恋せよ社畜、三十路の黄昏マリアージュ 【第1話】

【あらすじ】

主人公、飯野立音(いいの りつね)は廃棄ロス寸前だった。 薬剤師として仕事に傾倒するあまり、結婚も恋愛もできず行き遅れていたのである。 そんな女子賞味期限が切れかけた彼女の生き甲斐は、食べること、酒を飲むことだけ。初恋で憧れた年上の男性医師(オジサマ)は居るけれど、娘としか見てもらえない。 だが祖母の死をキッカケに、実母が初恋の人と恋愛関係になっていることを知ってしまう。 ショックを受ける主人公の前に男性が二人現れる。 主人公が通うジムのトレーナー(年上)と、職場の直属の部下(年下)はそれぞれ異なるアプローチを掛けてくるようになるのだが……?


【キャラクター紹介】

・主人公:飯野 立音


年齢:30

性別:女

誕生日:11/29

血液型:A

身長:170.4㎝

体重:57㎏

見た目:
病的に色が白く、骨格も華奢。
背中まで伸びた黒髪を後ろで結っている。
黒縁メガネ、時々コンタクト。
白衣が似合う

生い立ち:
止風土市という港町生まれ。
祖父は建設会社を経営していた。
父はそこの社員。
母は現役看護師。
物語スタート時、存命の家族は祖母と母のみ。

背景:
幼少より病弱で食べたいものも食べられなかった。
中学生の時に大路医師によって生命を救われ、医療職を目指すことに。
反動でご飯食べるのが大好きに。





【本文】

 マリアージュ。

 フランス語で結婚を意味するこの言葉は、料理界ではしばしば理想的な組み合わせを指す。個性のまったく違う二つの物が、まるで最初から一緒になる運命であったかのように出逢うのだ。

 ……しかし私はこの世に生を受けてから三十年近く、マリアージュとは程遠い生活を送り続けている。現に今も、深夜の薄暗い休憩室でたった一人、ずるずるとカップラーメンを啜っていた。

「はぁ、空しい……」

 言葉にすると余計に悲しくなるけど、これが独身アラサー女子である私の現実だと認めざるを得ない。残業と土日出勤が当たり前な病院薬剤師では、出会いの機会すら与えられないのだ。

 そんな私の唯一の楽しみは、食べること。三大欲求の睡眠欲、性欲なんて取り敢えず捨て置いていい。ただ美味しいご飯を食べるために生きている。それこそ、命を懸けていると言っていいだろう。

 食べる楽しみがなければ、トイレで泣きながら仕事のストレスに耐えたりせずにとっくに辞めている。あれもそれもこれも、全ては仕事が終わった後に美味いメシを食うためなのだ。

 ちなみに、高級でいかにもお上品なご飯が食べたいわけではない。ラーメン、牛丼、バーガーみたいなジャンキーなフードも大好きだし、自分で簡単な料理をすることもある。忙しくて時間が無ければ、スーパーのお惣菜やコンビニ弁当を頼っている。

 ただ私は、それらを卑下することなく、美味しく食べることが出来るよう工夫したり、研究し続けることが好きなのだ。

 たぶん普通の人からすれば、それって当たり前の話なのだろう。だけど私はちょっと理由があって、ご飯が食べられるというだけで本当に幸せなのだ。食べたいものを食べられることの尊さを、身に染みて理解していると言ってもいい。

 だから私は私による、私の為のメシ道を探究する。この世にマリアージュを見付けられない料理があるならば、私が相手を見つけ出してやる。私がこの世のありとあらゆる美味しいものを食べて――あわよくば私にもマリアージュを。

 そう、この記録は――私、飯野立音が人生を美味しく味わうためのレシピ集だ。

 
 とある昼下がり。太陽の光が燦々と降り注ぐ中、蝉たちが忙しく夏を叫んでいる。

 私はといえば、太陽も差し込まない、薄暗くヒンヤリとした病院の地下駐車場の隅っこで佇んでいた。

「んああああぁぁあぁぁぁあああ! くったばれやあの狸ジジイぃいいい!」

 長い黒髪はボサボサ、曇った眼鏡にヨレヨレの白衣。懐かしの箱型テレビがそこにあれば、今にも這い出てきそうな、見るからに怪しい容貌。患者さんが今の私を見たら顔を真っ青にして悲鳴を上げてしまうことだろう。だが私は自分の姿を気にしていられる余裕はなかった。

「なにが『飯野さん、もうちょっと残業を減らせない? 他の人は時間内にこなしているんだからさ?』よ! 他の人がサボっているから私に余計な仕事まわってきているんでしょうが!」

 壁に思い描いた薬剤部長に向かって、ため込んだ感情を叫ぶ。
 私だって分かってるよ。こんなところで愚痴っていたって、なんにも状況は変わらないってことは。だけどこうして発散させなきゃやっていられない時もある。

「仕事の恨みは仕事で晴らしてやる! 見てろよハゲ狸!!」

 いつかその焼け野原みたいな頭に残った雑草をむしり尽くして、その臭い口にブチ込んでやるんだから!

 ふふふ。せいぜいそのご立派な役職に胡坐をかいているがいいわ。この私がいつか成り上がってその座を奪ってやるんだから。涙で濡れた顔を白衣の袖で擦りながら、私は不敵な笑みをこぼす。

「……ご飯食べよう」

 よし、切り替えは終了だ。スッキリしたら、なんだか急にお腹が空いてきた。腕時計を見ればもう三時を回っている。院内の食堂はすでに営業を終了している時間だ。仕方ない、今回はお気に入りの定食屋さんに行こうかな。

 駐車場の階段を、少し軽くなった足取りでトントンと上っていく。非常口のドアを開けて外に出ると、夏の日差しが日陰者の私の肌をジリジリと照りつけた。

「うーん、やっぱりコンビニ飯にしよう。定食屋さんはまた今度だ」

 この暑さでこれ以上、無駄に体力を消耗したくない。午後の仕事もまだまだ沢山あるのだ。

 あっさりと方向転換した私は、その足で病院の向かいにあるコンビニに向かう。白衣姿は多少目立ってしまうのだけど、ここは病院の敷地内。看護師の若い女の子達なんかも居るし、薬剤師の私が居ても大丈夫でしょう。

「あー。やっぱり屋内は涼しいなぁ。って、お昼のピークが過ぎちゃったから、ロクなお弁当が残っていないや……」

 コンビニのお弁当コーナーの棚に残っていたのは、人気のない具のおにぎりや形の崩れたサンドイッチ達。まるで誰にも見向きもされない私を見ているようで、同情心が湧いてくる。いやいや、私はまだ二十六歳。廃棄処分にはまだ早い。……とはいえ、だ。

「すまんな、私の同志たちよ。今日は君たちの気分ではないのだ……」

 そう独り言をブツブツと言いながら手に取ったのは、おつとめ品となっていた掛け蕎麦だ。暑い日にはつるつるっとイケる麺類がいいよね。本当はいろんなトッピングがついている方が私の好みなのだが、これしかないのだから致し方がない。

「そういう時は別で買えばいいよね。頑張る私へのご褒美、ってことで」

 目についた商品を片っ端から買い物カゴに入れていく。ちょっと豪華すぎる気もするけれど、今日は特別だ。

「1240円になります。お箸は何膳お付けしますか?」
「2膳お願いします。あ、あと……」
「贅沢チキンですね? 飯野さん、前回ダイエットするから最後にするっておっしゃってませんでした?」
「うぐっ。い、いいのよ。今日は仕事で動きまくったからさ」

 レジへ向かうと、馴染みの店員さんである七士ちゃんがフレンドリーに言葉を掛けてくれた。彼女は「仕方がないですね。あとで一緒に反省会ですよ?」と苦笑いしながら、チキンをストッカーから取り出して袋に詰めていく。彼女の心配は有り難いのだけれど、ストレス社会に生きる私にとって、食事はなによりのリフレッシュ方法なのだ。

「ありがとう、セブンちゃん。この恩はいつか、必ず!」
「もうっ、その呼び方は恥ずかしいからやめてって、いつも言ってるじゃないですか!……またご飯を一緒に食べに行ってくれれば、私はそれでいいですから」

 少し明るめの茶髪のボブカットをした七士ちゃんは、少し顔を赤くしてそう微笑んだ。苗字がナナシだから、セブンちゃん。私が名付けた愛称だ。彼女は背が少し小さくて、こちらの庇護欲を非常にかきたててくる。見た目も性格もいい子なのだけれど、何故か彼氏はいないらしい。ゆえに偶の休日には私と遊んでもらっている。

「それはデートのお誘いかな? なんならウチに来てくれれば、愛情たっぷりのお手製ご飯を御馳走してしんぜよう」
「ふふっ。私が男だったらコロっと落とされてますね」

 他愛もない会話を交わしながら会計を済ますと、私は買い物袋を片手に病院内の調剤室へと向かう。調剤室には職員用の休憩室があるので、そこで遅めのお昼ご飯をいただくのだ

「さて、私のお蕎麦ちゃん。いざ、オープン!」

 プラスチックのフタをパカっと開けると、天井のライトに照らされた艶やかな灰緑色の麺が顔を出した。適度な細さにカットされた一本一本の麺が織り交ざり、私に食べて貰おうと今か今かと待っている。

「まぁまぁ、そう焦らずに。キミをもっと美味しく食べるために、今回は特別にプレゼントを用意したんだから」

 私は一人、気持ちの悪い口調で語りながら、ビニールの買い物袋からお目当ての物をガサガサと取り出していく。そうしてテーブルの上に並べられたのは、温泉卵と納豆、そしておつまみ用の乾燥イカ天だ。

「あとは休憩室の冷蔵庫にストックしてある練りワサビと~。あぁ、そうそう。あの麺つゆも使っちゃおう」

 薬剤部の備品である冷蔵庫の中身は、ほぼ私の物で詰まっている。たとえば自宅でとった出し汁をブレンドした麺つゆや、ネットで取り寄せたコーヒー豆。あとは調味料の数々といったところ。

 いちおう、これらは職員の共用という名目で置かせてもらっている。美味しいご飯が食べられれば皆も幸せ、ウィンウィンの関係だ。
 冷蔵庫から取り出した食材を取り出すと、テーブルの上は賑やかになった。それらを私のルールに従って、順番にお蕎麦へと乗せていく。

「半熟卵とイカ天は、麺つゆでグチャグチャにならないように最後に飾り付けて~っと、よし!」

 美しく華やかにメイクされたお蕎麦ちゃんをまずは目で楽しんだら、いよいよ実食だ!

 ――ずるっ、ずるずるずるっ!!

「んん~っ、美味しい! 鰹ダシとイカ天の風味がぎゅっと詰まってる感じがいいよね! それをワサビの辛みがピリっと締めて、卵のまろやかさが包み込む。最後に大豆の触感のある納豆の旨味が押し寄せて……うん、最高!」

 仕事の疲れと夏の暑さでバテ気味だった体に染み渡る。冷たいお蕎麦は食欲のない時でもつるっと食べられるのがまた良い。
 そりゃあ、お店で食べるお蕎麦に比べたら味はどうしても劣る。だけどお手軽で自分の好きなように食べられるのがコンビニ飯のいいところ。そしておまちどおさま。最後のお楽しみは〆の贅沢チキンである。

 ――ザクザクザクッ。

 ひと噛みすれば、カリっと揚げられた衣が小気味のいい音を立てる。そして中から溢れだすのは、鶏の旨味を凝縮したジューシーな肉汁。コンビニの食品開発部が研究を重ねて作り上げたこの逸品は、贅沢の名に負けることない仕上がりとなっている。

 なにより、意外にもこれが蕎麦に合うのだ。サッパリとした麺つゆはチキンの油で更に旨味を増し、逆に揚げ物ゆえのしつこさを蕎麦が爽やかに流してくれる。

 そばに天ぷらではなく、洋風の揚げ物っていうところが私独自のマリアージュ。食べごたえが相反するこの料理たちだけれど、素晴らしくお互いの長所を高め合っている。

 女子がそんなはしたない食べ方するなって、そういう人はいるかもしれない。特にこの病院の看護師長なんかは口うるさい。でも私は決して屈しない。誰にも迷惑かけずに美味しく食べる工夫は、社畜な私なりの曲げられない信条。騎士道ならぬ、メシ道なのだ。

「はぁ~、ごちそうさまでした。うん、お腹いっぱい。これで残りの仕事も頑張れるよ!」

 これでエネルギーの充電は完了だ。溜まっていたストレスも、満腹感と充足感でスッキリと発散された気がする。
 よぉ~っし。美味しいご飯を食べるためにも、午後も元気いっぱい張り切って働きますか!

「えっ? 他の施設に応援……ですか?」

 今日もこのまま残業コースになりそうな雰囲気が、ほんのりと漂い始めた木曜の午後。

 帰り道で買う予定のビールを何にするかで私が現実逃避を始めた頃、クソ狸改め、田貫薬剤部長から唐突にお呼びがかかった。

「あぁ。ウチの病院はグループ経営だろう? 傘下の老人ホームが人手が少なくてな、そこの調剤補助に行って欲しいんだわ。飯野さん、明日行けるよな?」

 ……なにを言ってるんだこのアホ狸は。ただでさえ今日は緊急入院が立て続いていて、お昼ご飯すらまだ食べていないのに。

 それに明日私が病棟にいないとなると、予定を組み直したり他の人に引き継ぎをしたりしなくてはならない。そもそもこの病院だって人手が全然足りてないのに、どうして引き受けてしまったのか。

「あ、ちなみにもう先方には連絡済みだから。場所はここ。交通費は後で支給するけど、絶対に最小限の費用になるように頼むね~」
「……分かりました。では私は仕事があるので、これで失礼します」

 行けるよねって、もう行く前提じゃないですか。おまけに最小限の費用ってケチ臭いことを。
 病棟に戻る前に派遣先について少し調べてみる。

「老人ホームの所在地は浅草周辺……あぁ、スカイツリーの近くかぁ」

 地図を見ると、まずはスカイツリーという文字が目についた。まだ完成してから行ったことの無いスカイツリー。デートスポットとしても有名なあの場所。

「ははは。初めて行くのがお仕事かぁ。こりゃ泣けてくるね」

 白衣のポケットに両手を入れながら、ガックリとうなだれる私。でもこうして落ち込んでいても、今日の業務は一ミリだって進まない。とほほ、と心の中で泣きながら、我が戦場である病棟へと早足で戻るのであった。

 ◇

「おおぉ~、思ってたよりでっかいなぁ」

 次の日の朝。慣れない通勤電車に揺られ、どうにか目的地の駅にたどり着いた。生憎の曇り空だけど、視界の先には巨大なタワーがそびえ立っていた。

「東京タワーは受験の時に見たけど、やっぱりそれよりもおっきいんだねぇ」

 デートで有名な観光地ではあるけれど、ミーハーな私としてはスカイツリーの下にあるソラマチでグルメを満喫してみたい。

「さてっと、張り切ってお仕事をしますかね!」

 タワーから目を離し、今日の目的地である老人ホームへと足を向ける。スマホの地図を片手に、人混みを縫うようにして歩き出した。

「ちょっとだけ建物が古いけど、清潔そうだし良い所じゃない」

 途中で道に迷いつつも、三〇分ほどで指定された場所へ。レンガのようなタイル造りのその建物は、年季が入っていた。それでもキチンと整備されており、入り口や通路には花壇や生け垣があって目を楽しませてくれる。入居者が快適に過ごせるように配慮されていて、私は好感が持てた。

「インターフォンで入る許可を貰って、許可証を手に入れたら地下の薬局に行くんだっけ」

 入居者の安全のためにロックの掛かった自動ドアを受付で開けて貰い、挨拶をしてから薬剤師のいる部屋へと向かう。

 事前に部長から聞いた話では、ここで働く薬剤師はたった一人しかいないらしい。基本的に調剤者と、その薬が正しいかをチェックする監査者は別の人物であることが望ましい。一人だとミスがあった時に、重大な事故が起こるリスクがあるためだ。

「まぁ、そのぶんベテランの薬剤師がいるんでしょうけれど……」

 人の命をひとりで守り続けているんだから、きっと責任感の強い人よね。そんな想像をしつつ、私は薬剤室の扉をノックした。

 ――コンコン。

「は~い! どうぞ、入って~」

 部屋の中から、女性の明るい声が返ってきた。良かった、良い人そう。これなら安心して仕事ができそうだ。緊張がほくれた私は意気揚々とドアを開け、中にいた女性に挨拶をする。

「失礼します。ヘルプで参りました、飯野と申します。本日は宜しくお願いします!」
「あら、こんにちは~! 私は馬場です。こんな所まで良く来てくれたわね~! いやぁ、ほんっとうに助かるわ!」

 馬場と名乗ったこの女性は、五〇代くらいの恰幅の良いレディだった。髪はクルクルのパーマ、使い込まれた白衣に丸眼鏡で可愛らしいオバ様といった印象。

 ……たしかにいい人そう。だけど、やたらとテンションが高い。私の中では既に馬場さんのあだ名はオババに決定だ。それにしてもこんなに喜んでくれると、来た甲斐があるなぁ。

「うふふ。実はやってもらいたいチェックが、こんなにも溜まっちゃっていてね。私ひとりじゃとても手に負えなくって……」

 そう言っておババさんは作業机の隣に積まれた段ボール箱を指さした。といっても、その段ボール箱は一つや二つではない。ざっと見ただけでも六つ以上の箱がタワーのように積んであった。こんな所までスカイツリーにあやからなくても。

「け、結構あるんですね……」
「そうなのよぉ~。薬の内容は大したことないんだけど、いかんせん量が多くって」

 ちょっと待ってほしい。まさかこれを今日だけで全部やらせるおつもりか、オババよ。――いや、待てよ。私が来なければ、この量をおババがやる予定だったということだ。つまりオババも私と同じ社畜ということ?

 そう考えてしまうと、思わず目頭が熱くなる。うんうん、社畜はつい一人で抱え込もうとしちゃうもんね。助けてくれる人が現れたら、全力で縋りたくもなりますよね!

「分かりました。時間の許す限り、全力でやらせていただきます!」
「本当!? 嬉しいわぁ~!」

 オババは私の手を取り、目をキラキラと輝かせた。


#創作大賞2023 #漫画原作部門

この記事が受賞したコンテスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?