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グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち

思えばこの映画を初めて見たのは中学生の頃だったか。映画が好きでとにかくなんでも貪るように見ていたっけ。

さて、わたしは先ほどから見始めて、ちょうど50分のところでまずひと泣きした。
まて。ティッシュを取らせてくれ。
そう思って画面を停止したら50分のとこだった。
ウィルを外に連れ出したショーンが、初めて諭すように語るシーンである。

中学生のわたしには、この映画はまだまだわからなかった。そういえば、中学生の頃に読んだ向田邦子のエッセイも、さっぱりその良さを分かってはいなかった。母が好きで昔買ったらしい、それだけの理由で実家にあった文庫版のエッセイ。「うちは金がない」が口癖の母に新しい本を買いたいとせがむ勇気がなく、それならなにか図書館で借りてこようというほどの読書熱もなかったわたしは、当時は好きでも何でもなかった向田邦子を学校で規定されていた読書の時間に読んでいた。
「この…“羊羹”って何て読むんですか?」
わたしはその日国語の先生に質問した。先生は笑って「ヨウカン」と、答えてくれた。

そのときはわからなかった、ていうことが色々在る。その時は全く感じなかったものを今だから感じる、ということも。

子が生まれてから、子供が犠牲になるような映画が心底から苦手になった。例えば「ドクター・スリープ」なんかは、数年前見たとき吐きそうであった。

また、最近見た「死刑にいたる病」は内容がどうこうとか、面白いかどうかというより、事件のターゲットである高校生たちがいたぶられるのがもう痛々しくて見ていられない。

逆に、昔笑えなかったものが今笑えるようになったのがホラーである。もちろんホラーは大好きなのだが、最近はもう怖というより笑えてしまうわけで。先日みた「コンジアム」は、悪くはないのだけど、結局人間の方がよっぽど怖いという結論が自分の中で出ているので、「お化けに殺されることはなかろう」というわけで(ま、映画の中では殺されるのだが)もはやいくら怖い顔が出てきてもどんな怪奇現象にも笑ってしまう。「it イット」とかもただのモンスター映画である。


社会人一年目、ひとりアパートでカップラーメンを啜っていたらテレビで偶然ジブリの「魔女の宅急便」が始まって、気づいたらラーメン啜りながら泣いていた、あの日のことは今でも覚えている。

旅立ちの日にキキを抱き上げてお父さんが「いつの間にこんなに大きくなっちゃったんだろう」と言うシーンである。

あのアニメで泣くとは思ってもみなかった。もちろんそれまで泣いたことなんか一度もなかったし。「魔女の宅急便」は子ども時代の個人的ジブリランキングでは下位の方であった。それよりラピュタやナウシカが好きだしとか思ってたし。
とにかくジブリは泣くものではなかったことはたしかであり…

わたしはあの時、確実にキキのお父さんに感情移入していた。
しかし当時23歳くらいか。もちろん子供もいなけりゃ育てたこともなく。あの時自分の中の何が震えたのだろう?考えてみたらそういえば、妹が結婚して家を出る時とかぶってたかもしれないな。なんとなく、送り出す側の気持ちに重なったのだろうか。
あの時は「あたしも大人になったなぁ」
とか思ったけど、果たしてそれは正しいか。
もしくは、かつての自分をキキと重ねて涙が出たか。
あの日以来、個人的ジブリランキングは「魔女の宅急便」か「豚」の同率一位と成り変わったけど。

なににしても、「子供にはこの良さははわかるまい」と言いたいわけではない。なんでもそうだ、その時々で受け取るものが違う、もちろんそうだし、それだけだ。
あと20年後にもう一度見たら、また違った感想であろう。間違いない。


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