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ポップインサイト創業記(16)〜撤退基準は1年以内の単月黒字の達成有無

話は少し前に遡って、退社する事を決断した時のエピソードになります。当時の私はOEM戦略に今後のサービス展開の可能性を見い出せたものの、私はまだ起業に踏み切るか止めるのか最終的な結論を出せずにいました。

退社するかしないか大いに逡巡する

その頃、私には1歳位になる子供がいました。流石に子供が小さいし、いきなり起業へと踏み出す勇気が持てませんでした。その為、私はまだこの時点では、副業を続けながら小さい形で展開していく方が良いのではないかと思っていました。

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一方、パートナーの喜多君は、当時今の奥さんと付き合っていて結婚を見据えていました。そして、結婚する前に新しいチャレンジをしたいという希望を持っていました。

このような状況で、喜多君の方が先に退職の意を固めることになりました。

妻への相談

この『ユーザーテストを拡める』という企画は、元々は私が言い出したものです。それなのに、喜多君が辞めて戦うのに、私だけ辞めないのはおかしいかなと考えました。

そこで、まずは一番身近な存在である妻に相談しました。「退社して独立しようと思うけど、どうかな?」と。

一般的にはこういったケースの際には『嫁ストップ』と言って反対されることが多いと聞きます。しかし、妻は全く止めませんでした。寧ろ、「チャレンジしたほうが良いんじゃないの」という感じで背中を押してくれました

今でも、妻からは手洗いや掃除など日常生活に関しては、細かい事で度々叱られてしまいますが、ビジネスなどの大きなことは全く意見することなく、何でも肯定して応援してくれます。そんな妻には心から感謝しています。


両親への相談

次に私は両親に相談しました。すると、両親も「チャレンジしたほうがいいんじゃないの」という感じで背中を押してくれました。

一般的に、親は子供に危ない橋を渡って欲しくないと考える方が多いと思います。ビービットは大手で安定してるし、「辞めない方が良いんじゃない」と言うのが普通の親のイメージかと思います。

しかし、私の両親は元々比較的全てにおいて私の考えを尊重してくれる質だったのです。

実は、私は大学を2回退学と転部をしています。

最初に早稲田の理工学部に入学したのですが、本当は東大が第一志望だった所を落ちてその滑り止め入学でした。その為、私はもう1回東大にチャレンジしようと考えて、1年間ほとんど学校にも行かず単位も取らずに、終日塾の講師のアルバイトをする日々を送りました。

そんな中、残念なことに2年目の受験でも再び東大を落ちてしまいました。理工学部に戻ろうにも単位が全くありません。そんな時、滑り止めに受けていた早稲田の国際教養学部に受かったのです。

そこで、在籍していた理工学部を退学して、もう一回入学し直して国際教養学部にいくという形を選びました。

国際教養学部は英語で授業を受けるのですが、私は英語が特段出来た訳ではありませんでした。さらに、国際教養学部は留学するのが基本でしたが、留学するのが面倒になってしまい、最終的に再度退学して同じ早稲田の夜間の文学部に転部してしまったのです。

理工学部で入学しているのに、卒業したのは第2文学部という夜間の学部になったのです。普通の親なら到底許してもらえない様な事だと思います。

しかし、私の両親は全てにおいて、私の考えを尊重して応援してくれる質でした。とてもおおらかな視線で見てくれる両親だったので、特に反対すること無く応援してれました。

そういった両親ですので、独立して起業する相談をした際も、全く反対すること無く「あなたが言い出したのだから、喜多君独りでさせては駄目でしょう」と、後押ししてくれました。

撤退基準を決めての起業スタート

そこで、私はいよいよ起業する事を決め、妻とある約束をしました。それは「1年で単月黒字にならなかったら止める」というものでした。

世間では一般的に、最初は役員報酬をほぼゼロにして、自分への報酬をノーカウントにしてまずは黒字にすべきであると言われます。しかし、私には子供もいるし、喜多くんも結婚するといっています。自分達の食い扶持は稼いで、その上で最低黒字になっていなければ継続性がないと考えていました。

そこで、最低限暮らせるレベルの役員報酬を受け取った上で、単月黒字を一年間の間に実現できるのであれば継続しよう、ダメだったら辞めて転職しようと。その様に撤退基準を設定したのです。

金額としては、子持ちの池田が30万、独身の喜多君が25万程度と設定しました。

この様に最初に限界やリスクをきちんと見定めました。大きく借金をしなければ自分の出した分のお金がなくなるぐらいの感じでリスクが限定される訳です。そういった撤退基準をきちんとしてスタートしたのです。

このように、丁寧に撤退基準を決めて、そこまで行かなかければ止めようと決めていたので、思い切って取り組むことができました。さらには、それを宣言することで身内全員から強く後押ししてもらえたので、安心して全力を注ぐことができました。

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