離席の実学@SDSU留学
声をかけられたら絶対に断らないと決めて、留学生活最後の半年がペントハウスでスタートしました。
「Hiroshi!コンサート行くか?」
宿題があるとか明日テストがあるとかを言い訳にせずに2つ返事で付き合いました。
おかげさまで、チケット手配から車にも乗せてもらい、Rod StewartやForeignerなどのコンサートも楽しみました。
特にこの曲は当時大ヒットで、SonyのWalkman型のラジオでLAに着いた途端にいつもFM KISS Stationなどから流れていた当時を思い出す曲を生で聴けた感動は今でも覚えています。
Weekdayは、みんな静かに勉強していますが、週末はビールとピザでよくドンチャン騒ぎをしていました。この時知った日本の王様ゲーム的な遊びが、spine the bottle😅
車座になって呑みながら、空のビール瓶を横にして回します。瓶の口先が止まった人は、何を訊かれても正直に答える。次はその人が瓶を回す権利を持つのですが、酔っていくにつれてそんな事聞く❓みたいな質問はまるで告白タイム。大いに盛り上がる事請け合いですが、まあ若い時期に出来るバカ騒ぎですね。
さて授業と言えば、Human Sextualityは、毎回ビデオ上映後に老若男女の学生間で議論。何故かこの授業だけは英語が良く判り驚き‼️ 予備知識があるとないでは大違い=予習の大切さにも通じてその大切も実感(LOL)
一方、Life Drawingと言えば、毎回ヌードデッサン。モデルはバイトの学生。しかし、想像と実際は大違いです。分単位のデッサンでウオーミングアップしたら、ワンポーズの時間が少しずつ長くなり、最後は15分とかで描いていく進め方でした。
中学生時代から美大受験の高校生が通うアトリエで絵を描いていたこともあり、そこそこに静物画は描けていたのですが、ヌードとなると大違いだという発見。柔らかさや体感からの温かさ・・・周りの学生と比べると間違いなくモデルのポーズ自体の把握や全体は自分のほうが上手に描けているのに彼らのほうは温かみや柔らかさがあって、自分のはお人形さんみたい。そこからは描くことを楽しく集中していました。
寮対抗のビーチバレーの試合で変な倒れ方して右肩を亜脱臼して、手を吊っている間描けなくなった時期がありました。教授の勧めで左手で、しかもチャーコールデッサンを水筆でさらにぼかして墨絵のように描いていたら左手のようが良いと褒められたのを覚えています。形は右手よりはるかに劣っていますが、「上手に描こう」とかのエゴが消えたせいか人らしい絵が目の前にありました。
エゴを抑える。武術、例えば居合で日本刀を振ったりしていると共通する部分があります。最近ハマっているゴルフでも同じですね。
後半になった頃のモデルが数回に渡って日本人とのハーフの女子学生になった時がありました。私が日本人と知ると日本のことを色々教えてと休憩時間の度に私の処に話に来るのですが、「ちょっとこの時間だけはは何か着てよ!」でしたね(苦笑)彼女には一番欲しいと言われた彼女の絵をあげました。
日本に帰ってからは単位換算承認に教授会にかけられるのですが、成績表だけでなく教科書やノート提出も求められました。一般教養に美術は美術史しかなく、ダメ元でLife Drawingは教科書も何もないので、持ち帰ったヌード画を提出しましたが、もちろん速攻で却下されてしまいました。
大学というところは、成績点を追うところではなく、自分探しも兼ねて本当に自分の好きなことを学問する場だと思います。そういう意味で数学のパスカル言語プログラミングやこの美術クラスは、良い学習の一環でした。
Steve Jobsは、スタンフォード大学の卒業式で「Be foolish,
stay hungry!」というメッセージを当時送っています。
「社会に出ていくけど既成概念や常識という圧に屈することなく、いつまでも好奇心をもって現状に常に満足することなく突き進め!」というエールが込められたいたのだろうと私なりに理解しています。
人の色眼鏡で物事をみたり判断せずに、自己責任を貫く。同じ責任取るなら自分の好きな道を楽しみながら|考働≪こうどう≫することが本当の行動だと思います。
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