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私と後悔と幸せ

小学校、中学校、高校、大学、大学院と上がっていくにつれて、
自分が見る視野が広くなるにつれて、自分は何もできない人間だと感じるようになった。

逆に小学校や中学校でみんなから避けられていた、馬鹿にされ笑われていた、何かを一生懸命頑張ってそれを貫き通していた子は、今自分のなりたいものになり、周りからも認められている存在になっている。
私はいじめられるのが怖くて周りに合わせ、本当に好きなもの、やりたいこと、目指したかった夢、全部を抑え込んでいた。

小、中、高校生の自分にとっては周りに溶け込めるということが一番価値があった。いじめられるのが怖かった。あの狭い世界では異物が排除される残酷な世界だと思った。

だけど今になって思うのは、一番価値があるのは周りに合わせられる能力ではなくて、周りに何を言われても自分を貫き通す意志なのではないかと中学の知り合いのSNSをみて思う。

一生所得の低い地方にいて、地元の友人と今も集まってどんちゃん騒ぎをするのが幸せだと思うのか、自分のなりたいものになって忙しい毎日を過ごすのが幸せだと思うのかは人ぞれぞれだと思う。私は本当は後者になりたかったのだと今更気づいた。時すでに遅しとはまさにこのことだと思った。

当時の私にはそのことに気付ける頭がなかった。愚かすぎたのだ。小中高とそれなりに勉強はできていたほうだと思っているが、頭が悪かったのだ。
適当に周りのノリに合わせ、流され、行きついた場所が今だ。今思うと私の人生は、あの時こうしていれば、という場面が多すぎた。

戻れない過去に思いを馳せながら、今日も知り合いたちのSNSを見る。映っているみんなはそれぞれの幸せを投稿している。みんなは幸せの定義付けができているのか。そんな事をふと考えてしまう。

これが私の幸せ、というものが決まればそれに突き進めばいいのに、いまだに私は、なりたいものにはなれず、頑張ろうとした研究は教授の心無い一言によって心をへし折られ鬱になった。鬱になってからはなにも出来なくなり、バイトもやめてお金もなく、私にとっての幸せはどこにあるのか考えても考えても分からない。唯一ちょっとだけ出来ていたと思っていた勉強も、大学に来て上には上がいる、ということをいやというほど思い知らされた。

なにもとりえのない、ただ鬱病だけが残った大学院生の私には一体どんな幸せがあるのだろう。幸せがあるのだろうか。私にとっての幸せの定義が分からない今、目の前に幸せが落ちていても気づかないのだろう。

しかし、幸せというものは他人から幸せに見えても、自分が幸せと思わなかったら幸せじゃないのだ。いくら周りから恵まれた環境といわれても本人がそう思わなければ恵まれた環境ではないのだ。

そんなことを考えながら今日も決められた時間に薬を飲んで、原因を絶たなければ寛解なんてしない鬱病の治療を続け、息をしている。幸せとは何だろう。

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