隣人は静かに笑う (監督  マーク・ペリントン) 【1999年  アメリカ】

よお、1週間記事転生をし続けて気が付いたが、結構書いてたんだな。感想文。既製の記事がなくなったときのスピードについていけるだろうか。
※この記事はタイトルの作品のネタバレを含みますので、ご注意ください。


あらすじ

テロリズムの歴史を専門に大学で教鞭をとる主人公はある日、怪我をした少年を助ける。その少年は最近引っ越してきた隣人夫妻の息子で、それを機に両家は交流するようになるが、夫妻の夫に不審な点が垣間見える…


総括

後味悪いエンドすこすこなのだ。派手さのない展開の真綿で首を絞めるような不気味さにゾクゾクきたね。主人公の不器用さもレビューでは批判的な人が多かったが不気味さにシナジーがあってよかったと思う。サスペンスやミステリー、プロパガンダというより\テロリズム/って感じの雑味のなさだった。


推しの登場人物

隣人夫妻のママかな。"作られた笑顔"の表情が卓越していて、公衆電話のシーンは鳥肌が立った。テロリストの夫を支える中で身につけた仮面というか闇を感じるものがあった。夫の方は 『ショーシャンクの空に』のせいで実はいい奴なんじゃないかの先入観に邪魔されましたね。(主人公の俳優がテロリスト役だったので)


内容について

タイトルが示唆する通り、近くの人間が得体の知れない狂気を抱えているかもしれないことが本質でしょうか。一連のシーンから手を汚さずにテロを行うことに慣れており、主人公を嵌めたのも計画的なものだったと推察できる。そのため、冒頭の子供の怪我のシーンも助けさせるためにワザと爆弾で怪我をさせたと思うんだがどうでしょうか。日本においても憲法19条で『思想及び良心の自由』保障されているとおり、隣人の狂気など内心の限りでは規制されることがないため、急なテロを防ぐことの困難さを感じさせられた。馬自身、大義としての反国家的反人道的思想はないが、『天気の子』でも言っていたように人間みんなどこか狂っているというのは真理だと思っているため、テロリズム的な思想の片鱗がないとも言い切れない。教養によって良識を擁立させられる論はあるけど現実的ではないと思う。普通に考えて知識があることで転覆を企てると思うんだが、考え出すときりがないがね。こういった作品を見ると、今住んでるアパートの隣人も怖くなっちゃうね。人間不信になっちまう。会ったこともないけど最近人口密度の高い地域では地域コミュニティの交流が希薄とかどうとかが問題になってるらしい。テロを処罰する法律が最近整備されて、具体的な行動等を取り締まれるらしいがどう機能するんだろうか。一方ツイッターは狂気の部分だけ顕在し、実害が少ない分ある種の安心感が得られる。SNSの興隆はそういった部分にあるのかもしれない。





それでは、現実に戻ります。では、

(なお、上記の文章は以前ツイッターにて投稿したものを泥棒してきたものである。誤字脱字等の推敲は施すが、当時の感性の味を存分に味わえるよう加工はほどほどにしてある。)



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