義憤は人を不幸にするのではないか、という仮説
義憤
正義や人道からくる怒り。
道義にはずれたこと、不正なことに対して憤慨すること。
私は、割と義憤を感じやすい人かなぁ
と最近思います。
身近な部分でも
平等とか公平でなく、公正でない事に対し、
結構嚙みつきます。
噛みつくほうが良いと思っている部分もあります。
上司からすると使いにくい部下だろうなぁと思います。
で、
年齢を重ねるごとに、
噛みつく頻度は落ちている気はします。
世の中が、公正になっているのか?と考えると
そのような状態であるとは、全く思えません。
自身の認知能力は、まだ落ちていないと思っているので
公正ではないと感じる事象が減っているわけでは無いと思います。
2つの考え方が自分に根付いてきた気がします。
①自身に影響がある事と無い事を冷徹に切り分けるべき
②自身の影響力が及ぶ範囲と及ばない範囲を冷静に判断すべき
noteで記事を書く場合は、①か②に該当するが、なんかもやもやする事を
ガス抜きの場として書いている気がします。
他の方のnote記事を拝読した中で
「ストレスに強い人とそうでない人の差は
共感力の使い方の差ではないか」
というのがありました。
納得できる説だと思います。
共感力があるかないかではなく、
共感が必要無いと判断する能力の有無と、判断の基準で
強ストレス環境下であっても、
やっていける人とやっていけない人が出るという理屈です。
経営者や、重責を担うポジションの方は
この能力がある方が多いのでは、という仮説が成り立ちます。
共感を必要とする職業
看護・介護・カスタマーサポート・営業・教職 等
人に接する事を業務とする方々も、
ストレスで参らない為にはあったほうが良いと思われます。
冷たいと言われる可能性は増えるかもですが・・・・
私の場合は、共感をあまり必要としない職種が長いので、
そのあたりは、いままで深く考えていませんでした。
①自身に影響がある事と無い事を冷徹に切り分けるべき
②自身の影響力が及ぶ範囲と及ばない範囲を冷静に判断すべき
共感力の使用判断は①に該当する場合が多いと思われます。
共感力は必要な場面も多いですが、
義憤は、かなりがストレスの要因だと思われます。
極論すれば、ストレスにしかならないとも言えると思います。
適度なストレスは、あったほうが・・・云々の話は、
ここでは都合よく忘れて
ストレスは、無いほうが幸せだという前提の元では
義憤は、人を不幸にする要素でしかない気がします。
斜に構えた私の思考では、上記に加え
現代の資本主義経済下では、
民主主義下であれ、権威主義下であれ、
義憤を商売として煽り、利用し、
儲けている人達がいるという事実があります。
個人の義憤が、それに加担したり、利用されたりするのは、
まぁ、言ってみれば、面白くない事象だと感じています。
政治は、まぁ義憤の塊ですが、
儲けてはいけないんだと思っています。
儲けたら、商売でしょ?
note記事などのSNS系や、メディア記事などを読む際、
義憤を吐き出す場合や、煽る場合は、
だいたい、主語が大きくなる傾向があると思います。
国民、〇〇の世代、性別 等々・・・。
そうでない使われ方も当然されますが、
いわゆる煽りであるかどうかの一つの指標にはなるかと思います。
私の場合、
その主張に含まれるのは、国民の、〇〇世代の、女性の
何パーセントだと想定していますか?
或いは、何パーセントであるとの統計に基づいていますか?
ここが省かれる場合は、だいたい煽りだと認識しています。
そもそも、義憤を感じるかどうかも
人によって異なる上、
定性的(定量的でないもの)を測定するのは
大変な手間がかかるので
この思考は
あくまで、一つの仮説として
自身の中で育てていこうと思っています。
言論にする人としない人はいますが、
①自身に影響がある事と無い事を冷徹に切り分けるべき
②自身の影響力が及ぶ範囲と及ばない範囲を冷静に判断すべき
という感覚を自然に持っている人って、結構多いのだと思います。
なので、自民党がほぼ政権政党であり続けているのでしょう。
言語化し、自身に理解させようとしている
私のほうが、おそらく少数派なのでしょう。
ですので、日本って、
滅亡論とか、タケノコの如く生えてきますが
案外潰れずに、長持ちするかもしれないな、
と思っています。
自己防衛能力の高い人達が
60%を超えていれば、結構いける気がします。
根拠は特にありません。
あっ
また、落ちが無い・・・・・・・orz
駄文へのお付き合い
有難うございました。
m(__)m
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