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日差しと気温だけが先走っていた6月が過ぎ、月日も追いついて来た7月、8月。私の気持ちはいまだ夏に追いついていません。

なので夏を感じるべく、ウィークエンドシトロンを焼きました。🍋(溶かした卵が余っちゃったからチャンククッキーも焼いてしまっけれど…)

意外なことに、レモンの皮をすりおろしているときより、砂糖と皮を馴染ませるときや、焼いている最中の方が、香りが香って来ました。
お菓子作りは、作っている過程が本当に幸せです。
また、焼く直前のワクワク感は何物にも変え難いなあと思います。

夏というのは、私にとって、常に寂寥感が伴い、懐疑的になる季節です。街中の喧騒をよそに、心の中は春の海のように落ち着いています。夏祭りから一本それた道の感じです。
今まではこれが何から想起されているのかわからなかったのですが、今、少しだけ気づいたことがあります。
家族との時間、周囲とのテンションのずれ、平和式典、甲子園、お盆などなど、夏には、日本人が大切にしている文化や、夏休みがあるがゆえに意識せざるを得ないものたちが、たくさんありました。
私は幼稚園生の頃から、夏休みの宿題は始まる前か1日2日目には終えるタイプです。そのせいか、夏休み約1ヶ月は時間を持て余します。友達が極端に少なく、外に出て元気に遊ぶというのは得意にしていないからです。お祭りは疲れるものとしての認識が強いですが、友達と浴衣を着て行ってみたかったなと今になっては思います。家の中から、近くで開かれる祭りに伴う外の喧騒を聞いて、自分とのテンションの差に何とも言えない感情になっていました。いじけるとは違うし、率先して楽しみたいとも思ってはいないけれど、感じるあの感情…なんなんだろう。
必然的に家族との時間が増えます。私は家族との時間が大好きですが、これは夏に限らず、ふと寂しくなります。時間が永遠に続くことがないことを知っているからです。幸せと寂しさは表裏一体だなと、大切な人の笑顔を見るたび意識します。
夏休みは1か月あるのに、刹那的です。
命について考える機会がいつにも増して多くて勝手に寂しくなります。
たまに遊びに出かけるとなおさら寂しさを感じます。楽しさもまた、寂しさと表裏一体なのです。
儚さのオンパレードなのは、きっと、絶頂の楽しさの中に、平和を願う気持ちが強く強く根付いているからです。

今年は日本にいないからか、そういう感情がとても薄く、またそれが私を寂しくさせます。
考えるきっかけになってくれたからよかったことにします。そしてそうしているうちに、これもまた夏だなと思えるようになります。
19年しか生きていない人間が、夏をわざわざ定義しに行っているのも烏滸がましいですが。

これから先も、家族、友達、電車で隣に座る人、街ですれ違う人全員が、みんな安心して未来を望めますように。

お身体にはお気をつけて。

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