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はじめてのnote〜どうして僕は本を書いたか?(自己紹介的なニュアンスを込めて)

はじめてましで、コピーライターの小西です。
はじめてのnoteで少し緊張してます。

コピーライターという職業をしていると、書くことが普通ではあるものの、書くことが仕事なので、書くことに恐れがあります。

たいした文章書かねーなと思われたら、悲しいですしね。

ただコピーライターの人たちの中には(僕もそうかもしれないけど)、
書くのが下手な人が多くいます。

なぜならコピーライターは「うまく書く」のが仕事ではなく、
「課題解決のアイデアを言葉で表現する」のが仕事なので、
すごく美しい言葉じゃなくても、伝われば良いからです。

とはいえもちろん、すごく美しい、気持ちのいい文章が書きたいと思っているので、noteに手を出さなかったというわけでした。

そんな僕がこうしてnoteを書いてるのには理由があります。

それは本日、2024年7月25日、
「すごい思考ツール 〜壁を突破する100の方程式〜」を
文藝春秋社から出版したからです。

なあんだ、出版のPRかよ…と思わないでください。

こうしてnoteに書いているのは、なぜ僕がその本を書こうと思ったかを、
どこかに記しておきたかったからです。

先ほども書いたように、僕は、うまく文章がかける人でもないし、
言葉の天才でも、さらにいえば、広告の才能があったわけでもありません。

そんな僕が、広告代理店を独立して19年、第一線で走り続けられた(正直、息は上がってますが)のは、あることをしたからです。

それがなんなのか?

それをここで書いていきたいと思います。

さて僕は、広告代理店に入って順風満帆にクリエイターとなり、素敵なクリエイター人生を送ってきたわけではありません。

代理店にはもともと、マーケティングという仕事に憧れて入りました。

ところが、代理店には配属前に試験があり、そこでマーケのテストはボロボロだと人事に告げられ、思ってもいなかった「クリエイティブ局配属」ということになったわけです。

当時(今はどうか知りませんが)クリエイティブは人気があったので、周りからは「すごいね」とか「才能あるんだね」とか言われて、少しだけうぬぼれましたが、そんな嬉しい時間は一瞬で過ぎ去りました。

なぜなら、クリエイティブ局への配属日にあった飲み会で、へべれけによった先輩(この人が僕をクリエイティブ局に入れた張本人)が、マイクを通して僕を呼び、みんなに「これが小西くん。実は12人中の13番目ね。補欠で入りました!課題はまるでダメだったけど、1つだけ面白かったからね。ぎりぎり。小西くん、頑張ってね。皆さんよろしく。」と叫んだからです。

もう30年以上前ですが、この日の温度や匂いまで覚えています。
人間の記憶ってすごいですね…。(ちなみに憎しみは消えました)

さて、この日以後、僕は「かわいそうな動物を見る目でみんなから見られている」という被害妄想に陥り、背中を丸めて仕事をする日が続きました。

正直、配属されるまでコピーライターなんて興味なかったし、もちろんどうやってコピーがかけるのか?コピーがなんなのかもわからなかったので、仕事もしっちゃかめっちゃかで、何をしても「センスない」「ダメ」と言われ続けました(センスってなんだよ!と叫んでました。センスがなんなのか?その応えは本に書いてます)

自分でも「どうせ俺、補欠だから」と自分にいいきかせることで、逃げていたのもあり、向上心もなかったので、何も改善せず数ヶ月、1年と、時間だけたっていきます。

そんなある時、二人の先輩から、別々に呼び出され(一人は午前に喫茶店へ、一人は午後にランチへ)、「小西は向いてないから、転職したほうがいい」と勧められました。最初は「ドッキリですか?」なんて話してましたが、先輩の顔があの「かわいそうな動物を見る目」だったので、本当なんだと知りました。

それほどに、ダメダメな社員だったわけです。

そんな僕に転機が訪れたのは、パルコのプレゼンの時でした。
パルコと言えば当時、広告賞をとりまくっているスタークリエーターばかりが広告を担当する、いわば花形のクライアント。

僕は末端とはいえ、そこに参加できることに舞い上がったし、とにかくいっぱいコピーを書き、いっぱいアイデアを出しました。

が、もちろん惨敗。

まるで…1案たりともプレゼンに採用されません。案がボツになってからは、完全に他人事でした。そんな思いでプレゼンにでていたので、たぶん、ぼんやりしてたのでしょう。

プレゼンの席上で、僕の上司だった米村さんからいきなり、
「ではこのあとのプレゼンは小西から」、とふられたのです。

僕は真っ白になって・・・

その後の30分、本当に何も記憶がありません。

ただ、それなのにうまくいったんです!!!

と言いたいところですが,もちろんプレゼンは失敗し、
先輩も営業さんもあの「かわいそうな動物を見る目」で僕を見ていました。

ただしこの失敗を機に、僕は、一種の自暴自棄状態になり、
恥ずかしい人間なんだからと開き直るようになりました。

これが、1つめの契機。

恥ずかしさをなくした人間というのは怖いもので、有名なクリエイターとか怖い先輩とかにもズケズケ言えるようになったし、へんてこなアイデアも「どうせ僕はダメ人間ですから」と出せるようになりました。

カメラマンのホンマタカシさんに「写真うまいですね」と言ったり、
是永裕和監督に「編集、いいですね」と言ったりもしました。
今から思うと、そんなアホなこと言うな!と自分をしかりたいですが、
お二人とも笑って「ありがとう」と言ってくれたので嬉しかったのを覚えています。

その時思ったのが、恥ずかしいのは言い訳にならないということ。
出さないより出す方がいい。言わないより言う方がマシ。

失敗したり、馬鹿にされたり、叱られたりしても、それは経験。
次の失敗に備えられるし、失敗のルートを走らないようにできる。
それがわかってからは、失敗を狙ってするような(ちょっと変なモチベーションの)変わったクリエイターになりました。

そうしていると、失敗したり、怒りを買ったりすることもどんどん増えますが、それを経験として自分に取り込んでいくうちに、徐々に、結果、面白いヒットが打てるようにもなっていったのです。

2つ目の契機は、師匠の小霜和也さんとのエピソード。

小霜さんはプレイステーションなどを世に出し、流行を生み出した天才。
ただ、非常に厄介な人で(笑)、下についた人が誰も長続きしないので有名な人でした。

僕との最初の出会いでも、「お前なんかいらん。全然書けないから、顔を見せるな」だったのを覚えています。笑

ただ、その頃の僕は失敗が怖くなくなりはじめてるので、この人の背後にピタリとついてスリップストリームに入れば、いつか追い抜けるのではないかと思い、365日中、300日以上、朝から夜まで一緒にいました。

でも実際は追い抜けるどころか、小霜さんが吐き出す排気熱で終始やられっぱなし。おしまいには、すっかり引きずられる生活になっていました。

そんなのが続いた年末。

小霜さんからプレイステーションの見開き広告のボディコピー(長い文章のようなもの)を書けと言われ、それを書いたのですが…何を書いてもボツにされる。1000字以上の文章を、100以上書いたのにすべてボツ。

落ち込みすぎて、またまたあの「俺、どうせ補欠だし」根性が復活し、背中を丸めて書くようになりました。

そうして年末を過ぎ、年始になり…締切を超え、一度は原稿を落とし(本当に真っ白に近い原稿が出た)、それでもボツが続き、もう精神的にも追い込まれていたのに、それでも小霜さんはYESと言わない。すべて「つまらない」と言って捨ててしまう。

1月の中旬を過ぎたころ、実家での用事があったので京都に戻った時も、その原稿を書き続けました。両親から「大丈夫?」と言われるほど顔面蒼白だったようですが、書かなきゃという思いで書き続け、、FAX(当時はそれしかなかった)で送ったものもやはりボツ。

僕は諦めて「これは本当に向いてないんだ」と思い、辞表を書きます。

そして最後に、嫌味として、自分が好きな落語を書いてやろうと思い立ち、
広告のボディコピーなのに「落語」のようなやりとりを書いたのです。

それを後日、小霜さんに見せると大笑いして、「こりゃ面白い!すごい!ビジュアルやめてこのコピーだけで原稿つくろう」とまで言い出しました。僕はキョトンとしつつ、喜び、考えて、そして理解しました。

自分のフォームで打つ。

どんな天才打者でも、泳いで打つと凡打になるんです。

自分の好きなこと、自分のやりたいこと、自分が書きやすいこと、
自分が考えやすいことから始めれば、強い。

わかれば簡単なことだけど、それがわからなかった。
そんな当たり前のことに気づいた時、楽に打てるようになったのです。

長々と昔話をしてしまいましたが、

ここでご紹介した失敗と思考方法の確立は、後に僕の財産となっていきました。

その後もやっぱり失敗は続き、そこから学んだことを課題解決方法として残し、思考方法をどんどん言葉にして自分なりにストックしていきました。

過去のメソッドをどんどん組み合わせ、積み重なり、ピュアになり、本質的になっていく、思考ツールの数々。それらが僕の仕事をどんどんパワーアップしてくれたのは間違いありません。

まさに、失敗から生まれた思考方法こそが、僕の仕事を支えてくれる力となったわけです。

今回出版した「すごい思考ツール」は、そんな僕の「失敗と思考ツールの束」(30年も仕事をしているとそれは山のようの積み上げられ300ぐらいになってましたが)を、山本浩貴さん(文藝春秋社)が根気よく見て、吟味していただいたことで世の中に生まれることになりました。

いま仕事で悩んでる多くの人の助けになるかもしれない!
そんな言葉に突き動かされて執筆を始めたわけです。

それは折しも僕がつくった会社(POOL Inc.)の社長を卒業し、もう一度、クリエイターとしてやり直すぞ!と思った時でもありました。

僕はこの本を「集大成」と呼んでいますが、その理由は、ただメソッドだけをまとめたのではなく、30年間の仕事時間を振り返り、その仕事人生の中で経験した失敗や挫折、苦しさや楽しさを書きながら、どうやってその思考ツールにたどり着いたか、どうやってそれを使ってきたかを書いたからです。つまり壁にぶつかり続けたあるクリエイターのヒューマンドキュメンタリーでもあるわけです。

それ故に、ただ単に「メソッド」だけがのっている本よりも、わかりやすく、しかも使いやすいと思います(僕の失敗談への共感も含め)。

その内容はすでに(先に読んでもらった)多くの経営者の人からも、若い人たちからも、「すごく頭がすっきりする」「考えやすくなった」という声をもらっています。きっと皆さんの仕事の悩みを解決する力になると思います。

本書にも書きましたが、考えるツールを持たずに仕事をするのは、
バットを持たずに打席に立つのと同じです。

つまり打てるはずがない。

でも考え方がわかれば、誰もが考えられるようになれるし、
仕事をうまく進められるきっかけが生まれるのです。

必要なのは、考えるための考え方。
シンプルで覚えやすく、誰もが実践できる、思考ツールです。

先ほども言いましたが、本書は、成功した人が成功のルールを語るのではなく、ダメダメな自分が未来に使えるようにと考えたツールが満載です。

すなわち、難しい前提や複雑な組み合わせを必要としない、
誰にでも使いやすい「道具」です。

まずは一度、読んでみてください。
きっと、使いやすい道具だなと思ってもらえるし、
使い込むことで、より自分らしい道具に進化すると思います。


最後に。

閃きという文字は、「門」に「人」が来ると書く。

数年前にそう教えてもらいましたが、この本はまさに、僕が様々な人と出会い、叱られ、怒られ、なんとかがんばって走り続けながら、いろんな仕事でアイデアを「閃」いてきた、僕のすべてを書いています。

きっとこの本を読めば、昔の僕と同じように、今、仕事に小さな悩みを持っている人も、大きな壁にぶちあたって途方に暮れている人も、「なあんだみんな自分と同じように失敗するんだ」と思えるし、前向きになることで(もしくはどうせ失敗すると開き直ってもいいでしょう)、いろんな人と出会い、眼の前にある壁の超え方が「閃く」でしょう。

僕の失敗談とそこから生まれた思考ツールが、
あなたの人生にとって良い変化を生みますように。

あ、できれば、これからnoteで、本の裏話や、本に書かなかった「思考ツール」についても書いていこうと思います。

そちらもぜひお読みください。



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