なぜ人の期待に応えてはいけないのか

「人は結局のところ自分が一番大事だから」だ。
これは自分の経験上、限りなく真理に近い命題だと思われる。

これが良い悪いということではなく、人間とはそういう生き物だと僕は思っている。
無論、僕自身もそうである。
家族や友人をとても大切に思っているけど、彼ら彼女たちを大切にすること自体が僕にとっての幸せを意味するからだ。
結局のところ、自分の幸せを一番に願うからこそ、他者を大切にするのだ。

つまり、「自分を幸せにする」という、人生最大の目的であり、ほぼ真理だと言っても良い命題をもとに人生を展開していかないと、決して幸せにはたどり着くことができない。
と僕は考えている。

ところが、この人生最大の目的を見失ってしまっている、忘れてしまっている人があまりにも多いと感じるのもまた事実だ。

その悲劇は「自分の本音を閉ざして、他者の期待に応える」という生き方として現れる。
ここで強く言っておきたいのは、「自分の期待には応えずに、他者の期待ばかりに応える」という生き方は、非常に非合理的であるということだ。

なぜなら、他者にとっての合理は、往々にして自分にとっての非合理であるからだ。
他者もみな「自分のことが一番」だと考えていると仮定すると、意図してなのか無意識なのかは分からないが、自分の都合の良いこと、つまり「自分にとって合理的なこと」に自分以外の他者を利用しようとする。

繰り返し言うが、これは決して良い悪いの話ではない。
生き物とは何よりも自分を大切にして生きるのが当たり前であるし、そうやって生きなければ自分の命をつなぐことはできない。

他者がみな、ある意味で「自己中心的」な存在だとすると、そんな他者の要求に応えて生きる「自分」は、他者にとって最適化された存在である一方で、自分自身にとって最適化された存在ではない。

こうして悲劇は起こってしまう。
簡単なことである。

「自分の幸せを一番に考えない限り幸せにはなれない」という命題があるなかで、「他者からの要求を最も優先する」生き方は、この命題そのものを否定することを意味するからだ。

これでは幸せになんてなれやしない。

「きっと誰かの役に立ってはいるんだけど、なんだか晴れ晴れしない。」
こう思ったことが、誰しも一度はあると思う。
今まさにそんな気分の人もいるだろう。

自身の幸せを願う人は、今一度考えてみてほしい。
今やっていること、選択したことは、本当に「自分の幸せを一番に据えた」ことなのかを。

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