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幕開け

新しい年が明けてはや12日!

ちょうど、昨年の今頃、noteを始めたのだった。(2019年の記録

新しく、私らしく生きるって、漠然と宣言して、あれよあれよと想像もしていなかった一年となった2019年。大きな転換を与えられた年だった。

56日にわたるニュージーランドひとり旅

幼い子どもたち3人を夫に託し、遠い地で仕事の面接を受け、あちこちのバックパッカーで泊まった貧乏旅行をするなんて、年の始めには想像もしていなかったよ。

日本に帰ってきてしばらく燃え尽き症候群になり、気づけば年が明けた。
今また、少しずつ前へ進んでいる毎日だ。

旅を経て、色々と思うところはあるのだけれど、自分にとっても家族にとっても、すごく大切な経験だったと、今感じている。

夫とは最初ちょっと、2ヶ月間あまり相手に頼らないようにしていたからか、お互いを何だか居ないものとするかのような、少しギクシャクしてケンカらしき感情もあったけど(私が一方的にか💦)ゆっくり話し合いもできて事なきを得た。
私がいても、当たり前のように家事をこなしている姿を見ると、結婚当初はパスタを茹でるのも焦っていたのに、人はよく成長するものだなぁ、と感心する。


子どもたちは、私の不在中甘えられなかった寂しさはあったけれど、その分自分たちのことが出来ることになっていて、自信がついたようだ。

何でもやってあげる、という母親的やさしさは、時に成長の妨げになるんだ。私は、気がついてしまうからやっていたけれど、その分子どもたちに「自分では出来ない」って思わせてしまっていたことがあったんだな、と気づいた。

例えば今日着る服選び。
2歳児はそうはいかないけれど、お姉ちゃんたちは今、好きな服を好きなように着ていて、あ、どうなんだろ、と思うこともあるけれど、もうそこで私はあれこれ口出しして「頑張る」ことを、やめた。

優しく、面倒見のよい「お母さん」だった私は、私の好み、私の思う暖かさ、私の基準、を押しつけていたんだな、って。寒さを心配して、風邪をひかせないように頑張って、でも、そうしすぎたらいつか、風邪を乗り越える強さをも奪ってしまうかもしれない。

今年はなるべく、おおらかに笑っていたいなあ。
子どもたちのワチャワチャも、喧騒も、何とかしなきゃ!って当事者になって慌てふためくよりも、ちょっと遠くから、ああ、生きてるなあ、それだけで幸せだなあ、と見ていたい。

いつか大人になって離れていくんだもの。
自由に、自分を、生きてほしいな。


いつだったか旅の日記で書いたように、私は自分が失敗ばかり重ねるし、おっちょこちょいだし、全然えらくもなんともないと、認めてしまってから、力が抜けすごく楽になった。

だから日本に帰ってきてから、子どもたちが失敗したり、出来ないことを、責めなくなった。

たとえば子どもがお味噌汁をバッシャーンとひっくり返してしまった時とか、「もう!なんでこぼすの!?」みたいな、前は小さな批判がいっぱいあった。
自分が家事を頑張ってて、たぶん認めてもらいたくて、せっかく作ったお味噌汁を大切にしてもらえなかった悲しみなんかも、子どもの行為に上乗せして、裏切られたみたいに感じて、小さなイライラが溜まってる上にそういうことが起こると、自分でもびっくりするくらい怒ってしまったりしていた。

子育てにいっぱいいっぱいだったからなのかな。それはそれできっと頑張っていた私だから、今更もう、責めないでいい。でも、その気持ちにまたなりたくないから、行動や捉え方を、変える。それだけなんだよね。

こないだ次女がお味噌汁をひっくり返したときに、「あららー。拭こう拭こう。」と、動いた自分に、以前との感情の違いを見て、ああ、前はそうだったなあ、なんて思い出した。

そういうこともあるよね、って、自分もそうだし、って、許せることを増やしていく。そうすることで、心の中でも、怒りの感情がすごく減ってきたのだと思う。

感情のありかを見つめること、そしてひと息ついて、言葉にすること。これも、今年大切にしたいな。

さてさて始まった2020年は、どんな一年になるのだろう。どうなっても、大切な、一度きりの2020年。

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