見出し画像

人は道路で交流を深める~路上のコミュニケーション

私はを飼っている。

犬を飼う前と後でいろいろと変化があったが、最も大きな変化の1つに地域とのつながりがとても深くなったことがある。

もともと猟犬の血を引いていることもあり、1日2回は散歩に出かける。同じ時間に散歩に出かけるようになってから気づいたのだが、だいたい同じ人に出くわす。毎日顔を合わせていると、そのうち挨拶をするようになり、さらに会話もするようになる。

おそらく犬を飼っている人は、少なからずこうした過程でご近所との付き合いが深くなると考えられる(本人が拒否すれば別だけど)。

私の場合は「犬の散歩」から出発し、上記の過程を経て、全く面識がなかった町内会の高齢の役員の方々と親しくなり、ひいては高齢化が進む町内対抗ソフトバレーボール大会(平均年齢73歳)にも、毎年若手レギュラー選手(まじか)として出場するまでになってしまった(バレーボールは得意でもないのに)。

いったいどうしてこんなことになったのだろうか?

1.路上の行動とコミュニケーション

振り返ってみると、こうしたコミュニケーションはすべて路上で行われていたことに気づいた。町会の役員らとどこかで飲食をした覚えはない。

「路上のコミュニケーション」については、都市計画では実はけっこう研究されている分野である。ヤン・ゲールが都市空間における人々の行動を「必要活動と任意活動」という図でまとめている(注)が、私もそれに倣って犬の散歩に行く朝夕の間、どんな行動が行われているのか、試みにまとめてみたことがある。

画像1

図 行動観察結果まとめ(2017年12月1日~2018年2月15日)

具体的には、以下のようであったと記憶している。

散歩コース上にある道路沿いにはちょうど中学校がある。授業や部活が終わると一斉に学生たちが下校する。楽し気に連れ立っておしゃべりしながら歩いているのを、ほぼ毎日必ず目にした。

画像2

さらに土日になると、中学校で野球やサッカー等の学校対抗の試合を行っているようで、見に来ている保護者達が終わるのを待っているのか、立ったまま話をしていることが多く見られた。なかなか終わらないのか、長時間話し込んでいることもあった。

他にも、土曜日の午前中は必ず毎週熱海の方から魚の移動販売車が来ていることを確認した。止まる場所も決まっているようで、その時間になると何人かが魚を求めて車を取り囲んでいた。

作業をしている人もけっこう見かけた。よく見かけたのは庭の手入れで、道路に面している家の花壇を手入れする。知り合いなのか分からないが、手入れをしている人に話しかけている人もよく見かける。

興味深いのは雪の日であった。東京でもちょうどこの時期に大雪があったが。次の日の朝は普段見かけないような人々が一生懸命庭の手入れとともに道路の雪かきをしていた。

近くに寄っていくと、「車が出せなくて」とか「隣の木に雪が積もってウチの方に来てしまって」などと、見ず知らずの私にでも気さくに話しかけてきた。こちらも「大変ですね」と自然に返した。

こういう想定外の出来事があると、コミュニケーションのハードルというものは下がるものなのだ。

画像3

さらに、携帯電話やスマホをいじりながら、ヘッドホンをしながらなど、ITデバイスを操作しながら歩いている人も多く見かけた。これは時代を反映していると思うが、高齢者を除くと10人に1人くらいは観察できた。

2.「人々はエッジ部分に溜まりやすい」

一方、路上の行動を観察していると、頻繁にコミュニケーションが行われている場所が路上にいくつかあることが分かった。

まずは学校の正門付近。下校時の別れ際に学生たちが溜まって話をするばかりでなく、前述の試合待ちの保護者やあまり関係なさそうな近隣の人など、様々な人達がここで立ち話をする。

ちょうど正門を出たところにレンガ造りの花壇がある。ここの花壇の縁に座り込んで、きゃあきゃあ言いながら話し込んでいる女子学生も多くみられた

この学校の事務員によると「あまり端の方まで花を植えると(座られて)ぺしゃんこになる」ために「できるだけ端の方まで花を植えないようにしているのですよ」と苦笑していた。

さすがに保護者はここ座って話し込むことはしていないようだが、代わりに少し離れた電信柱付近に立って話をしていることが多くみられた。

他校からの保護者の場合は、高い確率でこの少し離れた電信柱の横に立って話をしている。この学校との距離感を感じさせる行動である。

画像4

あとは、三叉路などの分かれ道となっている付近。特に電信柱付近が壁側

一緒に歩きながら話をして、その後三方向に分かれて帰って行く行動をよく見た。どこからか一緒にここまで来て、別れる直前のこの三叉路の電信柱の横で話し込んでる。

このように、電信柱の横や建物の壁沿いに「人だまり」が多く見られた

ヤン・ゲールもポポロ広場での行動マッピングを行った際に「人びとはエッジ部分に溜まりやすい」ことが判明したとして、これを「エッジ効果」 と呼んでいるが、それがそのまま確認できたわけだ。

確かに、広々とした空間のど真ん中で立ち話というのは、なんだか不安な気持ちになる。背後に壁があったり、木の陰や電信柱といったものに近づいて立ち話をした方が安心していられる。ましてや道路上であれば、車の往来もあるわけで、この「エッジ」というものが人々の交流を行う上で極めて重要な場所になってくる。

3.道路上のコミュニケーションが地域の交流を促進する?

道路というものは、どこにでもあるが、たいていは「移動する場所」としてとらえられている。最近では、路上でオープンカフェやイベント、パフォーマンスなど新たな試みが行われているが、普段のコミュニケーションの場としてはまだまだ活用されているとはいいがたい。

しかし見てきたように、普段の交流の場として路上は自然なやりとりが成り立つ場でもある。こういう視点で路上を見ると、地域ばかりではなく自分自身も変わっていく気がする。

道路は場所と場所をつなぐばかりでなく、人々をつなぐ場としても活用できそうである。

注)ヤン・ゲール ビアギッテ・スヴァア (鈴木俊治・中島直人ら訳)(2016)「パブリックライフ学入門」、鹿島出版界、94

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?