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自分の行動の善悪を他人にゆだねるな

人が怖い、という感覚をはじめて持ったのはいつだろう。中学2年生くらいだろうか。自分の言動にとにかく自信がなく、相手が自分の言動で不快になったらどうしよう。逆に、相手から自分の容姿や性格について傷つくことをいわれたらどうしよう。と常に身構えている状態だった。

大人になって営業職の経験を長年積んでから、反射的に誰に対してもそこそこ良い感じの対応をとれるようになって自信もつき、それに比例して、他者から失礼な態度をとられることもほとんどなくなり、10代や20代の頃に比べたら平和に暮らせるようになってきた。
ママ友関係にも最初は不安があったが、今のところ嫌な思いをしたこともない。

しかし、私にはやはり「人が怖い」という気持ちがある。

先日、加藤諦三先生の「自信」という本を読んで、発見があったので備忘録として記載しておきたい。

加藤先生いわく、他人が怖いのは「自分の行動の善悪の判断を他人にゆだねてしまっているから」ということだ。
相手が一方的に自分の行動を評価する側(面接みたいなイメージ)だと思うと、恐怖心から自己主張できず、相手の顔色をうかがうばかりになってしまう。このような受け身の姿勢からは自信が生まれない。
また、相手を見抜く目が養われないため、ズルいひとに操作され騙されやすくなってしまうということだ。

全て私のことが書いてあると思ったが、「自分の言動の善悪の判断を他人にゆだねてしまっている」という部分が、胸に突き刺さった。長年の謎がとけたという感じであった。私はあうひと、あうひとを自分の言動の評価者として見てしまっているのだな、と気づいた。
だから、過剰にルールを守り、人にやさしくしようとしているのだ。思い遣りからではなく恐怖心からだ。
ここまでかいて、なんか他人の印象に残らなさそうでつまらない人間だな、と落ち込んできた。

って、そもそも自分の言動について、自分で善悪を判断して良いの??こ
そこがまず発見だ。

まず、そもそも私は自然にわいてくる自分の考えや感情にすら自信が持てず、他人はこんなときどう思うのだろうとすぐインターネットで検索してしまうような人間だ。担当のカウンセラーの先生も「感じてはいけない感情はない」といっていたが、まず自分の感情や考え方を否定しないことからなのだろう。
幼少期からの心の癖を治すのは本当に難しく、ずっとこのままではないのか、と絶望すら感じるが、こうして言語化できたということをまずは認め精進していきたい。


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