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平凡な人を平凡だと思わない人が現れる

「平凡な人を平凡だと思わない人が現れる、異常な人を異常だと思わない人が現れる」 
このセリフを聞いたときに
私の中でカチッと何かがはまった気がした。
「これだ、私が言いたかったことは」と思った。

これは、ドラマ「初恋の悪魔」の中で
馬淵悠日(仲野太賀さん)が「変わり者派」に対して「普通派」である自分の抱えるコンプレックスを吐き出した時に、摘木星砂(松岡茉優さん)が優しく言ったセリフだ。

二人の子供が思春期だった頃にこの言葉を言ってあげたかったなぁと思う。

きっと思春期の多くの子供たちが、
狭い友人関係の中で劣等感と自尊心の間で揺れ動き
「友人にどう思われているのだろう」
「自分らしさとは」
「周りに染まるのか自分を貫くのか、そもそも自分らしさとは何なのか」
そんな正解の分からないジレンマに苦しんでいると思う。

「違和感を覚えながらも周りのノリに合わせる自分に嫌悪感を抱きつつ、
自分だけが周りから浮いてしまうことを恐怖に感じる。」
「何の取り柄も個性もない自分は魅力のない人間だと思ってしまう」

全ての人がそれぞれに持っている特別な個性を
「平凡な人」だとか「変な人」に振り分けるから
それぞれが ないものねだりのコンプレックスの中で苦しんでしまう。


多数派を「普通だとか平凡だと」と言い、
少数派を「異常だとか変だ」と拒絶してしまう。

「拒絶される」「周りから浮いてしまう」という恐怖は思春期の子供に限らず誰にでもあると思う。

社会には多かれ少なかれ少数派より多数派を正解と見なしてしまうきらいがある。
少数派はどうしてこうも多数派を恐れるのかなぁ。
恐れるあまり本来の自分を誤魔化して多数派を装っている人は多いと思う。
かく言う私も55歳になった今でも「偽りの普通派」です。


そんな「偽りの普通派」である私からは、悩み苦しんでいる子供たちに
「なにも多数派が正解なわけじゃない」とか
「周りに合わせるのが楽なら合わせれば良いし、つらいなら合わせる必要ないよ」とか
その場しのぎの慰めの言葉しか かけてあげられなかった。

「平凡な人を平凡だと思わない人が現れる、異常な人を異常だと思わない人が現れる」
このセリフのように安心できる言葉をかけられたらよかったなぁと思う。

「だから、大丈夫、怖がらずにありのままの自分でいれば、必ずいつか受け入れてくれる人が現れるから。今は生きづらくても、あなたがほんの少し心のドアを開けていれば必ず現れるから。
偽っていると本来の自分を受け入れてくれる人に見つけてもらえないよ。」

そう言ってあげたかったなぁ。


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