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子育てが大変なうちは双極症は寛解しないと受け入れる

なんだか、ただの愚痴のような内容になってしまいそうですが・・・

最近気づいたのですが、多分子育てが大変なうちは私の双極症は快方には向かわない気がしてきました。

正直、子育てによる負荷のかかり方(ストレス)は尋常じゃありません。もちろんその子供の持って生まれた性質と親の性格の掛け合わせによってその負荷には個人差が多いにあると思います。

私の場合、異常なまでの完璧主義と神経質傾向、HSP、マルチタスクの苦手さ、音に対する感覚過敏etcと子育てに向いていないというか、子育てを辛いと感じやすい性質をかなり持ち合わせてしまっています。

この自分自身の性格(性質)によって子育てがかなり負荷になっていると思っています。

社会人になってからメンタル不安定になったのは過去に2回ほどあります。2回ほど原因は仕事で、仕事を辞めたら良くなりました。

当たり前ですが子育ては辛いからといって、やめることはできません。もちろん、社会的なサポート(保育園や一時保育、ベビーシッター)や夫や親族によるサポートによって一時的に逃げることはできても、やめることができないのです。

なので私の双極症は様々なサポートによってかなりマシな状態にはなっているのですが、子育てがある限り完全に寛解には至らないのではと思うのです。

しかし、この話は「だから絶望的」だということをお伝えしたいわけでもなく。

そのこと(子育てという負荷がある限り、寛解には近づかない)を受け入れることで最近自分自身が楽になったと感じるのです。

良い意味で諦めがつくというか、そういうもんなんだ…と考えていれば「どうしてよくならないんだろう?」という苦しみやもがきから解放されると感じる時があります。

去年までは子育てなんて皆やっていて、何なら仕事をフルでこなしながら子育てしている人や、専業主婦で幼稚園へ上がるまで自宅でずっと子育てをされている人もいるからと、人と比較して「皆やっているのだからできて当たり前、そんなことを負荷と考えるのはおかしい」という発想に陥っていました。

しかし自分の性質を踏まえて、自分にとって子育ては負荷であると認めた瞬間に、少しだけ自分自身が楽になれたのです。

なので最近は娘が保育園から帰宅した時間から就寝までの平日18時〜21時、土日はまるっとハードな仕事のシフトが入っていると考えるようになりました。

そうすると自ずと、それ以外の時間はなるべく体を休めようと考えられるからです。特に躁状態の時、この考え方は大切だと感じています。

こんな感じで、双極症の私の子育ては日々行われています。
ただ、吐き出したくて書いたので長文になってしまいました。
同じく生きづらさを抱えながら子育てをしている方の目に少しでも止まったら幸いです。


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