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言葉の魅力

少しずつ過ごしやすい日も増えてきましたが、まだまだ暑く、湿度が高いですね。アスファルトの隙間の雑草に混ざって、白くて大きなキノコが数本生えているのを見つけて、ギョッとしました。キノコは嫌いじゃないけれど、場違いだからか、生々しい生命力を感じたからか、不気味でした.

さて、気を取り直して、本のお話です。
立て続けに、全くジャンルの違う本を数冊読み終えました。すると、それぞれから、全く違う感触を得て、脳と体のあちこちに、心地よい刺激を受けました。内容が違うから、違う感触を得るのは、当たり前なのですが、同じ「本」「文章」「言葉」という形なのに、こうも体も心も、反応の仕方が全く違うとは、と思ったのです。

伊坂幸太郎の777、フランス映画のエッセイ本、伊坂幸太郎のグラスホッパー、有吉佐和子の悪女について、それぞれの合間に、パトリシア・ハイスミスのリプリーシリーズ、夢野久作のドグラマグラをちょいちょい挟んで。
いつもは、もっと感覚を空けて読むのですが、立て続けに読んだものだから、右から左へ、上から下へ、心、体、頭へ、刺激の受け方の違いを感じやすかったのだと思います。改めて、言葉の力の大きさ、幅も広さに気付かされました。

一言で「本を読む」と言っても、本によって、全く違う体験ができる。
ミステリーを読めば、論理的に思考をしたり、恋愛ものを読めば、キュンキュン、ドキドキしたり、ロマンス小説なら、ロマンティックな気持ちに、官能的な作品は、官能的な気持ちに、ホラーを読めば、得体の知れない恐怖が湧き上がる。灼熱の太陽について読むか、極寒の雪山について読むかで、体感温度だって違ってくる。
浸りたい世界観を選ぶこともできれば、未知の作品を選んで、思いがけない感情や気持ちを動かすこともできる。「ああ、私にはこんな感情もあるんだ」というように。

ちょっと話は、映画に逸れますが。
昔、スペインにいた頃に、コメディだと思い込んで、全く内容も出演者も知らない映画をみて、最後に「えーーこんな終わり方??」と、実は、ブラックコメディで、ダークでホラーな結末に驚いたことがありました。その映画は、駄作で(映画よ、すまん。笑)全然、話題にならなかったにも関わらず、サプライズ感の大きさで、私の中では、何十年にも渡って印象に残る作品となりました。
事前情報なしで、読む、観るって、結構、新鮮な驚きがあって面白いんです。(おすすめですw)
今の日本では、本も映画も、良くも悪くも、キャッチコピーや帯が凝っているし、情報が目に入るのを避けられないので、だいぶ内容に導かれてしまうから、なかなか自分をサプライズするのは難しいのですが。
それでも、古い作品などで、名前は知ってるけれど、そんなに知らない作品を選ぶと、意外な驚きを得られることも多いです。「そっかあ、だから、有名なんだ」と思えたり、「ええ? 意外とダーク」「難しいと思ったけれど、親しみを感じる」と驚いたり。知っているようで、味わってみないと知らないことは多いです。

言葉の力に戻ります。
「本」は、作者、ジャンルによっても、全く違う部分を刺激してくれます。本当に、不思議です。こんなに静かな「紙の束」なのに、人の心を沸々と動かす。本は、とても魅力的です。
本の手触り、その時の状況、自分の状態が合わさったところに、言葉が入ってくると、それが、余計に心や脳に染み込んで、その人の一部になっていく。一つの体験として、人にとって、特別な思い出にもなる。

もちろん装丁や手触りなども、大きな意味があると思うのですが、やはり、一番大きいのは、間違いなく「言葉の力」です。装丁がかっこいいと思って、ジャケ買いした本の言葉が、いまいちしっくりこなかった時には、本当に悲しい。
そんな時は、これは、自分の読み方が悪いに違いないと思って、何度もチャレンジしたりしてしまう。でも、後で、そういうことじゃないと気がついたり。
それは、見た目がかっこいい俳優さんのインタビューを聞いた時に、あまりにも内容がなくて「あれ??」「おかしいな、こんなはずでは」と勝手に興醒めしてしまう感じに似ている。挙げ句の果て、全然かっこよく見えなくなってしまう。自分勝手ですが…

逆に、古本屋さんでとりあえず読もうと思って買って、ボロボロな本なのに、読めば読むほど、ぐいぐい心に入ってくる本は、最終的には、そのボロボロ加減も含めて、価値がある気がしてしまう。
こちらは、一見して、心惹かれるタイプではないけれど、内側から魅力が滲み出て輝いているタイプの俳優さん。断然、素敵だ。

魅力的な本は、心をほぐしてくれたり、心の奥底の人間の業を感じたり、人間とはどういうものかを体感させてくれる。その結果、心も頭も、何かしら動きを感じます。
新しい世界や物の見方を提供してくれるから、自分の問題が解決したり、どうでもよくなったりして、心身がスッキリすることも多い。
言葉と文字の並んだものを読むだけで、こんなにも、色々な気持ちになれて、こんなに体も心も違う部分を刺激される。これって、すごいことですよね。
言葉だけの羅列から、自分の中にあるもの、自分の中の言葉の理解と繋げて解釈するから、それはそれは、深い解釈ができる。自分なりの解釈もできれば、他はどうだろうという解釈もできる。そうやって言葉の力、本の力は、想像力や創造性を掻き立ててくれます。
手触り、匂い、五感で感じながら、本を楽しむと全ての感覚と言葉が合わさって、一つ一つが自分の一部になります。

私は、幼少期も、青年期も、中年期も、今も、本に救われてきました。誰とも分かちあえない気持ちを本だけは、いつでも、がっつり受け止めてくれました。

本って、素晴らしい。
愛しているよ、本。