見出し画像

夢のサイズ

私が高校生の頃、当時おそらく40〜50代だった社会科の先生が授業で、80年代当時の社会の現状について話してくれた時、「私の夢は自分の家を持つことでした。そして、小さい家ではありますが、それを達成しました」と誇らしげに言うと、クラスからどっと笑いが起きました。

先生が「何がおかしいんだ〜」と心外そうに言うと、一人の生徒が「だって、夢が小さいから」とみんなの気持ちを代弁してくれました。先生は「失礼だなー」とほんのり気分を害していらっしゃいました。

ま、そりゃ、お家を持つのは大変なことですからね。失礼でごめんよ〜ですが、相手は高校一年生です。これからの未来に期待と希望でいっぱいなのが普通です。それが最終的な夢は「普通の家をもつ」だと、やはり「えー人生ってそれだけなのかよ?」と感じるのが当然です。健全な反応だったと思います。そして先生は、それを喜んでも良かったんじゃないかな、と思ったりもします。

当時は、バブル期に入る少し前で、戦後から日本は経済も社会も右肩上がりの世の中でした。利子も高いし、土地も上がるし、東京23区で家を買うのは、さぞかし大変だったと思います。
でも、その成長期の中、若い人は、将来は「自分の家」より大きな規模のことを目指したい、社会や世界規模で生きたい、と感じるのも当然だと思います。

そして、もし、これからの社会を担う子どもたちが、そんな風に活躍の場を広げたいと思っているとしたら、大人としては、喜ばしい嬉しいことじゃないでしょうか。
「自分の家を持つ」ことは、自分や自分の家族を大切に思うことでもあって、夢の一つとしては、素敵だと思います。でも、先生もそれ以外のヴィジョンを持っていたら、笑われなかったかもしれないし、イラっともしなかったかもしれないと思うのです。

例えば、教員として仕事にどのように取り組みたいか、どんな社会を作るために、子どもたちへの教育に取り組みたいのか、毎日の仕事と生活の中にも、大きな目線を持つことも可能だったと思います。

家を持ちたかったことが悪いわけじゃないけれど、誇らしげな表情に、「持ち家」が優先されていることが垣間見えて、笑いが起きたのだと思います。
少し恥ずかしそうにもされていたし、もしかしたら、後から何か思われたかもしれません。と一応フォロー。

当時、私が感じていたことは、今も同じように感じています。子どもの感想や思いは、間違いないと改めて思っています。もし、大人にイラッとされても、笑われても、子どもたちには、自分の感じることや気持ちを大切にし続けてほしいと思います。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: