才能ありなし
子供の頃は絵を描くことが好きだった。
小学校低学年から中学3年生まで絵を習っていて、県内のコンクールみたいなものに出すと特選は取れないものの、大体入選はする、くらいの微妙な実力だった。
本当に小さい頃には画家になりたい、と嘯いたこともあったが、中学生になるころには自分にそんな才能はないことは薄々気づいていた。
ただ、絵を描くのは楽しかった。学校が終わると走って教室に行き、日が暮れて、他の子達が帰って一人になるまで書いていたのを思い出す。
同じ絵画教室には同じ年の女の子が何人かいた。小学校から絵を一緒に習っていた女の子達も
中学生にもなると、髪を伸ばしてストレートパーマをかけ、うっすら色つきのグロスをつけて、スカートを短くする。遊具で遊ばなくなり、男子の話題が増え、そのうち皆教室を辞めていった。
私ともう1人だけ中学生になっても教室を辞めない子がいた。
その子は小学校から変わらず素顔にショートカットで制服のスカートも長いままでなにも変わらなかった。
彼女は絵がうまかった。
ただデッサンがうまいのではなく色彩が鮮やかで見たときにぱっと気持ちが明るくなるような絵を描いた。あるものをただ正確に描くのではなく、彼女が生み出す豊かなイメージがそこにはあった。
才能あるわぁ、絵本作家になれるんじゃない。先生はうっとりしていつもそういっていた。
才能がある、私は一度もいわれたことがない。
バランス感覚がいい、といってもらえたことはあるが…
私から見ても彼女には、私にはない『何か』があった。それが才能なのだろう。
中学3年生になったとき、高校は県外の遠い高校に行くのだ。と彼女はいった。絵を本格的に勉強するのだと。
『私には絵しかないから。』
中学3年生でそう言える彼女がまぶしかった。これしかない、そう言えるものを私は持つことができるのだろうか。漠然と近所の公立高校に進学する予定の私はそんなことを思った。
高校受験を理由に絵をやめ、彼女ともそれ以来連絡をとっていないが、今でも実家には彼女が描いてくれた私のデッサンが飾ってある。
社会人になってからのことだ。
正月に帰省して断捨離をしていた際、学習机の引き出しに中学生の時の日記と絵画教室の先生からの手紙を見つけた。
才能がなくても、絵を描いているときが幸せだからそれでいい。
日記にはそんなことが書かれていて驚いた。悩みも多かった中学時代、夢中で絵を描いているときには嫌なことを忘れられたことを思い出した。
茶封筒に入った先生からの手紙にいたっては、もらった記憶すらなかった。
私がいつも走って教室に来て、暗くなるまで一生懸命絵を描いていた思い出と、
『もし絵の道に進みたいと思ったときはいつでも言って下さい、なんでもします。』
最後はそう締め括られていた。
さほど才能はなかったかもしれない。ただ、先生は私が絵を好きだということをわかってくれ、絵の道に進みたくなったら私のために全力を尽くすといってくれたのだ。
少し泣きそうになった。
才能がなくても、やっているだけで幸せだと思えることに出会え、それに対して全力を尽くすといってくれる大人に中学生のときに出会えていたのだ。
私はとても幸せだったのだと思った。
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