【 ホ・オポノポノ 】 クリーニング日記#020 :年齢のこと、女性であることの記憶
こんにちは🌿
今日は最近ますます本腰入れて
クリーニングし始めた「年齢のこと、女性であること」について
書きたいと思います。
このトピックは、
KR女史さんの本にも度々出てきていましたし、
私もこれまで度々、クリーニングしてきた内容でした。
でも、私が想像していた以上に、
これらはとても根深いテーマだったようで、
クリーニングすればするほど
出てくる、出てくる、記憶の嵐..!
一体どれだけの膨大な記憶を
私は抱えて生きていたのでしょう‥(驚)
年齢と性別は、自分の社会的アイデンティティと同化していたので
本当に身近すぎて、当たり前すぎる内容。
だからこそ、気づくまでは
ついつい見逃してしまいやすい内容でしたが、
一度気づき出すと、日々何らかの形で
この年齢と性別について、痛んでいる自分の心に
ハッとさせられます。
朝、鏡に映る自分の顔を見た時に感じる、少し沈んだ気持ち。
白髪を見つけたときに感じる
「もう若くないな」という、少し寂しい気持ち。
自分の年齢を人に伝える時の、恥ずかしい気持ちや、
人に自分の年齢を驚かれた時の、身の置き所の無さ。
好きだったミニスカートを
もう年齢的にアウトかな?と、履くのを躊躇ってしまう気持ち。
年齢と人生の実績を他者と比較されたときに感じた
自分という存在の不完全さや
言葉にならない悲しい気持ち。
街に溢れるアンチエイジングの広告を見た時に感じる
チクリと痛む心。
老いに対する不安を煽るメディアに対して
感じる怒りと憤り。
誰かが他の女性の年齢や容姿を
馬鹿にしたり、見下しているのを聞くと
自分のことのように傷ついてしまう気持ち。
ロリコン趣味の日本のおじさんたちに対する
燃えたぎるような怒り。(これは非常に根深い🔥)
これは、以前書いた男尊女卑や両親の記憶とも繋がっていて
オニオンの皮を剥いても、剥いても、
また出てくる、私にとってとても根深いテーマのようなので
引き続きこれからも根気よく、
日々のクリーニングを続けていきたいと思います🌿
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
POI
😌🙏🌿💫 POI