある。せっかく無事にすんだのに、その先に踏み込んでしまう人間がいる。この小説の主人公、高校生の田井中広一はそういうタイプだ。そして、このやっかいな生徒を受け持ってしまった教師・二木良平もまた、誰にも言えない「禁」を心の底にしまい、暴露への誘惑を持ちこたえている。そんなふたりが出会い、揺さぶりあう。どんでん返しの連続、容赦のない剝がし合いの果てにあらわれた世界に、わたしは言い知れぬ面白さと感動を覚える。なんだろう、この小説は。今も考える。はっきりしているのは、わたしはアゼチに負けないくらいこの作品が好きだということだ。

9月に文庫版として刊行し、現在4刷。仕掛けてくださったお店では「文庫本売れ行きランキング第2位」などとうれしい売れ行き。これからいよいよ『二木先生』の読者は広がっていくだろう。どうぞ本屋さんで見つけてください。文句なしに面白いですから。

編集担当 野村浩介


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