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君のことだから

という言葉が苦手です。
私の外側の表層の一部分も知らないくせに、とひねくれた私が言います。

「分かったような気になる」と言うのは人間の得意分野として有名なのですが(私調べ)、それを徐に振りかざしてくるのは違うんじゃないかと思うんです。

君のことだから、今頃暑がっているだろうと思ってアイスコーヒーを買っておいたよ。と昔の彼は言ってきました。

9月の、少しだけまだ暑さが残る日でした。私は本当に、とっても紅茶が飲みたい気分だったのです。

それでも、その期待したような眼差しの前では優しい嘘を付くほかありませんでした。

あなたに合わせた「君」になることが、年月を重ねてどんどん重荷になってくるのです。長ければ長いほど溝は深まり、私の外側の表層の1部の「君」を私の全てに据え置かなければならないのです。

私は誰と共に時間を過ごしていても、その誰かの前での私を演じつつ、それが素ではあります。それでも、私のことを分かったような素振りで、口振りで語ってこられると、自分はそうは思っていないのに外側の自分がそれになりきろうとしてしまう感じがあります。

「君は優しいからその言葉に傷ついてしまうんだね」と、友人に言われたことがあります。今はもう連絡もとっていない上に顔も名前も上手く思い出せないのですが、その言葉だけは憶えています。

私は優しい人間だから、なのか?私はこの人の前では清廉潔白な優しい人間を演じなければならないのか?と一瞬で様々な思考が脳を焼き尽くしました。

ディスクが擦り切れるのと似たような音と熱を感じ、一瞬で息苦しく生き苦しくなってしまいました。


私は優しくありません。今思うと、他人に興味がないのに他人に期待をしてしまう節があるから、絶望してしまったのだと。


君は優しいね、真面目だね、と表層を褒めるだけの表現は特に苦手では無いのですが。君のことだからこうなんだろうね、とある種決めつけるような、他人の人間性にレールを敷いてしまうような言葉は、呪いだとも思います。

「あなたはなにもできないのだから」の一言で、何も出来ないのかと思ってしまうところが人間の悪いところでありいい所でもあります。が、善ではないと思うのです。

生まれた時から人生を共にした家族のことですら、心の奥底までは分かりません。どこまでいっても人と他人なのです。

自分ですら、自分のことですら深層心理が分からないまま生きていくのが人間の弱いところなのです。そして面白いところなのです。

それらを他人が定めてしまうというのはある種の呪いだと、思いませんか?


君のことだから、この書を読んで「なるほど」と思っているのでしょうね。


嫌でしょそんなの。

そういうお話でした。

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