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映画を早送りで観る人たち

「映画を早送りで観る人たち」

曇り。朝6時の気温は15.1℃。花菖蒲は満開に近づいている。ガクアジサイが咲き始めた。百合のつぼみがついた。

今朝の収穫はタバコの吸い殻1本。

さて。

昨日、アクシリズムの竹中さんの話に出てきた「映画を早送りで観る人たち」を、Kindleで買って読んだ。

読み始めてすぐに、こんなことが書かれていた。

「10秒間の沈黙シーンには、10秒間の沈黙という演出意図がある。(中略)そこには9秒でも11秒でもなく、10秒でなければならない必然性がある。」

「ニヤリ」とした。

僕も、こういう感覚で、時間を決めている。音楽で動かす「音の絵」なので、音楽のほうで調整することが多い。

さらに、「間」は、コマ単位で調整する。これが、アニメーションの極意でもあり醍醐味でもある。音楽でいえば、一瞬のパウゼだったりもするし、ピアノのペダルを踏む一瞬の間だったりするし、鍵盤を押さえるときの一瞬のためらいだったりもする。

さて。

僕は、ここ数年間、商業「アニメ」を観ていないが、その前は、少し観ていた。

そのときには、「早送り」ではなく、「一時停止」を多用して観ていた。

1〜2カット進めて、次のカットになったところで、「一時停止」する。そして、数分経ってから続きを観る。

カット割りが酷くて、続けて観ていられないからだ。続けて観ると、苦痛を感じて、観続けられなくなってしまう。

よくできた映画は、この苦痛がない。さらには、カット割り、演出が巧みで、カットが切り替わったときに、「おっ、どうなるんだろう」と、わくわく感がある。

現在の商業アニメのこの問題が指摘されないのは、多くの視聴者が、倍速視聴、飛ばし観視聴をするからなのかもしれない。

「太陽の王子ホルスの大冒険」の中で、ホルスが、ヒルダと出会うシーンがある。出会う前に、ホルスは、沈んだ廃村を彷徨うのだけれど、そのシーンが、すこぶる美しい。

そのシーンには、セリフはない。音楽もない。しかし、僕はこのシーンが好きで、永遠に観ていたい、と思う。

これは、なんといっても、高畑勲の演出の素晴らしさを、如実に物語っているシーンなのだ。

今時の若い者は、このシーンを飛ばしてしまうのかもしれない。だとしたら、なんともったいないことか、と思う。

さて。

僕は飛ばし観はしないし、早送りもしないが、チラ観はする。

一部を観て、そのフィルムのクオリオティを計る。そして、観るに値する、と思ったら、全編を観る。

チラ観する一部は、どこでもかまわない。よくできたフィルムは、一部を疎かにしていないからだ。だから、一部を観て、その部分が疎かに作られていなければ、全体としても、疎かに作られていない、と、わかる。

商業アニメは観ないが、Animation Runs! のフィルムは、全編、全尺を観る。なんとなれば、Animation Runs! のフィルムは、どれも、丁寧に、よく作られているからだ。

アクシリズムのフィルムも、全編、全尺観たが、どれも丁寧に、よく作られている。

おそらく、主催者の竹中さんのところには、そういう高品質のフィルムが集まるのだろうと思う。

さて。

誰かが早送りや飛ばし観をしても、それは、僕には関係ない。どうだっていい。

僕は僕の観方をする。

ところで。

早送りや飛ばし観ををしたい人は、僕のフィルムを観る機会があったら、最初の1コマを観たら、すぐに飛ばして、最後の1コマを観ていただければ結構だ。

さて。

だらだら書いていないで、もう終わるが、「映画を早送りで観る人たち」には、「見る」ではなく、「観る」と書かれていて、好感が持てた。

というわけで、というわけだ。

なんくるないさ〜。

#Film #Animation #アニメーション #Movie #映画 #映画を早送りで観る人たち

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